【reverse 63 東の果てと、羽根と月】
夜の倉場の館。
アプリと平七が、二人きりで話していた。
アプリが、頭を下げた。
「平七さんに頼みがある。俺たちは、また旅に出る。タツの事を頼みたい」
平七が、アプリの顔を見た。
真剣だった。
「分かっただに。俺と内のんの間にゃあ、まだ子供がおらんもんで。むしろタツが家に来てくれるっちゅうなら、嬶も喜ぶだに。本人が望むんなら、養女として迎え入れてもええと思っとるぞん」
アプリが、もう一度頭を下げた。
*
別の部屋では、龍馬と倉場がワインを飲んでいた。
祭りの余韻が、まだ残っていた。
龍馬が、本田から貰ったダイソーのソーラー計算機をポチポチと押して遊んでいた。
「Mr.龍馬、ソレ何?」
「こりゃあ『板ソロバン』ぜよ。けんど、文字が西洋のもんやき、見にくうて使えんがです。それに、計算するっぱあならソロバンの方が早い。……けんど、こうしてポチポチ押しゆうと、色んな数字が出てくるき面白いがです。倉場どの、おまんも触ってみんね!」
倉場が受け取った。
一秒後、目が変わった。
「Mr.龍馬!!!! コレハ、神ノ板デス! コレヲ譲ッテ欲シイ! Please!!」
倉場がテーブルの上に置いたのは、スミス&ウェッソン モデル2 アーミーだった。
「今ハ、コレシカ用意出来ナイケド、Mr.龍馬ニハ、今後、コレヨリ凄イライフル銃ヲ好キナダケ提供シマス!」
龍馬が、銃を手に取った。
ずっしりと、重かった。
「お花から貰うたチャッカマンに似て、こじゃんと格好ええねぇ! チャッカマンよりかはずっしり重いがですが……けんど、気に入ったぜよ! 計算機と交換ぜよ! わしも今あ、まだそんなに仰山のライフルはいらんき、ライフルはまた今度貰うことにするぜよ!」
龍馬がスミス&ウェッソンをニヤニヤしながら眺めた。
倉場がDAISOソーラー計算機をポチポチしながらニヤニヤした。
キッチンからは、タツの叫び声が聞こえていた。
花の料理で、今夜も味皇になっているようだった。
確実に、別れは近づいていた。
*
翌朝十時。
倉場に見送られて、六人が歩き出した。
バイクは、館に置いてきた。
ガソリンがほとんど残っていない。
残りの現代から持ち込んだ食材や調味料もほとんど使い果たした。
ボールペンやライター、ジップロック等も全て換金してしまった。
もう、自分の足で歩くしか残されていないのだ。
「こんなに歩くなんて高校の遠足以来だよ……」
「これがスズキの基本、二本脚の原点だ」
花がぼやいて、鈴菌が励ました。
本田が、花と並んで杖を使い始めた。
椿泊の入り江を離れると、道が険しくなった。
右手に、紀伊水道の蒼が広がっている。
見渡す限りの海だ。
*
十二時。
椿の原生林に入った。
昼間でも薄暗い、緑のトンネルだ。
大きな椿の木が、道の両側から覆いかぶさっている。
少し開けた場所で、花が握り飯を取り出した。
タツが一口食べた。
「うーまーいーぞぉぉぉっ!!」
誰も、聞いていなかった。
本田と花は、すでにヘトヘトだった。
*
十四時。
山を抜けると、蒲生田の集落が見えた。
石垣の家々が並ぶ、静かな漁村だ。
観光地としての姿は、何もない。
村人が、怪訝な顔で言った。
「岬へ行くのか? 何もないぞ」
六人は、東だけを見て進んだ。
*
十五時半。
四国最東端。
蒲生田岬。
遮るものが、何もなかった。
大海原と、断崖絶壁と、激しく打ち付ける波しぶき。
白い灯台は、まだない。
ただ、岬の先端が、世界の終わりのように突き出していた。
西に傾いた太陽が、六人の背中を長く伸ばした。
海面が、黄金色に染まっている。
本田が、岬の先端に立って、何かを待った。
何も、起きなかった。
「何も起こらないですね……」
「まだ分からんぞ? あの時も一晩寝てから、朝起きたらバック・トゥ・ザ・フューチャーだったからな」
龍馬が、単眼鏡を目に当てて、海の向こうを見ていた。
真剣な顔をしていた。
何かを、考えているようだった。
*
「暗くなる前に引き返そう」
アプリが言った。
六人が、来た道を戻り始めた。
本田と花は、疲労のピークだった。
杖をついて、トボトボと歩いている。
少し歩いたところで、花が止まった。
「ハァハァ……すいません……少し休めば歩けますから……ハァハァ……」
その瞬間。
龍馬が花の前に来た。
そのまま、花をおんぶした。
「龍馬さん! 降ろして下さい! 自分で歩けますから! 私、重いでしょ?」
龍馬が笑った。
花を降ろす気配が、全くなかった。
そのまま、スタスタと歩き続けた。
「お花あ軽いねぇ! 乙女ネーヤンに比べたら軽うて軽うて、まるで羽根を背負うちゅう気分ぜよ」
花が、何も言えなくなった。
龍馬の背中は、広かった。
温かかった。
歩くたびに、ゆっくりと揺れた。
花の心臓が、宍喰峠の夜から続いていたざわめきを、もう隠せなくなっていた。
*
アプリが、それを見ていた。
羨ましそうにしているタツと目が合った。
アプリが、タツを持ち上げた。
肩車だ。
「わっ! 高い!! 花よりも高い!!」
タツが大喜びで、アプリの頭を掴んではしゃいだ。
一行が、満月の下を歩いた。
波の音が、遠くから聞こえている。
夜の潮風が、髪を揺らした。
*
月が、海を照らしていた。
どこまでも、白く。
どこまでも、静かに。
龍馬が、その月を見ながら、背中の花に呟いた。
「お花、月がこじゃんと綺麗ぜよ。……まっこと、見惚れてしまうねぇ」
花が、息を呑んだ。
龍馬は、知らない。
その言葉が、遠い未来に、ある文豪が「愛している」と訳した言葉と同じ意味を持つことを。
ただ、月が綺麗だと思ったから、言った。
それだけだった。
でも花は、知っていた。
顔が、熱くなった。
龍馬に見えないように、その背中に顔を埋めた。
震える声で、答えた。
「……はい。月が綺麗ですね」
龍馬は、何も気づかずに歩き続けた。
満足そうに、月を見ながら。
花は、龍馬の背中に顔を埋めたまま、動けなかった。
宍喰峠の夜、剣を納めながら「お花、無事やったか」と言ったあの声。
そして今夜、「月が綺麗ぜよ」という、何気ない一言。
それで、十分だった。
*
「アプリのおっちゃん、月が綺麗だね! おっちゃんも見てみてよ!」
肩車のタツが、アプリに月を向けた。
「……女の子がそんな事を言うもんじゃない」
「え〜? なんで? 月が綺麗だよ!」
タツが首を傾げた。
「おっちゃんも見てよ! ねえ! 見て! ねえってば! 月が綺麗だってば! ねえ! おっちゃん! ねえ!」
タツの子供特有のしつこさが、全開になった。
アプリが、観念したように月を見た。
確かに、綺麗だった。
*
倉場の館が、灯りを灯して待っていた。
龍馬は、館の門まで花をおんぶしたまま歩いた。
一度も降ろさなかった。
花は、最後まで龍馬の背中に顔を埋めたままだった。
タツは、館の灯りが見えるまで「月が綺麗だよ!」と言い続けた。
月が、椿泊の海を照らしていた。
白く、静かに。
その光の中で、花の心に灯った火は、もう消えそうになかった。
正式名称 Smith & Wesson Model No. 2 Army
(通称:No. 2 Old Model Army)
型式 6連発
シングルアクション・リボルバー装弾数6発
32口径(.32 Rimfire / 8.13mm)
全長約25cm(6インチ銃身モデルの場合)
重量約790g(空虚重量)
作動方式チップアップ(Tip-up)式
有効射程約15m 〜 25m(当時の黒色火薬の威力による)




