第2話 衰退のスープと、影の視線
「カイは生きている。……なら、あいつを探さなきゃ」
左腕の黒い端末が吐き出した、たった一行のエラーログ。
【未接続キャスト一覧:ステージ1・カイ(生存確認)】の文字を、私は何度も心の中で反唱していた。
だけど、場所がわからない。
そもそも、ここはどこ? 私はどこにいるの? カイはどこにいるの?
バグと名付けたこの端末は、これ以上の詳細な情報を一切よこさず、ただ不気味な駆動音を小さく響かせるだけだ。
「落ち着きなさい、私。まずは動かないと」
深呼吸をして、冷えた手をさする。
手元にはPCもまともな道具もない。
ただ、時折、端末からノイズ混じりで伝わってくるシステム信号の意味が、ITエンジニアとしての経験則でなんとなく理解できることだけが、今の私の唯一の武器だった。
「とにかく、生身の人間から情報を集めるしかないわね」
重い腰を上げ、コンクリートの通路を這い出るようにして、明かりの点く広場の方へと向かった。
開けた場所に出た瞬間、私は肌に刺さるような視線を感じて足を止めた。
そこにいたのは、十数人の人間だった。
衣服は煤け、ボロボロに擦り切れた布を身に纏った現地の人々。彼らは皆、見たこともない珍獣でも見るような、怯えと不思議の混ざった目で私をじっと見つめていた。
(なにか変かな……。あ、私の格好か。Tシャツにジーンズ、サンダルっていうラフな格好だけど、滝の水でベタベタだし、サンダルも片方流されちゃってるしね)
あまりの視線の痛さに居心地の悪さを覚えながらも、私は意を決して、一番近くにいた初老の男性に声をかけた。
「あの……すみません。お聞きしたいことがあるんですけど……」
「あん? ……なんだ、お前。見ない顔だな。ジャンナから落ちてきたのか?」
「ジャンナ……? それ、何ですか?」
「何って、上の都だよ。俺たちを管理してる連中がいる場所さ。……あんた、本当に何も知らないんだな」
男から返ってきた言葉に、私は一瞬、思考がフリーズした。
通じる。地球の日本語とは明らかに違う発音なのに、男が何を言っているのか、その『意味』が100%完璧に脳内に直接流れ込んでくるのだ。
(これ……、もしかして私の左腕の端末が、脳内への音声信号をリアルタイムで直接翻訳してるの!?)
UI(操作画面)は最悪のクソ仕様なのに、音声処理と通信プロトコルの階層だけは地球の100年先を行っている。
なによこの歪なテクノロジー、信じられない。
だが、感動している場合ではなかった。
私は男の言葉をなぞるように問いかけた。
「ここは、どこなんですか?」
「どこって、バベルの街さ。見ての通り、死にかけたデカい廃墟だよ」
「何で、こんなボロボロに……?」
「さあな。むかしはたくさんの人がいて、自動で何でも動く凄い街だったらしいが、いつの間にか人がいなくなって、気付いたらこんな風に廃れちまった。なんでかって聞かれても、俺たちにゃ分からんよ」
なんで、最先端の都市がこんな風に見捨てられているの? 理由が分からない不気味さに、背筋が薄寒くなる。
その時、緊張が解けたせいか、私のお腹が情けない音を立てて鳴り響いた。
男は呆れたように笑うと、近くの焚き火を指差した。
「ほら、食うか?」
出されたのは、粗末な木のお椀に入った、温かい野菜のスープだった。
一口、口に含む。
塩気が身体に染み渡り、瑞々しい大地の味がした。
「……野菜。これ、ちゃんと土から育てた野菜だ」
スープを飲み干しながら、私の胸の奥がチクリと痛んだ。
野菜がある。ということは、この死にかけたコンクリートの街のどこかで、地道な『農業』が行われているということだ。
(農業。……アイツの得意分野じゃない。あいつなら今頃、この野菜の品質チェックでもしてるのかな。……待って、この世界に農業があるなら、あいつがいる別のステージでも、絶対に飢え死にはしてないはずよね)
スープの温かさと、カイと繋がる「土」の存在が、私の凍えそうな心を少しだけ解きほぐしていく。
その後、スープをくれた老人や周りの住民に、この国について少しずつ話を聞いてまわった。
ここには現在、100人程度の人々が寄りそって暮らしていること。
廃墟の隙間で細々と農業と牧畜を行い、なんとか生きていること。
「隣の街は? もっと大きい街はどこにあるの?」と聞いても、住民たちは一様に首を傾げ、「外から人が来ることはめったにない」「隣の街なんて知らない」と答えるだけだった。
完全に隔離された、死にゆく檻。
情報が少なすぎる。
「……でも、ただ座って待ってるなんて、私の性分じゃないわ」
お椀を返し、私は立ち上がった。
まずは、自分が今できることをしよう。手元にPCもツールもないなら、この巨大な文明の遺物を自分の足で歩き回って、使えるジャンクパーツや、ハッキングのための「環境」を自力で泥臭く探し出すしかない。
私は歩きながら、左腕の黒いクソ端末の画面を指で叩いた。
「ねえ、バグ。――あ、バグっていうのはあんたのことね。この先のアトリウムで、一番電力が微弱に残っていそうなサーバー室の跡地をナビゲートしなさい」
端末の画面に、非情な赤文字のシステムエラーが冷たく明滅する。
【エラー:アクセス権限が不足しています。キャスト・カオルは指定されたエリアへ速やかに移動し、初期タスクを開始してください。拒絶した場合はペナルティを――】
「やっぱり口頭の音声コマンドじゃルート権限(管理者権限)は奪えないか。本当に融通の利かないクソシステム……!」
機械の脅迫を鼻で笑い飛ばし、私は端末のナビを無視して、明かりの届かない不気味な地下通路の奥へと自分の足で一歩を踏み出した。
錆びついた鉄扉を押し開け、五感を研ぎ澄ませて、ガラクタの山に目を凝らそうとした、その時――。
(――ッ!?)
背筋に、強烈な悪寒が走った。
音はしなかった。
だけど、暗闇の奥から、私を値踏みするような、刺すような冷たい「視線」がハッキリと伝わってきたのだ。
慌てて振り返る。
壊れかけた街灯の薄暗い光の向こう、コンクリートの柱の影には、誰もいなかった。
ただの気のせい、と言い聞かせるには、あまりにも不自然なほどの気配の残り香。
(誰かが、見てる。……住民たちの、あの不思議そうな目とは違う。もっと冷徹で、私を値踏みして、品定めするような視線)
その正体が、自分たちをここに拉致した存在に繋がっていることを、私は持ち前の勘の鋭さで本能的に察知していた。
泳がされている。監視されている。
道具も、味方も、電波もない。だけど――。
「そっちがそのつもりでも、私は私のやり方で裏をかいてやるわ」
ジーンズのポケットの中でぎゅっと拳を握り締め、私はさらに薄暗い廃墟の奥へと、静かに、だけど冷たく闘志の火を灯して進んでいった。




