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【reverse 60 失われた聖櫃と、失われない遊び心】

【reverse 60 失われた聖櫃と、失われない遊び心】


 二日後。


 平七が、BDUパンツを仕上げてきた。


 藍色だった。

 鮮やかな、深い藍色。


 倉場が受け取って、手触りを確かめた。

 縫い目を引っ張った。

 ポケットに手を入れた。


「Perfect……! コレデ剣山ニ登レマス!」


 平七が、腕を組んで頷いた。

 職人の顔をしていた。


   *


 その夜。


 行灯の光が揺れる宿の一室で、本田がリュックを漁っていた。


 明日のルートのメモを取るために、製図用の定規とコンパスを取り出した。


 その瞬間。


 倉場の顔から、色が消えた。


「……! ソ、ソレハ……Square and Compasses!」


 ガタッ。


 椅子が鳴った。

 倉場が立ち上がっていた。

 震える指が、本田の道具を指差している。


「You……皆サン、Brothers デスカ!? コノ時代、コノ日本ニ、私以外ノ『石工』ガ居ルナンテ!」


「え? あ、いや、これはただの文房具で……いしく? いしくって何ですか?」


 倉場は聞いていなかった。


 部屋の扉を閉め切った。

 声を潜めて、全員の中心に座り直した。


 目が、ギラついていた。

 さっきまでのビジネスマンの目ではなかった。


「秘密ハ守リマス。貴方達ガ『未来』ノ道具ヲ持チ、剣山ヲ目指ス理由……ヤット分カリマシタ。狙イハ『Ark』デスネ?」


「あーく??」


 全員が、首を傾げた。


 倉場が、深く頷いた。


「YES。失ワレタ聖櫃。ソロモン王ノ秘宝デス。私ハ長年、ソレガ日本ノ剣山ニ隠サレテイルト信ジテ、調査ヲ続ケテキマシタ」


「待ってください倉場さん、僕らはただの旅人で……」


「隠サナクテイイ! コノ日本ノ夜明けニハ、ソノ力ガ必要デス。アークノ中ニアル聖ナル物ヲ掘リ出ス……ソノタメニ、皆サンハ来タノデスネ?」


 鈴菌が、本田の耳元で囁いた。


「……おい本田。これ、完全に俺たちの事を誰かと間違えてないか? その定規とコンパスが待ち合わせの目印だったんじゃないのか?」


 本田が、小声で返した。


「違います、ただの文房具です……!」


 倉場の熱量は、止まらなかった。


 懐から、古びた羊皮紙の地図を取り出した。

 剣山の頂上付近に、赤い印がついている。


「剣山ハ、ピラミッドデス。人工ノ山デス。私ハ椿泊ニ別邸ヲ作リ、海路カラ聖櫃ヲ運び出スルートモ計算済ミデス。サア、明日ハ貴方達ノ鉄ノ馬デ、私ヲ聖地へ導イテクダサイ!」


 アプリが、その様子をじっと見ていた。


(……龍馬、弥太郎、平七。そして倉場。こんなアホっぽい倉場が日本の歴史に絡んでくるはずがないな……)


 本田が、手の中の定規とコンパスを見つめた。

 ただの文房具が、今は恐ろしい運命の鍵に見えた。


   *


「ところで、その『あーく』いうがは一体何ながです? お花は知っちゅうがかえ?」


「アーク、アーク……アークスってスーパーなら知ってますけど……アプリさんならわかりますか?」


「知らん」


「倉場さん、アークって日本語で訳せますか? 私たちにはアークって言葉の意味がわかりません」


「Oh! 失礼シマシタ! ソウデスネ……アーク……御神輿デスカネ。very very old ノ御神輿デス」


「古い御神輿……」


「古い神輿らあて、この日本にゃあ仰山あるきに。どれがその『あーく』いうがながか、分かるがぜよ?」


 倉場が、目を輝かせた。


「Oh、リョーマ! ソレハ、タダノ神輿ジャアリマセン。全身ガ眩シイ黄金デ覆ワレ、上蓋ニハ二体ノ伝承ノ天使ガ、翼ヲ広ゲテ向カイ合ッテイマス。ソノ翼ノ間カラハ、神ノ怒リノ雷鳴ガ轟キ、不浄ナ者ハ一瞬デ焼キ尽サレル……ソレコソガ、私達ガ探シ求メル『アーク』ノ姿デス!」


「なるほど、天使の御神輿は珍しいね」


「てんし……? そりゃあ一体、何ながですか?」


 龍馬と平七とタツが、揃って首を傾げた。


 本田が、リュックからチョコボールを取り出した。


「この羽のある赤ちゃんが天使ですよ」


 パッケージを開けて、それぞれの手に配った。


 龍馬とタツと平七が、一粒ずつ口に入れた。


 三人が、同時に複雑な顔をした。

 甘すぎたようだ。


 倉場だけが、美味そうに食べていた。


 本田が、今度はラムネを取り出した。


 龍馬が一粒口に入れた。


「本田! 口の中で雪が溶けるように消えて、鼻を突き抜けるような、まっこと涼しい風が吹いたぜよ! ……それになんじゃ、頭の芯が、パーッと明るうなったがやき!」


「この水色の筒、ガラスじゃねぇだに! 指で押すとベコベコ凹むだに! ……本田、この魔法の塊あ、どれっぱあ食えば、俺あ三日三晩寝ずに仕事ができるだらか!?」


 平七の目が、ランランと光り始めた。


 タツが、三粒目を口に入れようとした。


 アプリが、タツを抱えて部屋から出ていった。


   *


 落ち着いたところで、平七が口を開いた。


「脳がしゃっきりしたおかげで、思い出したことがあんぞん。この藍住の近くにある神領村で、その『てんし』が付いた御神輿を見たような気がするだに。黄金ってえよりあ、地味な感じの不思議な神輿だったのん。……おそらく金箔が剥がれ落ちたあとのような質感だったが、てんしみたいなもんが飾られた、たまげた神輿だったぞん!」


「Oh my God! 神領村ナラ近イデスネ?」


 本田がツーリングマップルを開いた。


「はい。明日の昼には着きますよ!」


 倉場が立ち上がって、拳を握った。


 こうして明日は、まず神領村から調査を始めることになった。


 花とアプリとタツが、布団に向かった。


   *


 残ったのは、鈴菌と龍馬と平七と倉場だった。


 ラムネのブドウ糖が、四人の脳を活性化していた。


 鈴菌が、ノートにボールペンで三本の柱を書き殴った。


「いいか、お前ら。アークだか何だか知らねえが、そんな重い箱を運ぶのに必要なのは、黄金の天使じゃねえ。『軽量・安価・高剛性』……これだ!」


 龍馬と平七と倉場が、身を乗り出した。


「SUZUKIっていうのはな、二輪の世界に革命を起こした魂だ。ハスラーの2ストエンジンは、排気量以上のパワーを叩き出す。チャンバーの形状で排気タイミングを制御して、パワーバンドに入った瞬間に別次元の加速をする。わかるか? これはただの乗り物の話じゃない。『最小で最大を生み出す』っていう哲学の話だ!」


 鈴菌の声が、速くなっていった。


「龍馬! お前が感動したリンカーンのマスク、あれは自由の象徴だろ? でもスズキはもっと自由だ! 道がなけりゃ道を作る。ハスラーが発売された時、国内の二輪メーカーが全員『こんなデザインのバイクが売れるわけない』って笑ったんだよ。でも売れた! なぜかわかるか? お客が求めていたのは『かっこよさ』じゃなくて『遊び心』だったからだ!」


「……遊び心……! まっこと、ハスラーが弾けるちや!」


 龍馬が叫んだ。

 ラムネのブドウ糖が、鈴菌の無茶苦茶な理論をスルスルと頭に流し込んでいる。


「そして平七、お前だ!」


 鈴菌が、ラムネのボトルを大事に抱えている平七を指差した。


「お前はモトラの頑丈さに惚れた。気持ちはわかる。でもモトラはホンダだ。スズキじゃねえ。……いいか、スズキの本当の凄さはな、シンプルさに宿ってるんだよ! 余計なものを全部削ぎ落として、必要な機能だけを究極まで磨き上げる。飾り立てることに金を使うんじゃなくて、動くことに全部注ぎ込む。それがスズキ・スピリットだ!」


 鈴菌がスマホをポケットから出して、SUZUKIのバイクの画像を平七に見せながら言い続けた。


「見ろ、このフレーム。無駄な肉が一切ない。骨だけだ。でもその骨が、どんな悪路でも折れない。これが本物の強さだ!」


 平七の目が、これまでにないほど真剣になった。


 ラムネのボトルを置いた。


「削ぎ落とす……無駄を省く……。そうか、俺あ、綿を織る機械を作るとき、いつも飾り立てることばかり考えてたぞん。……そうじゃねぇ。動くための骨だけあればええんだに!」


 倉場も、砂糖たっぷりのコーヒーを飲み干して、震える手でメモを取った。


「Amazing……! Cheap but Strong……コレハ、貿易ノ真理デス! SUZUKIノ魂ヲ世界ニ広メレバ、日本ハ世界最強ニナリマス!」


 鈴菌が、ラムネを一粒口に放り込んだ。


「そうだ! わかってきたじゃないか! いいか、これから俺が本当のことを教えてやる。スズキの創業者は静岡の浜松でな……」


 部屋の隅で、本田が溜息をついた。


「……完全にスズキの宗教勧誘になってる。あんなに目がバキバキな龍馬さん、初めて見たよ……」


 アプリが、部屋の入口からその様子を見た。


 シャッターを切った。


(……歴史が動く音は、いつもこんな風に、狂気とブドウ糖の香りがするものらしい)


 鈴菌の布教は、夜明けまで続いた。


 藍住の夜が、SUZUKIイズムと失われた聖櫃の夢に満ちていた。


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