【reverse 57 薙刀部先鋒、参ります】
午後三時半。
室戸市・吉良川。
白壁の土蔵が、街道沿いに続いている。
お遍路さんの姿が、ちらほら見えた。
白い着物と、菅笠。
この道は、昔からずっとお遍路の道だ。
一行は、その流れに溶け込むように走った。
*
午後五時。
東洋町・甲浦。
土佐最東端の港町だ。
入り江に、帆船がひしめいている。
大坂へ向かう御用船。
飛脚船。
港沿いに、鯨肉と木材を扱う商家の蔵が並んでいた。
潮の匂いと、何か豊かな匂いが混ざっている。
龍馬が、またしても五分で戻ってきた。
両手に、鯨肉と軍鶏を抱えていた。
「お花、これっぱあでどうかえ!」
花が、鯨肉を見て少し固まった。
「鯨……作ったことないな……」
アプリが言った。
「函館で食べた鯨の竜田揚げ、旨かったな」
「そう言えば食べましたね。あの竜田揚げ」
本田が頷いた。
「竜田揚げなら作れます! 龍馬さん、菜種油ももう一本買ってきてもらえますか?」
龍馬が、すでに駆け出していた。
*
甲浦関所の手前で、アプリがツーリングマップルを広げた。
「林道はありそうですか?」
「これだけでかい街だ。この時代の林業は乱獲の嵐だ。現代よりもかえって山は切り開かれてるぞ」
アプリが、地図の上を指先でなぞった。
宍喰峠。
木こりが丸太を運ぶための道が、頂上まで続いている。
一行は、薄暗い峠道へ入った。
「本当にほぼ伐採されてますね」
「この時代の木材は建築だけじゃなくて燃料でもあるからな」
山肌が、むき出しになっている場所が多かった。
現代の宍喰峠とは、まるで別の山だ。
急坂では原付を押し歩いた。
何度も、押し歩いた。
それでも、頂上付近の広場に出た時、みんなが息を吐いた。
平らな地面。
近くに沢の音。
「今夜は、ここだ」
*
テントを張った。
焚き火を起こした。
花が竜田揚げの仕込みを始めた。
本田が米を研いでメスティンにセットした。
アプリと龍馬とタツが、沢へ水を汲みに行った。
峠の広場に、鈴菌と本田と花の三人が残った。
焚き火が、静かに燃えている。
醤油と生姜の香りが、夕暮れの山に広がり始めた。
その時だった。
*
木陰から、男が出てきた。
一人じゃなかった。
四人。
見るからに、ガラが悪かった。
目が、据わっている。
腰に、ドスを差している。
先頭の大男が、斧を肩に担いでいた。
その大男が、本田に近づいた瞬間、
問答無用で殴り飛ばした。
本田が、地面に転がった。
「金目の物は全て置いてけ! 女は俺が貰う!」
大男が、焚き火の向こうで命令した。
別の男が、鈴菌の首元にドスを当てた。
鈴菌の懐を探り始めた。
倒れた本田にも、男が近づいて荷物を漁った。
花は、その光景を見ていた。
恐怖は、なかった。
代わりに、静かな怒りが来た。
花は、モトラのそばに目をやった。
地面に、竹が落ちている。
長めの竹だ。
花は、それを拾った。
モトラに跨った。
エンジンをかけた。
大男に向かって、静かに、はっきりと言った。
「あなた達は盗賊ですか。死にたくなければすぐに立ち去りなさい」
四人が、花を見た。
笑った。
花は、笑わなかった。
竹を正眼に構えた。
「青森明の星高校 薙刀部先鋒 花、参ります」
*
モトラが、動いた。
鈴菌にドスを突きつけている男へ向かって、一直線に突っ込んだ。
花は、竹の穂先を絞った。
喉元へ。
モトラの全速力と、竹の突きが重なった瞬間。
男が、吹き飛んだ。
鈴菌が、転がった男のドスを即座に蹴り飛ばした。
結束バンドを取り出して、男の手足を縛った。
花は、モトラを反転させた。
本田を踏みつけていた男二人が、花に向き直った。
花は、竹を薙刀の要領で横に振った。
一人の膝を払った。
崩れたところへ、逆袈裟に打ち込んだ。
もう一人が、斬りかかった。
花はモトラごと後退して間合いを外し、
踏み込んできた男の手首を竹で巻いて弾いた。
二人が、地面に伏せた。
本田と鈴菌が走り寄り、結束バンドで拘束した。
*
残るは一人。
大男だ。
斧を持ち直して、花の前に立った。
花は、モトラを降りた。
正面から向き合った。
大男が、斧を振り上げた。
花が竹で受けた。
バキッ。
竹が、折れた。
花の手に、半分の竹が残った。
大男が、笑った。
花は、下がらなかった。
短くなった竹で、大男の斧の柄を払った。
払い切れなかった。
斧が、花の肩をかすめた。
花の足が、一歩後ろへ滑った。
大男が、距離を詰めた。
花は踏み込んで喉元を突いた。
大男が、首を傾けてかわした。
そのまま、斧の背で花の竹を叩き落とした。
竹が、地面に転がった。
大男が、斧を持ち直した。
花は、素手だった。
後ろへは下がれない。
崖だ。
大男が、一歩踏み込んだ。
花は、目を閉じなかった。
*
風が来た。
人の動く気配が、横をすり抜けた。
気づいた時、大男は地面に伏せていた。
片腕を後ろへ折り曲げられて、身動きが取れなかった。
その上に、龍馬がいた。
刀は抜いていない。
素手だった。
龍馬は、大男の腕を一本で押さえたまま、花を見た。
「お花、無事やったか? 間に合うて、まっこと良かったちや」
花は、答えなかった。
答えられなかった。
目の前にいる龍馬が、漫画の中の龍馬と重なって見えた。
あの、修羅の刻の龍馬。
あの目だ。
花の心臓が、一回だけ大きく跳ねた。
(……あ)
それだけだった。
でも、それだけで十分だった。
花は、龍馬から目を離せなくなっていた。
*
四人の盗賊が、全員拘束された。
タツが、戻ってきた。
水桶を持ったまま、固まった。
「……おっちゃん、何がありましたか?」
「食事中に説明する」
タツが、竜田揚げの香りに気づいた。
固まったまま、鼻をひくひくさせた。
盗賊の処遇を話し合う声が続いているが、
タツにはもうそれが届いていなかった。
*
竜田揚げが、揚がった。
花がメスティンの蓋を開けた。
白い湯気が、夜の峠に噴き上がった。
タツの前に、黄金色の揚げ物と、炊きたての白飯が置かれた。
「……!! ぶ、ぶはぁぁぁぁぁっ!!」
タツが、天を仰いで絶叫した。
「な、なんだこの香りはぁぁっ!! 醤油と生姜の香ばしさが、鼻孔を突き抜けて脳の芯まで直接ノックしてくる! メリットの爽快感すら霞むほどの、圧倒的な食の暴力だぁぁ!!」
タツが、震える手で鯨の竜田揚げを口に放り込んだ。
「……んんんんっ!! ぬおぉぉぉぉっ!!」
「衣がサクッと鳴った瞬間、中から肉厚な鯨の滋味が黒潮の如く溢れ出してきたぞ! 噛めば噛むほど、おいらの体が巨大な鯨になって大海原を回遊しているような気分だぁぁぁ!!」
タツが、軍鶏の竜田揚げを齧り、白飯をかき込んだ。
「……っはぁぁぁぁ!! うーまーいーぞぉぉぉっ!!」
「軍鶏の弾力! この濃い脂! まるで戦場を駆け抜ける武士のような気高い旨味だ! それをこの銀シャリが、優しく、かつ完璧に受け止めている!!」
タツが、空になったメスティンを抱えてひっくり返った。
「お姉ちゃん……おいら、さっきの山賊に殺されて、今度こそ本当に極楽浄土に来たんだね……!」
龍馬が、揚げたての竜田揚げを何個も食べながら笑った。
「まっこと! わしもこれっぱあ旨いもんは食うたことがないちや! 弥太郎の奴、これを食わずに田んぼへ帰るとは……一生の不覚じゃのう!」
*
拘束されたまま、盗賊たちも見ていた。
腹の虫が、鳴っていた。
花が、盗賊たちの手の結束バンドを切った。
「抵抗しても龍馬さんにはかなわないのはわかってるよね? これ、余った分だから。あなた達も食べなさい」
盗賊たちが、恐る恐る竜田揚げを受け取った。
一口、食べた。
「……あ、熱っ! う、うめぇ……なんだこれ、本当にこの世の食い物かよ……」
頬に深い傷のあるリーダーが、メスティンの底に残った最後の一粒の米を指ですくい上げた。
「……!! ぐ、ぐわああぁぁぁぁっ!!」
「なんて優しくて、力強い味なんだ……! 衣に染みた醤油の香ばしさが、俺の腐った根性まで焼き払っていくようだぁぁ! 鯨の肉を噛むたびに、自分が犯してきた罪の重さが、旨味という名の涙に変わって溢れてきやがる……!!」
男の目から、涙がこぼれた。
「おい、お前ら……。俺たちは、今まで何をやってきたんだ……」
他の三人も、口の周りを醤油と脂でテカらせながら、泣きじゃくった。
「兄貴……俺、こんなに白い飯、生まれて初めて食いました……。これを奪おうとしたなんて、俺はなんて罰当たりな人間なんだぁぁっ!!」
リーダーが、花の前に這いつくばった。
「お師匠様。……俺たちは、山を下りる。この飯を食って、目が覚めた。いつか自分たちの手で、この真っ白な飯を作れる人間になりてぇんだ!!」
四人の盗賊が、何度も頭を下げながら、山を下りていった。
足取りは、どこか晴れやかだった。
*
タツが、不思議そうに呟いた。
「おっちゃん……あの人たち、急に泣きながら帰っちゃったね。ニベアの魔法より強力だったのかな?」
アプリが、空になったメスティンを片付けながら言った。
「空腹は最強の攻撃で、飽食は最強の防御だってことだ。本田、あの盗賊たちの改心が本物なら、来年あたり、弥太郎の田んぼのライバルになってるかもしれないな」
「あはは、それなら平和でいいですね! でもアプリさん、僕たちの竜田揚げ、半分以上持っていかれちゃいましたよ?」
花は、追加の竜田揚げを揚げ始めていた。
鈴菌が、予備のガソリン缶を叩いて笑った。
「いいじゃねえか。盗賊を農民にクラスチェンジさせたんだ。その授業料だと思えば安いもんさ。……さあ、夜明けは近いぞ。阿波の国境を越えて、徳島へ向かうぜ!」
花は、揚げ鍋を見ながら、龍馬の言葉を思い出していた。
「お花、無事やったか」
その声と、あの目。
(……困った)
花は、揚がった竜田揚げを無言でバットに並べた。
宍喰峠の夜が、静かに更けていった。
炊きたてのご飯の香りと、竜田揚げの脂の匂いが混ざり合っていた。
月が、峠の上に出ていた。




