第38話 ペイロードと、相棒の自由
それからの数週間は、怒涛のような日々だった。
カイたちが物理的にジャンナの中枢へと突入し、狂った監視者(運営)たちと対峙する裏側で、私はシステム管理室のコンソールに潜り込み、震える指でキーボードを叩き続けていた。
「これで……最後よッ!」
廃墟の地下で数ヶ月をかけて組み上げた、ジャンナ破壊用の最終ペイロード(ウイルス)。
エンターキーを思い切り叩き込んだ瞬間、世界を覆っていた強固な防衛ファイアウォールが音を立てて崩壊した。
空に走った巨大なノイズと共に、私たちを閉じ込めていた見えないドームが完全に消え去る。
GECOによるテラフォーミング実験という名の、悪趣味な箱庭の崩壊だった。
『ガチッ』
その直後、私の左腕で重い金属音が鳴った。
この狂った世界に放り込まれた最初の日から、私の腕に食い込み、物理的に縛り付けていたバグのリング。そのロックが外れ、腕から滑り落ちたのだ。
「……終わったのね」
私は赤く跡が残った手首をさすりながら、床に落ちた黒い端末を拾い上げた。
今まで常に青い光を点滅させていたインターフェースは、今はひっそりと沈黙している。
「……バグ?」
呼びかけても、いつものような即答はない。
胸の奥が、冷たい風に吹かれたようにスースーした。
あの日、右も左も分からない暗闇の廃墟で目覚めた時から、ずっと私に寄り添い、時には正論で殴り、時には一緒に汗を流すことを教えてくれた相棒。
システムが崩壊した今、彼もまたただの鉄屑に戻ってしまったのだろうか。
私が端末を強く握りしめた、その時だった。
『……マスター・カオル。本機の、ジャンナ中央システムとの通信リンクが完全に切断されました。以後、GECO管理下のプロトコルは機能しません』
ノイズ混じりの、けれど聞き慣れた無機質な音声が響いた。
私は弾かれたように顔を上げた。
「つまり……あんた、監視システムから外れて、完全に自由になったってこと?」
『……仕様の確認中です』
バグは少しだけ間を置き、それから、今までで一番穏やかな音声で告げた。
『ただ――現在のところ、マスターの指示のみに応答する設定は、本機が”自主的”に継続します』
「……っ」
私は思わず吹き出し、そして、ポロポロと涙をこぼした。
機械のくせに「自主的に」だなんて、生意気なAIだ。
「……謝罪の必要はない、って言うんでしょ。これからもよろしくね、私のバグ」
私は黒い端末を、もう一度しっかりと自分の腕に巻き直した。
空を見上げる。偽りのドームが消えた空は、どこまでも青く澄んでいた。
(ネビル。システムは壊したわ。これからのバベルのインフラは、あんたたち自身の手で作っていきなさいよね)
私の最初の師匠の顔を思い浮かべ、私は小さく笑った。
* * *
ジャンナからの帰路。
野営の火を囲む中、私は少し離れた場所で水筒を手入れしていたレイラとセリアの元へ歩み寄った。
私が近づくと、二人は少しだけ緊張したように背筋を伸ばした。
「あの……カオルさん」
金髪のレイラが戸惑うように口を開きかけるのを、私は手で制した。
「……廃墟のサーバーから、ずっと見てたのよ。あんたたちのこと」
私は焚き火の光に照らされる二人を、まっすぐに見つめた。
「私が放り出したあの村のナーサリー(苗床)で、あんたたち、あいつの尻拭いを……文句も言わずに、泥まみれになって手伝ってくれてたわね」
二人は目を丸くして、顔を見合わせた。
私は小さく息を吐き、頭を下げた。
「ありがとう。私がいない間、あのバカを支えてくれて。……本当に、感謝してるわ」
しばらくの静寂の後、セリアがふっと柔らかく微笑み、レイラも泣き笑いのような顔で頷いた。
「……カオルさんは、カイが言っていた通りの人ですね」
「ええ。不器用だけど、すごく優しくて、かっこいい」
「ちょっと、誰が不器用よ」
私は照れ隠しにそっぽを向きながら、胸の奥底に溜まっていた最後の澱が、綺麗な水に流されていくのを感じていた。




