【reverse 67 ウォルターウルフカラーと、花からの手紙】
亜留斗の家に世話になって、一ヶ月が経った。
現代なら、GW真っ盛りの季節だ。
端午の節句の朝。
鈴菌が、工房の前に突っ立っていた。
全身、鎧姿だった。
赤と濃紺と金。
ウォルターウルフカラーの、派手な鎧だ。
どこぞの没落旗本が質入れしたらしい。
年上とはいえ自分の子孫である鈴菌を溺愛している亜留斗と佳那が、質屋で買い求めてきた。
鯉のぼりが、横で泳いでいた。
「鈴菌さ〜ん! 笑って〜!」
カシャ! カシャ! カシャ!
花が、スマホを向けて連写していた。
「せっかくソーラー充電したのにそんな事で電池を消費するな!」
鈴菌が、兜の中から怒鳴った。
無理もない。
バイクのエンジンをかけられないので、USBソケットが使えない。
小型のソーラー充電器でチビチビと充電するしか方法がないのだ。
「そろそろ、本格的にスマホの充電の事を考えないといけないな……」
アプリが、腕を組んで呟いた。
鎧姿の鈴菌も頷いた。
「やっぱり蒸気機関か……」
*
鈴菌がウォルフカラーの鎧を脱いだ。
そのまま、アプリと二人で工房に入った。
図面を描き始めた。
亜留斗が、少し離れたところから、二人の手元を見ていた。
何も言わなかった。
ただ、見ていた。
*
数日後。
鈴菌とアプリが、浜松宿の本陣を訪ねた。
杉浦本陣。
数百坪の敷地。
大名が宿泊する豪華な座敷。
東海道五十三次、浜松宿の顔だ。
杉浦助右衛門が、二人を座敷に通した。
図面を広げた。
助右衛門の目が、変わった。
「貴方達がこの図面を? 何故、ここまで蒸気機関について知ってるのですか?」
「まあ、常識的にそれくらいはな。逆にシンプル過ぎてまだまだ改良の余地はあるがな」
「これが本当に動くんですか?」
「まあ、厚手の鋳鉄次第だけどな。杉浦家の伝手なら、大砲を鋳造する技術を持つ鋳物師に特注できるだろ? 形状としては図面の通り縦型の円筒形だ。熱効率を上げるため、内部に銅管を通した煙管式に出来れば上等だな」
助右衛門が、図面を指先でなぞった。
反射炉の設計図を自ら引いてきた男の目だ。
この図面が何を意味するか、すぐにわかった。
「凄い……鋳鉄はこの浜松には工房があるのですが……わかりました。鋳物師に聞いてみましょう」
助右衛門が、裏書を用意した。
*
その裏書を、花が使った。
杉浦助右衛門の名で、花は手紙を一通、書いた。
宛先は、土佐藩・才谷屋。
春猪様と乙女様へ。
*
―――ここから、春猪の視点――
高知城下。
空気が、変わっていた。
吉田東洋が暗殺されてから、約一ヶ月。
城下の大通りを、白装束の男たちが闊歩している。
武市半平太率いる、土佐勤王党の志士たちだ。
揃いの格好で、鋭い眼光を飛ばしながら歩いている。
彼らにとって東洋暗殺は「正義」だった。
その正義が、今、城下を支配していた。
酒場では、ひそひそ声が絶えない。
次に狙われる幹部の噂。
「天誅」という言葉が、日常になっていた。
上士たちが怯えている。
下士が勢いづいている。
かつての城下とは、まるで別の街だ。
春猪は、買い物籠を抱えて、足早に家へ戻った。
*
才谷屋の奥座敷。
乙女が、縁側で茶を飲んでいた。
春猪が、封書を持って駆け込んだ。
「乙女ねえさん! 浜松から手紙が来ちゅうよ!」
「浜松?」
「花ちゃんから!」
乙女の表情が、ほぐれた。
二人で、並んで封を開けた。
*
花の字は、丸くて、元気だった。
乙女姉さん、春猪さん、お元気ですか。
私は今、浜松に滞在しています。
才谷屋でお世話になったこと、今でも毎日思い出しています。
龍馬さんは、すごく元気です。
私たちと別れた後、倉場という外国人の方と一緒に長崎へ船で向かったと思います。
龍馬さんは船の技術を学びたいって、とても嬉しそうに話していました。
世界と商いをするのが夢だと言って、笑っていました。
春猪は、そこで一度読む手を止めた。
(……龍馬兄さんが、笑っていた)
街に白装束が溢れたあの日から、ずっと胸に刺さっていた棘が、少し緩んだ気がした。
脱藩してくれてよかった。
本当に、よかった。
花ちゃんが連れ出してくれなかったら、龍馬兄さんはあの殺伐とした城下に残っていたかもしれない。
春猪は、続きを読んだ。
*
宍喰峠に盗賊が来たこと。
花が薙刀で三人を倒したこと。
龍馬さんが最後のリーダーを素手でアッサリ組み伏せたこと。
「……ぷっ」
春猪が、噴き出した。
「花ちゃん、薙刀できるがかえ!」
「さすがだよねぇ」
乙女が、目を細めて笑った。
*
弥太郎さんに三菱UFJの話をしてしまったこと。
同姓同名だとみんなで安心して爆笑したこと。
「乙女ねえさん、岩崎弥太郎って知ってますか?」
「安芸の岩崎家の倅ながかえ。知っちゅう知っちゅう。こじゃんと目つきの悪い男ながじゃ」
「花ちゃんたち、本物の弥太郎さんに会うちゅう!」
「……まあ、龍馬のことじゃき、驚かんよ」
*
関所をラバーマスクで突破したこと。
トランプが「開国シテクダサ〜イ!」と叫んで爆竹を投げたこと。
乙女が、腹を抱えた。
「あははははっ! 開国!! 龍馬がリンカーンっちゅう異人の面をつけちゅうがかえ!!」
「乙女ねえさん、声が大きいですよ!」
春猪が、慌てて障子を閉めた。
外では、白装束が歩いている。
障子の内側だけが、笑い声に満ちていた。
*
YOSAKOIを龍馬さんに教えたこと。
神領村の平家の落人たちと踊ったこと。
鹿のタツちゃんが広場に乱入したこと。
春猪が、読みながら笑って、泣きそうになった。
龍馬兄さんが、ソーラン節を歌っている。
その姿が、目に浮かんだ。
(……兄さん、楽しそうだね)
春猪は、膝の上で手を握り合わせた。
*
掛塚港で龍馬さんと別れたこと。
甲板から「達者でな!」と叫んでいたこと。
手紙は、そこで終わっていた。
乙女が、手紙を折り直した。
しばらく、二人とも黙っていた。
「……よかったよ。龍馬が、あの娘たちに会えて」
乙女が、静かに言った。
「うん。……ほんとに、よかった」
春猪が、頷いた。
縁側の外では、鏡川がさらさらと流れている。
美しい城下の風景だ。
でも、その川沿いを、また白装束が歩いていった。
二人は、見なかった。
手紙を、見ていた。
浜松の花ちゃんは、吉田東洋が死んだことを知らない。
この城下がどれほど怖い場所になったかを、知らない。
だから、手紙はあんなに明るかった。
龍馬の笑顔と、YOSAKOIと、ラバーマスクと、月夜の話だけが書いてあった。
春猪は、その手紙を胸に抱えた。
(花ちゃん、ありがとう。兄さんを連れ出してくれて、本当にありがとう)
才谷屋の奥座敷に、午後の日差しが差し込んでいた。
乙女が、もう一度だけ笑った。
外は、殺伐としていた。
でも、ここだけは、違った。
花からの手紙が、才谷屋の春を、もう少しだけ続かせていた。




