幕間 管理者の暗号報告(ログ)
バベル地区の最上層、住民たちの立ち入りが厳重に禁止された、冷たい電子ノイズだけが響く監視管制室。
ネビルは薄暗いコンソールの前に立ち、メインモニターに映し出されたログを冷徹に眺めていた。
画面には、先ほどまで大泣きし、今はタハールたちの元へ戻って泥まみれで水車の調整を教えているカオルの姿が、複数のアングルから克明に映し出されている。
ピリリ、と無機質な電子音が鳴り、モニターの隅に暗号化された秘匿通信のウィンドウが開いた。
『ご苦労様、ネビル。第4区画の電力エラー、見事にサステナブル(持続可能)な数値に落ち着いたわね』
スピーカーから聞こえてきたのは、歪んだボイスチェンジャー越しの本部のオペレーターの声だった。
その声には、冷酷な管理職としてのトーンの中に、どこか愉しげな色のプロトコルが混ざっている。
「……予定通りの帳尻合わせだ。バベル地区のバッテリー寿命は、元の安定値へ復帰した。報告は以上だ」
ネビルが淡々と通信を終えようとすると、画面の向こうのオペレーターは低く笑った。
『冷たいわね。……ねえ、本当は気づいていたんでしょ? あの『キャスト・カオル』が、午前二時に夜な夜な配水室へ忍び込んで、支給端末のデバッグノードを物理ショートさせていたこと』
「さあな。俺はここの治安維持と配給で忙しい。不具合の多い型落ちの端末だ、勝手にセーフモードに落ちることくらいあるだろう」
『ふふ、よく言うわ。あなたがあえて泳がせて、彼女に管理ログを盗ませ、挙句の果てには倉庫の鍵まで渡して水車を作らせた。全部、監視カメラに残っているのよ?』
ネビルの眉がわずかに動いたが、その濁った目は視線を逸らさなかった。
「現場の裁量権の範囲内だ。あのまま電力をすり潰して街をシャットダウンさせるより、ガラクタで帳尻を合わせさせた方が、コンテンツとしても『お買い得』だったはずだ」
『ええ、その通りよ。この1年間、過疎化していたバベル地区のチャンネルの視聴率は、右肩上がりで推移したわ。泥まみれで回路をショートさせて怯えていた女の子のエンジニアが、現地民と這い上がっていく泥臭い成長劇なんて、ジャンナの成金どもには新鮮なエンタメだったみたい。……本当に、あの子らしい泥臭い足掻きだったわね』
オペレーターの指先がキーボードを叩く音が響く。
画面に、カオルの今回のステージの「最終評価シート」がポップアップした。
『総合評価は――『及第点(Cプラス)』。番組の演出としてはね。もっと派手に住民を甘やかして依存させ、一気に電力を破綻させて『全自動の地獄』の再現を撮らせてくれた方が、ドネーションは跳ね上がったんだけど』
「あいつは家畜の飼育員ではない。本物のエンジニアだ」
ネビルが遮るように、低く、だけど確固たる意志を込めて言った。
『分かっているわよ。……だから、私も『端末のエラーによる不可抗力』として処理しておいたわ。初めてこのクソシステムに放り込まれて、自分を拉致した組織の名前すら知らない段階で、ネビル、あなたの冷酷な二択を潜り抜けて『人間の自立』なんてパッチを当ててみせたのよ? 運営のスコアはどうあれ、人間としての査定なら――文句なしの100点満点、最高に立派なスタートだわ』
通信の向こうの声に、微かな、だけど本物の敬意が混ざる。
『正式な副管理者権限を与えた意図は? 次のステージへ進ませる気ね』
「あいつには、ここに収まる器ではない相棒がいる。……俺の仕事は、あいつが次の環境へ向かうための、最低限の環境を整えることだけだ」
ネビルがそう言うと、モニターの中のカオル――タハールに呆れ顔でレンチの持ち方を教えている彼女を、静かに見つめた。
その横顔には、もう「冷酷な管理人」のトーンはなく、一人の有能な後輩を見守る、頼もしい先輩エンジニアの眼差しがあった。
『いいわ。第2章、上層のサーバーログへのハッキングフェーズの移行を承認するわ。楽しみにしているわよ、ネビル。……そして、私たちの可愛いバグ(カオル)』
プツン、と通信が切れ、管制室に再び静寂が戻る。
ネビルはゆっくりとランタンを手に取ると、カオルの待つ、そして自立し始めた人間たちの灯す明かりが待つ、バベルの地下広場へと歩き出すのだった。




