第12話 おはようのない朝
翌朝、広場に出ると、タハールが私を見て
「カオル様、スピーカーの件、考えてくれたか?」と
真っ先に声をかけてきた。
おはようじゃなくて、スピーカーから入るんだ。
(……もう、そういう関係になったんだ、私たちは)
胸の奥が、冷たい泥を飲み込んだように重くなる。
3ヶ月前、あれほど泥まみれになって一緒に笑い合い、抱き合って涙を流したはずの絆が、今は「都合のいい打ち出の小槌」と「それに群がる人間」という、酷く歪な依存関係に変質してしまっていた。
「……タハールさん、昨日も言ったでしょ。スピーカーに電気を回したら、またバッテリーが足りなくなるの。だから、やらないわよ」
私が努めて冷静に断ると、タハールは露骨に落胆し、それから不満げに口を尖らせた。
「なんだよ、ケチケチしなくたっていいじゃないか。あんなにデカい滝があるんだ、ファンをもう二、三個沈めりゃ電気なんていくらでも作れるだろ。お前さんにはその腕(端末)があるんだからさ」
「簡単に言わないで! あれ以上ファンを増やしたら、水圧の計算をやり直さなきゃいけないし、木製のフレームだって保たない。何より、壊れたときのメンテナンスは誰がやるのよ!?」
思わず声を荒らげると、広場の空気がピキリと凍りついた。
タハールは怯えたように一歩下がり、周りの住民たちとコソコソと視線を交わし始める。
「な、なんだよ、怒らなくたっていいだろ。俺たちはただ、昔みたいに少しは人間らしい暮らしがしたいだけなのに……」
「結局、あの娘もネビル様と同じか。自分だけ上層のいい機械を持ってさ、俺たちのことはただの家畜としか思ってないんだよ」
暗闇のあちこちから、刺すような陰口が聞こえてくる。
「技術的にやれる能力はある」のに「しない」。
その私のエンジニアとしての理性が、彼らにとっては「冷酷な拒絶」に映るのだ。
昼間、あんなに純粋だったはずの住民たちの目が、今は私への静かな敵意と不満でギラギラと濁っていた。
「……勝手に言いなさいよ」
いたたまれなくなって踵を返し、通路の奥へと歩き出した私の背中に、もう歓声が浴びせられることはなかった。
「――言ったはずだ。人の欲求には、底がないと」
薄暗い通路の影から、静かに姿を現したのはネビルだった。
彼は壁に背を預け、腕を組んだまま、私の青ざめた顔を冷徹に見下ろしていた。
「ネビル、さん……」
「お前は、自分が有能なエンジニアだと証明したくてあの水車を作った。
だがその結果、奴らは自分で飢えを凌ぐことをやめ、お前という『システム』にぶら下がり始めた。……かつての、俺のようにな」
ネビルが自嘲気味に、低く濁った声を漏らした。
その目の奥に、いつもとは違う、深い、血を流すような過去の傷痕が一瞬だけ覗いた。
「え……?」
「俺も昔、別の区画で同じ過ちを犯した。良かれと思って全てのインフラを完璧に直してやった。奴らは歓喜し、俺を神と崇めたよ。……だが、数年後、奴らはネジの一本すら自分たちで締められない文字通りの家畜に退化した。そしてシステムが寿命で止まった時、誰一人として直そうとせず、ただ配給を求めて叫びながら全滅した」
ネビルは私の一歩手前まで歩み寄ると、その冷たい目で私の左腕のバグを指差した。
「だから俺はこの街を飢えさせ、薄暗いままに管理してきた。分をわきまえさせるためにな。……エンジニア。お前ならどうする。奴らの言いなりになって次の電気を与え、あの『全自動の地獄』をもう一度繰り返すか? それとも、ここで全てを投げ出して奴らを見捨てるか」
突きつけられた、答えのない残酷な二択。
ネビルの言葉は、私の胸の奥に、抉るような重い痛みとなって突き刺さった。
与え続けることが、人間を殺す。
だけど、与えなければ、街は薄暗い檻のままだ。
私は汚れたジーンズのポケットの中で、震える拳をぎゅっと握りしめることしかできなかった。




