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【reverse 56 アダムスキーの円盤と、幕末の盲点】

 大山岬の風が、波音を運んでいた。


 弥太郎が、砂の上にジェットストリームで幾何学模様を描いている。

 夢中になっている。


 本田が、その様子を見ながらアプリに言った。


「幕末の人はどうして原付よりもボールペンの方に興味を持つんですかね?僕はもっと原付で走れば人が寄ってくると思ってましたよ」


 アプリは、水平線を見たまま、静かに口を開いた。


「本田、心配しすぎだ。……お前、1970年代の『アダムスキー型円盤』の話を知ってるか?」


「え? 宇宙人のUFOですよね? 矢追純一さんの……」


「そうだ。あの頃の世界中の人間は、あのタコ焼き器みたいな変な形の円盤を見ても、『宇宙人の乗り物だ』って本気で信じてた。でも今の俺たちが同じ写真を見れば、一瞬で偽物だと断定できる。なぜだと思う?」


「えーと……空気抵抗とか? 物理的にあんな形じゃ真っ直ぐ飛べないって分かったからですか?」


 アプリが、頷いた。


「その通りだ。人類が『飛行の理屈』を理解して初めて、あの形状のデタラメさが浮き彫りになった。……逆に言えば、理屈を知らない時代の人間にとって、理解を超えた物体は『驚異』ですらなくなるんだよ」


 アプリは、砂の上に転がっているハスラー50のチャンバーを指差した。


「幕末の連中にとって、俺たちが押し歩いてる原付は何に見えると思う? 『未来の乗り物』か? 違う。……ただの、『やたら重くて、形が複雑な、出所不明の粗大ゴミ』だ」


「粗大ゴミ……」


「ああ。エンジンの仕組みも、ガソリンの匂いも、プラスチックの質感も、彼らの脳内辞書には一単語も載ってない。理解の取っ掛かりがないものは、脳が勝手に『風景の一部』として処理してスルーするんだ。だから夜須の街を堂々と通っても、誰も立ち止まらない」


 本田が、ゆっくりと周囲を見回した。


 才谷屋で何日も過ごした。

 乙女さんも、春猪も、奉公人たちも。

 誰も、原付を見てそれ以上踏み込んでこなかった。

 「からくり馬」と呼んで、それで終わりだった。


「……そう言えば、才谷屋の人たちも、沢村さんも、田中光顕さんも、原付を見てもほぼ何も言いませんでしたね」


「そういうことだ。理解の枠がないものは、脅威にもならない。……大正時代ならヤバかった。連中は蒸気機関や自動車を知ってるからな。そうなれば『なんだこれは!』って群衆が押し寄せて、俺たちは今頃、役所に捕まってる。……でも今は幕末だ。『無知』っていう強力なステルス機能が、俺たちを守ってるんだよ」


「……なるほど。だからあんなに堂々と押し歩いても、変な目で見られるだけで済んでるんですね」


「そういうことだ。……ただ、一人だけ。あの、三菱のジェットストリームを握りしめてる男だけは、その『風景』に違和感を感じ始めてるみたいだがな」


 アプリがそう言った瞬間、弥太郎がふと顔を上げた。


 不敵な笑みを浮かべて、アプリを見た。


「……おんしゃあ。この筆も、その『鉄の塊』も、どこぞの理で作られちゅうがじゃ。……わしには、それが『未来から降ってきた、商いの種』に見えてならんちや」


 アプリは、視線を逸らした。


 冷めたつみれ汁を、黙って飲み干した。


   *


 龍馬も、桂浜で原付を初めて見た日のことを思い出していた。


 あの日、龍馬はすぐに「乗りたい」と言った。

 沢村惣之丞は、ZIPPOの構造を一瞬で「再現できる」と判断した。


坂本龍馬とここいる岩崎弥太郎の同姓同名の男だけが、原付を「風景」として処理しなかった。


 時代の先を行く人間と、そうでない人間の差は、たぶん知識の量ではない。

 目の前の「わからないもの」に、面白がれるかどうかだ。


 龍馬が、RS50のハンドルをぽんと叩いた。

 嬉しそうに笑った。


   *


 弥太郎が、椀の底まで飲み干した。


 深い溜息をついた。


「……坂本。この筆も、その鉄の塊も、まっこと魂が震えるような代物じゃ。……けんど、わしゃあ行かんといかん。明日は田んぼの代掻きがあるがじゃ。ここで油を売っちょったら、親父に叩き殺されるきに!」


 弥太郎が、バッと立ち上がった。


「え? 弥太郎さん、もう行っちゃうんですか? これからお茶を煎れようと思ったのに」


 花が声をかけたが、弥太郎はすでに歩き出していた。

 泥のついた脛をパパッと叩きながら。


「未来がどうちゃあ、異国の理がどうちゃあ言うたち、腹が減ったらおしまいぜよ! 飯、ご馳走になったのう。この『じぇっとすとりーむ』は、わしが天下を取るまで大事に使わせてもらうきに!」


 弥太郎が、ボロボロの笠を深く被り直した。


 一度も振り返ることなく、街道の向こうへ消えていった。


 ジェットストリームが、弥太郎の懐の中にある。


 三菱製の。


   *


 午後二時。


 室戸市・羽根。


 羽根川を越えると、人家が減った。

 波音が、近くなった。


 太陽が南の空に昇りきって、太平洋を巨大な鏡に変えていた。


「……まぶしいっ!! おっちゃん、海が燃えてるよ!」


 アプリの前に乗り馬の首にしがみついているタツが叫んだ。

 ニベアで潤った頬に、潮風が当たっている。


 舗装のない土道が、海岸線に沿ってうねっている。

 ガードレールも電柱もない。

 視界の九割が、青だ。

 水平線が、丸みを帯びてどこまでも続いている。


 道の左側に、アコウやウバメガシの低木が這うように生い茂っていた。

 濃緑の壁が、海風に揺れている。


 ベベベベンッ!!


 龍馬のRS50が、鈴菌のハスラー50を追い越した。


 前傾姿勢で、風を受け止めている。


「ガハハハ! お花、本田! 見てみいや、この海の広さを! わしゃあ、こんな速さで羽根の浦を駆け抜ける日が来るとは思うちょらんかったちや!」


 龍馬の声が、2stの排気音にかき消されて後ろへ流れた。


   *


 本田は、プレスカブのアクセルを一定に保ちながら、バックミラーを見た。


 背後に、室戸の切り立った岩肌が続いている。

 逆光の中で、波しぶきが光っている。


(……幕末の羽根岬。ここにはまだ、テトラポットも信号も、文明のノイズが一つもない)


 本田の目に、その景色が「純粋な地球の素顔」に見えた。


 片手でスマホを構えた。

 この「歴史の断片」を、動画に収めた。


「アプリさーん! 最高です! 幕末の風、めちゃくちゃ美味いです!」


「本田、前見ろ! 石に乗り上げたら、この時代のJAFは助けに来てくれないぞ!」


 鈴菌が横から怒鳴った。


   *


 羽根の集落を抜けると、道が険しくなった。


 波打ち際ギリギリを通る、ゴロゴロ石の道だ。

 原付のサスペンションが悲鳴を上げた。

 泥除けが跳ねた小石で、カラン、カランと音を立てた。


乗りながらの走行が難しくなったので全員揃って押し歩く。


 浜で地引き網を直していた漁師たちが、顔を上げた。


 一行を見た。


 それから、また網に目を戻した。


 原付が何なのか、わからなかったのだろう。

 わからないものは、怖くない。

 怖くないものは、追わない。


 アプリの言う「ステルス機能」が、今日も静かに作動していた。


 一行は、誰にも邪魔されることなく、文久二年の青い風の中を進んでいった。


 タツが、アプリの背中から身を乗り出して叫んだ。


「おっちゃん! 海の向こうには何があるんだ!?」


「未来だ」


「未来……!」


 タツが、水平線を見た。

 目が、輝いていた。


 その背後で、龍馬が同じ水平線を見ていた。


 同じ目をしていた。


 2stの排気音が、波音に溶けていった。







当方も現在、

強力なステルス機能が作動中につき、

なかなか読者に見つかりません。


もし「ここに面白い話があるぞ!」と認識できた希少な方がいらっしゃいましたら、評価・ブクマで座標を示していただけると幸いです。



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