【reverse 69 東海道中、膝栗毛と足マメ】
ある日、杉浦本陣から使者が来た。
四人が通されると、助右衛門が書状を広げていた。
「鈴菌殿たちに相談なのですが、名古屋で蘭書を閲覧して来て貰えませんか?」
鈴菌が、前のめりになった。
「名古屋へ行ったらまずは中市場の伊藤圭介を訪ねて下さい。あのお方は蘭学の権化です。私の名を出せば、奥の書庫へ通してくれるはずです。……そこで、貴方の言う『エンジンの心臓部』にまつわる記述を、一文字残さず覚えて来て欲しい」
名古屋には蒸気機関に関する蘭書が揃っているという。
それを直接閲覧して来てほしいとの依頼だった。
四人が顔を見合わせた。
一秒後、全員が頷いていた。
「旅好きに断る理由はないですよね」
本田が、にこにこしながら言った。
*
通行手形、旅の資金、紹介状。
三点セットを受け取って、翌朝に出発した。
*
【一日目 浜松宿〜二川宿】
六時。
浜松宿を出た。
舞阪への松並木が続いていた。
朝の光が、松の幹を金色に染めている。
「バイクで走ったら五分の道を、歩いてるんですよね……」
本田が、遠くの松並木を見ながら呟いた。
「黙って歩け」
九時。
弁天島に着いた。
渡し船が、浜名湖の入り江を渡っていく。
水面が、朝日に光っていた。
遠州灘の風が、船の上を吹き抜けた。
「気持ちいいですね! バイクより船の方が好きかもしれません!」
本田が、船縁から顔を出して言った。
「落ちるぞ」
*
十一時。
新居関所。
杉浦助右衛門の通行手形は、効果抜群だった。
役人が、手形を見た瞬間に態度が変わった。
関所を抜けると、うなぎの匂いがした。
「なんですかこの匂い!」
本田が、鼻をひくひくさせた。
安田屋だった。
軒先から、うなぎを焼く煙が立ち上っている。
創業がいつかは知らないが、たいそう古い店構えだ。
「入りましょう」
アプリが、珍しく即断した。
うな重が来た。
タレが濃い。
身が厚い。
米が艶々だ。
「……うまい」
四人が、しばらく無言で食べた。
鈴菌が、箸を置いて言った。
「この店、浜松に帰ったらもう一回来る」
「同じく」
「同じく」
「同じく」
*
午後。
白須賀宿の手前、潮見坂。
坂の上に出た瞬間、全員が足を止めた。
遠州灘が、眼下に広がっていた。
どこまでも続く砂浜。
白い波。
水平線まで続く、蒼い海。
「……これ、バイクで走ってたら気づかなかったやつですね」
本田が、スマホを構えた。
充電が惜しいが、撮らずにはいられなかった。
花が、海を見ながら言った。
「龍馬さんも、今頃この海のどこかにいるのかな」
誰も、答えなかった。
風が吹いた。
*
十七時。
二川宿に着いた。
本田と花が、宿の前で地面に座り込んだ。
「……足が……」
「……マメが……」
「情けない」
鈴菌が、足首を回しながら言った。
鈴菌も顔が引きつっていた。
宿に入ると、立派な本陣の造りが目に入った。
「大名が泊まるような宿ですか?」
「俺たちも今日は大名気分で泊まれということだな」
アプリが、草鞋を脱ぎながら言った。
*
【二日目 二川宿〜岡崎宿】
七時。
二川宿を出た。
吉田の城下を抜けて、御油宿へ。
松並木が現れた。
巨大な松が、頭上を覆っている。
道の両側に、ずらりと並んでいる。
幹が太い。
枝が曲がっている。
百年は生きていそうな顔をしていた。
「こういう道、バイクで走ったら最高でしょうね……」
本田が、松を見上げながら言った。
「歩いても最高だろ」
「そうなんですけど、足が……」
「黙って歩け」
*
赤坂宿に入ると、旅籠がひしめき合っていた。
その中に、大橋屋があった。
立派な造りの旅籠だ。
梁が太い。
廊下が長い。
昼休みに、縁側でお茶を出してもらった。
番頭が、丁寧に茶を注ぎながら言った。
「うちはもう何代も続いておりますので、どうぞごゆっくり」
「何代って、いつからあるんですか?」
「さあ……私も聞いたことがないほど昔からで」
花が、古い梁を見上げた。
(この宿、いつまで続くんだろう)
*
十六時半。
岡崎宿。
二十七曲がりの道筋が、迷路のように続いていた。
「なんですかこれ! わざと迷わせてますよね?!」
「城下防衛の工夫だな。攻めにくくするために複雑にしてある」
「現代もこのままなんですか?」
「さあな」
城下に入ると、味噌の香りが漂ってきた。
まるやという屋号の店の前を通った。
蔵が、いくつも並んでいる。
大きな桶が、外まではみ出していた。
「八丁味噌か。この辺りが本場だな」
アプリが、立ち止まって看板を読んだ。
「創業が……延元二年?」
「えん……げん? いつですか?」
「1337年だ」
全員が、蔵を見直した。
「五百年前から味噌を作ってる」
「…………」
しばらく、誰も言葉が出なかった。
*
【三日目 岡崎宿〜名古屋城下】
六時半。
矢作橋を渡った。
足のマメが、昨日より増えていた。
「鈴菌さん、足は?」
「聞くな」
「アプリさんは?」
「問題ない」
「……絶対嘘ですよね」
知立宿を抜けて、鳴海へ向かった。
*
有松に入ると、街並みが変わった。
絞り染めの布が、軒先に吊るされていた。
藍と白の模様が、風に揺れている。
竹田嘉兵衛商店の前で、花が足を止めた。
「綺麗……」
店先に、有松絞りの手拭いが並んでいた。
「これ、いつから続いてるんですか?」
番頭が、誇らしそうに答えた。
「慶長十三年からでございます」
「……慶長って、いつですか」
本田がアプリに耳打ちした。
「1608年だ」
「……また二百年以上前からの店だ」
花が、手拭いを一枚買った。
旅の記念にと、番頭が丁寧に包んでくれた。
*
熱田宿を抜けて、北へ向かった。
十七時半。
名古屋城下に着いた。
城が見えた。
金鯱が、夕日に光っていた。
「……でかい」
本田が、首を上向けた。
「三日歩いた末に見る天守閣はどうだ?」
「……バイクで来た時よりも、ずっとでかく見えます」
アプリが、少し笑った。
四人が、城を見ながら立っていた。
足は痛かった。
マメも潰れていた。
背中も重かった。
でも、悪くなかった。
本田が、スマホを城に向けた。
「この景色も、現代に帰ったらバイクで来たいですね」
「今度は名古屋まで走るか」
「絶対来ましょう。新居のうなぎも、大橋屋のお茶も、有松絞りも、まるやの八丁味噌も……あの店たち、現代でも続いてたら良いな」
花が、有松絞りの包みを抱えながら言った。
アプリが、遠くの城を見た。
「さあな」
*
名古屋城下の宿に荷物を下ろした。
本田が、畳に大の字になった。
「明日、伊藤圭介先生を訪ねます。……でも今日は、もう一歩も歩けません」
「歩かなくていい」
「ありがとうございます」
行灯が灯された。
四人の長い影が、畳の上に伸びた。
東海道三日間。
浜松から名古屋まで、百一里。
全部、足で歩いた。
名古屋の夜が、静かに更けていった。




