第14話 エンジニアの引き継ぎ
最初のインフラ崩壊から、どれだけの時間が過ぎただろうか。
文字通り泥まみれになりながら、彼らにシステムの『自立』を教え込む日々は、どんな高度なハッキングよりも遥かに難解で、骨の折れる作業だった。
タハールの持つ鉄格子の破片が、錆びついたボルトに当たって虚しく金属音を立てて滑る。
乾いた音を通路の奥に響かせながら、彼は何度も何度も、泥にまみれた細い腕を振るっていた。
当然、素人の彼に直せるはずがなかった。
ボルトは1ミリも動かず、ただ老人の息だけが荒くなっていく。
私は一歩、泥を踏みしめてその背中に近づいた。
ゆっくりと屈み込み、老人の震える両手の上に、自分の両手をそっと重ねる。
「カ、カオル様……?」
「タハールさん、違うわ。力任せに叩いてもボルトは回らない」
私は老人の強張った指を一本ずつ解き、鉄片を正しくボルトの角に噛み合わせさせた。
「……こうやって、支点に対してまっすぐ、垂直にトルクをかけるのよ。機械に『責任』を持たせるように、じわじわと体重を乗せて」
私の手のひらを通じて、タハールの手に力が伝わっていく。
息を合わせて、せーのでグッと力を込めた。
ガチリ、ギギ……ッ。
錆びついたボルトが、確かな手応えとともに数ミリ回った。
老人の目が、驚きに丸くなる。
「ネジを締めるのはね、ただの作業じゃないの。この機械が狂わないように、私たちが意思を込める作業なんだから。……ほら、次のボルトもやってみて」
私が手を離すと、タハールは生唾を飲み込み、今度は自分だけの力で鉄片を構えた。
教えた通りに、じっくりと体重をかける。
ガチリ、とまた一つ、ボルトが締まった。
「できた……。回ったぞ、俺の手で回った!」
子供のように声を弾ませる老人を見つめながら、私はジーンズのポケットから、昼間、廃墟のプラスチック板に鉄筆の破片で削って刻んだ、一枚の『板』を取り出した。
「私はもう、この水車を直してあげない。その代わり――これをあなたたちに残すわ」
それは、文字の読めない住民でも一目でわかるように、水車の構造と、週に一度どこを掃除し、どこを締め直すべきかを緻密な絵で書き起こした、私なりの『仕様書』だった。
「これは、この街の水車の運用・保守マニュアル。贅沢な明かりが欲しければ、この通りに全員で交代で滝に潜って、ファンに詰まったゴミを掃除しなさい。音楽を聴きたければ、その分の電力をどうやりくりするか、自分たちで話し合って決めなさい。自分たちの生活のバランスは、自分たちの手で調整するの。……できるわね?」
タハールは、その泥まみれのプラスチック板を、まるで神の聖遺物を受け取るように、震える両手でぎゅっと抱きしめた。
その様子を後ろで見守っていた若い住民たちが、一歩、また一歩と近づいてくる。
昨日までのように「次の電気をくれ」とおねだりするような、甘えきった濁った目はそこにはなかった。
自分たちが犯したバグの重さを知り、それでも自分たちの足で立ち上がろうとする、力強く、引き締まった人間の目がそこにあった。
「やるよ、カオル。俺たちの街だ。俺たちで、この明かりを守ってみせる」
タハールの言葉に、若い男たちも無言で、だけど深く、何度も頷いた。
システムを自動化して人間を家畜にするのではない。
運用する「人間」を育てる。
これこそが、私がこのバベル地区に当てるべき、サステナビリティ(持続可能性)という名の、組織的なパッチだった。
「――システム上の採点は不合格だがな」
住民たちが真剣な顔で水車の調整を始めたのを見届け、通路の暗がりに戻った私に、ネビルが静かに声をかけた。




