第31話 テウマ峠の孤独と、砂漠のノマド
ジャミーラから託された軍用規格の折りたたみ式モビリティは、私の想像を絶する性能を持っていた。
強靭なヒンジと太いブロックタイヤは荒野の悪路を難なく走破し、バグと同じ固体電池技術が使われているバッテリーは、数万キロは持つだろうと思えるほど残量メーターが減らない。
故障やガス欠の不安がないことは、エンジニアとしてはこの上ない安心材料のはずだった。
だが、モビリティが発する静かなモーター音だけが響く荒野では、その「あまりにも順調な旅」が、逆に私の孤独を際立たせていた。
昼間の殺人的な熱線を避けるため、私は早朝と夕暮れ時だけを走った。
険しいテウマ峠を越えながら、私は何度も痛む胸を押さえた。
本当なら、遠く離れたメルフドの家族(アイシャや先生たち)や、バベルのネビルたちに会いに行きたかった。
だが、私が向かっているルートは彼らのいる場所とは違う。
慣れない野宿で冷たい砂を噛むような夜を過ごすたび、彼らの顔が浮かんで息が詰まった。
(……大丈夫。この先に、カイがいるんだから)
数日をかけ、バグのナビゲーションを頼りに、私はついに目的のオアシスへと辿り着いた。
呪われたように乾いた白い土漠の中に、突如として現れた豊かな緑。
高くそびえるナツメヤシの木々が、心地よい影を落としている。
私はモビリティを降り、乾ききった喉のまま、集落の中を歩き回った。
「カイ! カイ、いるんでしょ!?」
すれ違う人々の顔を覗き込み、時にはテントの裏まで走り、くまなく探した。
だが、どこにもいなかった。
あの泥まみれで笑う、ひょろりとした日本人の姿は、どこを探しても見当たらなかったのだ。
「……ジャミーラ。あの情報、やっぱりフェイクだったみたい」
崩れ落ちるように膝をついた瞬間、張り詰めていた糸がプツリと切れた。
極度の疲労と、唯一の希望を絶たれた絶望が同時に押し寄せ、私の意識は暗闇へと沈んでいった。
* * *
「――やっと目が覚めたかい」
乾いた、けれど温かい声が聞こえた。
重い瞼を開けると、そこは布で覆われた薄暗いテントの中だった。
目の前には、浅黒い肌をした、精悍な顔つきの若者が座っていた。
「ふらふらと歩いていたかと思ったら突然倒れるから、心配したよ」
「……ここは。あなたは、誰?」
「私はサード。若造だが、このオアシスを束ねる長老をやらせてもらっている。少し休んでいくといい。何もないが、歓迎するよ」
私は反射的に身構えた。
「あなたも……監視者なの?」
「監視者? 何のことを言っているんだ?」
サードは心底不思議そうな顔をした。嘘をついているようには見えない。
だが、油断はできなかった。この集落のどこかに、きっと私を『エンタメ』として監視している目が潜んでいるはずだ。
「よそから来た、素性も分からない私を……どうして手厚く保護してくれるの」
私が警戒を解かずに問うと、サードは白い歯を見せて笑った。
「砂漠の民は、助け合わないと生きていけないから当たり前だよ。気にするな」
彼の言葉通り、この集落には私が今まで見てきたような「インフラ」という概念がなかった。
彼らは過酷な環境を移動しながら生きるノマド(遊牧民)なのだ。
個々の場所がダメになれば、別の場所へ移動するだけ。
巨大なシステムに依存しない、原始的でしなやかな生き方だった。
サードがテントを出て行った後、私は左腕のインターフェースに触れた。
「バグ。……私、どうしたらいいの」
『マスター・カオルのバイタルは安定しています。しかし、心理的ストレスが閾値を超えています』
「そうじゃない。……この村にはインフラがないわ。それに、この白い土……塩害がひどくて、農業の知識がない私には何もできない。カイがいれば別だけど」
弱音を吐く私に、無機質なAIの音声が静かに応えた。
『いいえ、カオル。あなたに農業の知識はないかもしれませんが、私は今までずっと一緒に見てきたから分かります』
「……え?」
『みんなと一緒に汗を流して考えるのです。今の自分に、何が出来るのかを』
バベルで、ネビルと工具を握った日。
メルフドで、泥まみれになって配線を繋いだ日。
マ・カレシュで、ジャミーラと酒を飲みながら設計図を引いた夜。
そうか。私はいつだって、最初から答えを持っていたわけじゃない。
「……何もできないなら、一緒に汗を流して解決するか。それなら、私にも出来るかもしれない」
私はゆっくりと立ち上がった。
見えない組織の悪意によって放り込まれた、この乾いたオアシス。
もしかしたら、ここで待っていれば、いつかあのバカがひょっこり現れるかもしれない。
そんな、根拠のない淡い希望を胸の奥にしまい込みながら、私はテントの布をめくり、眩しい太陽の下へと歩み出した。




