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【reverse 68 亀田川の逆勾配と、浜松からの密書】

 文久二年、五月。

 函館。


 武田斐三郎は、泥の中にいた。


 亀田川の上流。

 用水路の予定地だ。


 測量棒を持った助手が、叫んだ。


「先生! やはりここで三寸、足りませぬ!」


 斐三郎が、眉間を押さえた。


(……また三寸か)


 五稜郭の堀に水を満たすために、亀田川から水路を引く。

 それだけのことが、こんなにも難しい。


 重力は、融通が利かなかった。

 水は、低い方へしか流れない。

 それだけのことが、この地形では致命的だった。


 斐三郎が、測量図に新しい線を引いた。

 また、引き直した。

 また、引き直した。


   *


 現場に戻ると、石垣の音が響いていた。


 牛車が、箱館近郊から切り出した石を運び込んでいる。

 職人たちが、「武者返し」の石垣を積み上げている。

 星形の土手が、少しずつ形になっていく。


 郭の中央では、奉行所の庁舎が建ち始めていた。

 釘を使わない伝統的な継ぎ手と、西洋式の星形要塞。

 この国にしか存在しない、奇妙な建物が生まれつつあった。


 斐三郎は、その全部の責任を負っていた。


   *


 夜。

 諸術調所での講義を終えて、執務室に戻った。


 机の上に、書状が置いてあった。


 浜松からだった。


 杉浦助右衛門の名があった。


 斐三郎は、行灯の光に書状を近づけた。


   *


―――杉浦助右衛門より、武田斐三郎殿への密書――


 拝啓


 北の地、箱館にて五稜郭の築城に心血を注がれる貴殿の御勇健、遠き浜松の地よりお慶び申し上げます。


 さて、先日お伝えした「未来の図面」を描きし奇妙な若者、鈴菌すずきんなる者が、ついに名古屋の職人らと組み、理を覆す「揚水機械」を考案いたしました。

 貴殿が苦慮されている亀田川の逆勾配、これを「天の理(重力)」ではなく「人の術(圧力)」にて捩じ伏せる算段に御座います。


 これより記すは、奴が「ターボ揚水ユニット」と称する機械の核心に御座る。

 貴殿なら、箱館奉行所の職人らと共に再現可能と信じ、その詳細を書き記します。


 一、火床ボイラーの革新


 奴は「巨大なボイラーは不要」と断じました。


 缶体については、貴殿が大砲に用いる高品位な鋳鉄を使い、肉厚を通常の三倍に。これで十気圧という、欧州の軍艦をも凌ぐ高圧を閉じ込めます。


 煙管については、内部には名古屋の細工師に引かせた細き銅管を数十本通しなされ。これにより、僅かな薪にて瞬時に蒸気が沸き立ちます。


 安全弁については、重しではなく、鋼を巻いた弾機スプリングにて圧を抑え込みます。これで機械が激しく震えても、蒸気が漏れることは御座らぬ。


 二、摩擦の封印


 高回転という未知の領域へ踏み込むため、軸受けには「白い金属」を用います。


 軸受けについては、古き白銅鏡を溶かし、錫を混ぜた特製の合金を軸の隙間に流し込みなされ。これが驚くほど滑らかに軸を回します。


 潤滑については、鯨油に粘り強き植物油を混ぜ、ピストンの力で強引に軸へ油を吹き込みます。滴るのを待つのではなく、押し込むのが奴の流儀に御座る。


 三、水の螺旋インペラ


 これこそが亀田川の水を吸い上げる「魔の羽根」に御座る。


 羽根車については、瀬戸のマンガン鉱を混ぜた黄金色の銅を、蜜蝋の型で鋳造しなされ。形状は奴が図面に描いた「対数螺旋」。これが水を弾くのではなく、遠心力にて外へ叩き出します。


 封水については、水漏れは牛革に黒鉛を練り込んだものを、真鍮のネジで極限まで締め込みなされ。


 追伸


 斐三郎殿。奴は笑いながら申しておりました。「重力に負けるのは、回し方が足りないからだ」と。


 この機械が回れば、亀田川の水は物理の法を無視し、五稜郭の堀へと駆け上がるでしょう。図面の写しを同封いたします。箱館の寒風の中、この熱き火の箱が、貴殿の城に命を吹き込むことを願って止みません。


 いずれ、鈴菌自らがこの機械を載せた快速船にて、箱館の港へ乗り付けると豪語しております。その日を、どうか楽しみにお待ちくだされ。


 文久二年五月  杉浦助右衛門

 武田斐三郎先生 机下


―――


   *


 斐三郎は、書状を持ったまま、しばらく動かなかった。


 行灯の炎が、揺れた。


「……十気圧だと?」


 声が、出た。


「スプリング式の安全弁だと? ……馬鹿な」


 立ち上がった。

 執務室を、二歩、三歩と歩いた。


「だが、理に適っている!」


 書状を広げ直した。

 同封の図面を、机に広げた。

 行灯をもう一本、引き寄せた。


「……十気圧……。鈴菌とやら、正気か? そのような圧をかければ、今の鋳鉄ではひとたまりも……」


 指が、図面の上を走った。


「待てよ。この『肉厚三倍』と『マンガン配合』の記述……。もしこれが真実なら……亀田川から水を『押し上げる』ことができる……!」


 廊下から、足音が来た。


「武田先生、いかがなさいましたか? 夜更けにそんな大声を……」


 奉行所の役人が、顔を出した。


「……いや、すまん。ただ、今の日本に、私以上の『狂った夢』を見る者が現れたようでな」


 斐三郎が、図面から目を離さずに言った。


「おい、すぐに鋳物場の火を起こせ。鈴菌の言う『白い金属』とやら、我らも試すぞ!」


「は? 今すぐ、で御座いますか?」


「今すぐだ」


 役人が、急いで廊下を去った。


 斐三郎は、再び図面に向かった。


 対数螺旋のインペラ。

 煙管式ボイラー。

 白い金属の軸受け。


 全部が、筋道を持っていた。

 全部が、理に適っていた。


 だが。


(……何者だ、鈴菌とは)


 杉浦助右衛門は「奇妙な若者」と書いていた。

 浜松に現れた、素性のわからぬ旅人。

 未来の図面を描くと言われた男。


 斐三郎は、もう一度、書状の最初から読み直した。


 「重力に負けるのは、回し方が足りないからだ」


 その一言が、頭から離れなかった。


 五稜郭の堀を前に、斐三郎が何ヶ月も頭を抱えていた問題を、一言で言い切った男。


 函館の夜風が、窓を鳴らした。


 鋳物場に、火が起きるのが見えた。


 斐三郎は、図面を手に取った。


(……浜松か。いずれ、会いに行かねばなるまい)


 行灯の炎が、図面を照らしていた。


 五稜郭の夜が、静かに、熱く、動き始めた。


杉浦すぎうら 助右衛門すけえもん★★★

「東海道のチート級プロデューサー」

HP:1200

攻撃力:150

素早さ:800

知力:950

特殊スキル:【コネクション:日本全土】

全国の藩、商人、職人と繋がっている。無理難題も「私の紹介状」一枚で解決させる。

弱点: 鈴菌と本田の「現代用語カタカナ」が時々暗号に聞こえる。


武田たけだ 斐三郎あやさぶろう★★★★

「北の大地のリアル・アイアンマン」

HP:900

攻撃力:400

素早さ:50

知力:MAX(測定不能)

特殊スキル:【狂ったエンジニア・ソウル

未知の技術(鈴菌の図面)を見ると、深夜でも「今すぐ火を起こせ!」と周りを巻き込む発狂モードに突入する。

装備品:【泥まみれの測量図】

重力(天の理)に挑み続けた戦いの記録。


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