第18話 砂塵の街と、網の目の授業
重厚な鉄扉が背後で閉ざされた瞬間、私はバベルという「システムに管理された無機質な牢獄」から、正真正銘の地獄へと放り出された。
容赦なく照りつける太陽。
肺を焼くような熱風。視界を遮る赤茶けた砂埃。
ネビルから譲り受けたタクティカルブーツだけが頼りだった。
一年間着たきりの服はあちこち擦り切れ、肌に容赦なく紫外線が突き刺さる。
リュックに括り付けた「片方だけのサンダル」が、歩くたびにカツカツと音を立てた。
それだけが、私が北へ向かう唯一の理由であり、狂気じみたこの世界に繋ぎ止めるアンカーだった。
だが、一年間、太陽の光すら届かない薄暗い地下でキーボードを叩き続けていた身体は、自然の猛威の前にはあまりにも脆かった。
出発から何日経っただろうか。手持ちの水筒が空になり、ひび割れた唇から血が滲み始めた頃、私の視界は唐突に暗転し、乾いた土の上に崩れ落ちた。
「……おねえちゃん、おきて」
頬に触れる冷たい水の感触と、舌足らずな声で意識が浮上した。
重い瞼を開けると、大きな黒い瞳の少女が、私の顔を覗き込んでいた。
「よかった、気がついたかい」
少女の後ろに立つ、人の良さそうな顔立ちの男性が優しく微笑んだ。
「……ここは、どこ……?」
「ここはメルフド。辺境の小さな街だよ」
彼はこの街で教師をしていると言い、薬草の匂いを纏った妻(彼女はエンジニアらしい)と共に、倒れていた私を家まで運び、介抱してくれたのだという。
私を覗き込んでいた少女は、娘のアイシャだった。
「君はどこから来たんだい?」
「……カオル、です。南の、バベルから」
嘘をつく気力もなくそう答えると、夫婦は「あんな所から一人で」と顔を見合わせ、それ以上は深く聞いてこなかった。
数日後、体力を回復した私はアイシャに手を引かれ、街を歩いていた。
かつてネビルの管理端末で見た、カイがいたあのアフリカの村を、そのまま少し大きくしたような風景だった。
ラクダや羊が歩く未舗装の道に、時代遅れのエンジン車が土煙を上げて通り過ぎる。
人々は豊かではないが、不思議な活気と笑顔に溢れていた。
アイシャに連れられて学校へ行くと、ちょうど先生(アイシャの父親)が授業をしているところだった。
教室の窓から覗き込むと、子供たちが車座になり、「あやとり」の毛糸を持って放射状に広がっていた。
中心で毛糸の束を握っているのが先生だ。
『いいかい、今、先生がみんなの糸をまとめて持っているね。これが中央集権だ。でも、もし先生が倒れたらどうなる?』
先生が毛糸から手を離すと、子供たちの持っていた糸はダラリと床に落ちた。
『みんなの繋がりが切れてしまう。じゃあ、今度は隣の子と糸を結び合ってみて』
子供たちが互いの糸を結び、網の目状のネットワークを作る。
『そう、これなら誰か一人が手を離しても、別の糸で繋がれる。過酷なこの土地で生き残るには、この「網の目」が絶対に必要だ。忘れないようにね』
……なるほど。自律分散型ネットワークの概念を、あやとりで教えているのか。
しかし、感心すると同時に強い違和感が胸に湧き上がった。
デジタルの基礎理論を理解しているのに、なぜこの街のインフラはこんなにも発展途上なままなのか。
あんな授業を、なぜこんな辺境の子供たちに教えているのだろう。
科学技術が生かされていないのは、意図的なのか、それとも他に理由があるのか。
バベルにいた時は生き残るのに必死でそこまで考えが回らなかったが、この世界はどこかが決定的に歪んでいる。
子供たちの笑い声を眺めながら、私の頭の中にはいくつもの疑問符が静かに渦巻いていた。




