【reverse 62 花の文化祭】
夜の帳が、神領村に下りた。
静寂を破ったのは、肉の焼ける匂いと砂糖の香りだった。
倉場が手配した異国風の屋台が、広場の端に並んでいる。
藍染の提灯が、幾重にも吊るされていた。
平家の落人の隠れ里とは、とても思えない華やかさだった。
そこへ。
ハスラー50とプレスカブとRS50のエンジン音が、夜の山に響いた。
*
「……来たぞん!」
平七が叫んだ。
闇の奥から、蒼い光の塊が現れた。
リンカーンとオロチのねぷただ。
和ろうそくの朱い揺らぎが、アルコールランプの蒼と混ざり合っている。
和紙に描かれたリンカーンの顔が、この世のものとは思えない光の中に浮かんでいた。
その顔は、どことなく龍馬に似ていた。
「構えろぉ!」
花の声が、夜の広場を貫いた。
*
龍馬が、ねぷたの台座に飛び乗った。
手に、リンカーンのマスクを掲げた。
腹の底から、声が出た。
「ヤーレン、ソーラン、ソーラン!!」
山々に、木霊した。
一瞬の間があった。
そして。
「ドッコイショ! ドッコイショ!!」
花に鍛え上げられた平家の落人たちが、一斉に地を蹴った。
一糸乱れなかった。
藍染の着物が、蒼い光の中で蝶のように舞った。
重厚なねぷたを担ぎながら、跳ね、回り、踊り狂った。
「波の花散る、ナ、土佐の海ぜよ!!」
龍馬が歌詞を自分流に変えて、拳を突き出した。
倉場が、目を見開いた。
平七が、口を開けたまま固まった。
黒鮫が、遠くから見ていた。
太刀を握る手が、震えていた。
その瞳に、涙が光っていた。
「見たか! これがスズキのフレームと、青森の魂の融合だ!」
鈴菌が、ハスラーのアクセルを煽りながら笑った。
*
その時だった。
最後尾で我慢していたタツが、限界を迎えた。
鹿のマスクを、跳ね飛ばした。
「……ンゴォォォォォォッ!!!」
タツが、広場の中心へ乱入した。
前脚を高く上げて、重力を無視するように跳ねた。
落人たちのYOSAKOIより激しく、龍馬の歌声より情熱的だった。
倉場の屋台からくすねた色とりどりのリボンを首に巻き付けて、蒼い光の中を電光石火で駆け抜けた。
「タツ、ソレ私ノ屋台ノリボン! デモ、Amazing!!」
倉場が叫んだ。
本田が、スマホのシャッターを切り続けた。
タツがリンカーンねぷたの周りを三回転半して、黒鮫の目の前でピタッと止まった。
前脚をクロスさせて、ドヤ顔をした。
黒鮫が、一瞬固まった。
それから、腹を抱えて笑った。
アプリが、シャッターを切った。
(……阿波の山奥で、土佐の龍馬が歌い、平家の落人がYOSAKOIを踊り、鹿がフィギュアスケーターのように舞う。……これが、新しい日本の夜明けなのかもしれない)
祭りは、翌朝まで続いた。
*
夜明けの光が差した頃、黒鮫が倉場の前に来た。
「素晴らしいモノを見たぜ! あんな地味な神輿で良ければ持っていけ! この村にはもうこの派手な神輿があるからな!」
黒鮫が、笑った。
倉場も、笑った。
二人の笑い声が、朝の神領村に響いた。
*
倉場が村人に頼んで、アークを椿泊の別邸まで運ぶ手配をした。
輸送費は、多めに払っていた。
それから、花に向かって言った。
「約束通リ、椿泊マデ案内シマスヨ」
平七が、その会話に加わった。
「俺も連れてってくりょ! そろそろ浜松まで帰ろうと思うもんで、俺も椿泊から船に乗って帰るだに!」
「ソレナラ、私ノ船ニ乗ッテクダサイ。私モアークヲ運ブタメ船ヲ手配シマス! 掛塚港マデ送リマス」
平七の目が、輝いた。
一同は、椿泊を目指して走り出した。
*
十時、神領村出発。
鮎喰川沿いを東へ向かった。
切り立った岩肌と、深い杉林が左右に迫っている。
ハスラーの二スト排気音が、山々に木霊した。
「えらい涼しいだに!」
平七が、後ろで叫んだ。
*
十三時。
府能峠だ。
急坂だった。
二人乗りのカブとハスラーには、きつかった。
途中から、押し歩きになった。
峠の頂上から、勝浦方面の山々が一望できた。
本田が、カブを止めてスマホを構えた。
幕末のパノラマを、黙って撮った。
鈴菌が、ハスラーのプラグをチェックしていた。
「熱ダレしてないか……よし、大丈夫だ」
*
十六時。
勝浦川の河原に着いた。
水が、豊富だった。
タツが馬を川に引いて、水を飲ませた。
夕日が川面に反射して、恐竜の里を思わせる断崖を赤く染めていた。
焚き火を囲んだ。
平七が、川魚を手に持ちながら言った。
「浜松の飯も旨いが、阿波の川魚もいけるだに」
龍馬が、魚を串に刺しながら笑った。
静かな夜だった。
*
翌朝九時、勝浦を出発した。
山を抜けるにつれて、潮の香りが混ざり始めた。
十一時。
福井川沿いの峠を越えた瞬間、視界が開けた。
遠くに、紀伊水道の蒼い海が見えた。
誰も、しばらく何も言わなかった。
*
十四時。
椿泊に着いた。
入り江に沿って、古い石垣の家々が並んでいる。
阿波水軍・森一族の本拠地だ。
無数の千石船が、静かに停泊していた。
そして、港の奥に、倉場が手配した大型船が待機していた。
平七が、息を呑んだ。
「……掛塚に負けとらん迫力だに!」
*
倉場の別邸は、港を見下ろす丘の上にあった。
石造りの頑丈な建物だ。
異国の調度品が、随所に置かれている。
一行が中に入ると、倉場が部屋を案内した。
アプリが、窓から港を見た。
海が、夕日に染まっていた。
ガソリンの残量を確認した。
ほとんど残っていなかった。
現代から持ち込んだ食料も、尽きかけている。
USBの充電も、もうできない。
小型のソーラー充電器だけが、残っている。
(……虚無僧が言った『東が吉』。その東の果て、蒲生田岬まで、あと少しだ)
アプリは、窓を閉めた。
外では、倉場が平七と何か話していた。
アークが届くまで、数日かかる。
それまで、ここで待つことになる。
龍馬が、別邸の縁側に腰を下ろして海を見ていた。
タツが、その隣に座った。
「おっちゃん……この海の向こうには何があるんだ?」
タツが、アプリに聞いた。
「故郷だ」
龍馬が、遠くを見たまま頷いた。
「そうじゃな。……わしも、いつかこの海の向こうまで行ってみたいものぜよ」
椿泊の夕暮れが、海を金色に染めていた。
蒲生田岬は、もうすぐそこにある。




