第7話 管理者の査定、エンジニアの価値
カツン、カツン、と通路の奥から響く硬い足音が、配水室の入り口でピタリと止まった。
ランタンの光に浮かび上がったのは、あの白髪混じりの髪を短く整えた男――この区画の治安維持を担うネビルだった。
彼はへたり込んで清水に歓喜しているタハールには一瞥もくれず、ハッチを開けて泥まみれになっている私を、酷く冷淡な目で見下ろした。
「……何をした」
地を這うような低い声。
昨日よりも明らかに鋭い威圧感が、狭い配水室の空気を凍らせる。
タハールが「ひっ」と息を呑み、慌てて立ち上がってネビルの前で頭を下げた。
「ネ、ネビル様! 奇跡です、この娘が聖遺物に触れたら、こんなに綺麗な水が――」
「タハール、お前は下がれ。広場へ戻るんだ」
ネビルは老人の言葉を冷たく遮った。
その拒絶のトーンに恐怖を感じたのか、タハールは私を心配そうに見つめながらも、逃げるように配水室を飛び出していった。
静まり返った部屋。
流れる清水の音だけが響く中、ネビルがゆっくりと私との距離を詰めてきた。
「警告したはずだ。余計な詮索は寿命を縮めると。……都市の共有インフラへの不正介入。この街のルールでは、即座に監禁、あるいは配給停止に相当する重罪だ」
彼は私を犯罪者として 糾弾する。
ただの「治安維持の管理人」として、毅然と私を脅してきている。
だけど、おかしい。
もし私が本当にただの重罪人なら、なぜ彼は住民たち(憲兵など)を連れてこず、一人でここに来たのか。
なぜ、私の腕にある黒い端末を強引に没収しようとしないのか。
……この男、やっぱり私を『見て』いる
私がただの無力な遭難者ではないこと、そして、この世界のシステムに「触れる」技術を持っていることを、ネビルは最初から分かっていて、わざと泳がせていた。
今この瞬間も、彼は私の出方を、私の『技術の価値』を品定めしている。
私はジーンズのポケットの中でスマホの画面をそっと消し、泥のついた手をわざとらしく広げて見せた。
「重罪だなんて物騒ね、ネビルさん。私はただ、タハールさんから水が濁ってて困ってるって聞いたから、ちょっと点検口を開けて、詰まってたバルブをカチッと動かしただけよ。お陰でこんなに綺麗な水が出た。感謝されても、怒られる筋合いはないと思うけど?」
「……『ただ動かしただけ』、か」
ネビルはハッチの奥、私が手動で全開に固定した電動ユニットの基盤を見つめた。
「ジャンナの神官ですら恐れ多いと触れぬブラックボックスだ。
それを道具もなしに、数分で強制開放した。お前、何者だ」
「ただの無力なシステムエンジニアよ。電波も繋がらない、PCもない、最悪の環境に放り込まれたね」
私は皮肉混じりに笑ってみせた。
ネビルは表情を一切崩さないまま、私の左腕のバグに一瞬だけ視線を落とした。
その濁った目の奥に、かすかな、だけど確実な「計算」の光が宿るのを、私は見逃さなかった。
「……ふん。素人が生半可な知識でインフラを弄るな。お前がやったことは、ただの『その場しのぎ』だ。バルブを全開にしたことで、この区画の微弱な電力がどれだけ余計に消費されるか、その頭で計算すらしていないだろう」
(――ッ!)
心臓がドクリと跳ね上がった。
バグが脳内で告げた警告。電力量の追加消費。
蓄電池の寿命の縮小。
それを、この男は『バグの解析データ』も見ずに、ただの感覚か、あるいは最初から知っていたかのように、正確に言い当ててみせた。
「電力が尽きれば、水どころか、この区画の全ての機能が停止する。お前がやったことは、街の寿命を前借りして、数日分の綺麗な水を買ったに過ぎん。独りよがりの『善意』が、どれほど残酷な結果を招くか……思い知ることになるぞ」
ネビルは冷たく言い放つと、それ以上私を咎めることも、拘束することもなく、踵を返した。
「バルブはそのままにしておけ。今さら閉じたところで、消費された電力量は戻らん。大人しく広場へ戻るんだな、エンジニア」
通路の奥へと消えていく、男の背中。
一人残された配水室で、私は流れる綺麗な清水を見つめながら、奥歯を噛み締めた。
ネビルはエージェントであることを隠し、ただの「冷酷な管理人」として私を脅し、突き放した。だけど、その言葉の裏には、この世界のインフラが抱える「歪な構造」がハッキリと横たわっている。
左腕で、バグが小さく駆動音を立てる。
(……そう。そっちがそのルールでこの街を縛ってるわけね、ネビルさん)
良かれと思った修正が、別の場所で重篤なエラー(電力不足)を引き起こす。
まさにプログラミングのバグ探しの世界そのものだ。
「上等じゃない……」
私は片方ないサンダルを踏み締め、ネビルの残した暗闇を睨み据えた。
この世界のルールがどれほど理不尽で、どれほど私の『善意』を裏切ろうとも、エンジニアの意地にかけて、その裏をかいて、すべてのバグをデバッグしてやる。
カイのいる世界への手がかりを掴むため、そして何より、あの傲慢な管理人の鼻をあかしてやるために。
私は清水で汚れた顔を乱暴に拭うと、静かに闘志を燃やしながら、住民たちの待つ広場へと歩き出した。




