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【reverse 52 自分の足で】

 翌日、食材が届いた。


 米。

 餅。

 豆。

 梅干。

 佃煮。


 花が、目を輝かせた。


「これだけあれば最東端まで大丈夫だね!」


「あとは沢村さんの準備を待つだけだね」


 四人が、食材を手分けして荷物に詰め込んでいた。


 その時、蔵の扉が開いた。


 乙女と、春猪だった。


 珍しかった。

 乙女が蔵に入ってくるのは、初めてだ。


   *


 乙女が、四人を見渡した。


 それから、深く頭を下げた。


「皆々様、よう聞きとおせ。この頼りない龍馬を、おんしゃあらと一緒に旅へ連れて行っちゃあくれまいか?」


 乙女が、続けた。


「沢村殿も行ってしまうし、このままじゃあ、この男はまた高知の城下で、のうが悪い手持ち無沙汰な暮らしに逆戻りしてしまいそうながよ。けんど、おんしゃあらとなら、この龍馬も真っ直ぐついて行く気がするがやき。どうか、皆々様の方から龍馬を誘うてやってはくれんか。わしからも、この通り頼みますきに!」


 花が、困った顔でアプリを見た。


「それは脱藩させろってこと?」


「花と皆さんならきっと出来ますよね?」


 春猪が続けた。


 アプリが、静かに言った。


「それは龍馬さんが決めることだ。龍馬さんが来たいと言うなら一緒に来れば良い」


 乙女が、ぱっと顔を上げた。


「分かった! 任せちょき。あがな弱虫の龍でも、わしがひと睨みして尻を叩けば、『行くき、行かせてくれ!』って、自分から泣いて縋るように言わせてみせるき。案じなよ!」


 それだけ言って、乙女は蔵から出ていった。


 扉が、閉まった。


   *


 春猪が、花の前に立った。


 寂しそうな顔だった。


「きっともうそろそろ出発なんだよね?」


「うん、沢村さんの準備が出来たら出発だよ」


「そっか……寂しいな……」


「きっと、これからは春猪ちゃんでも自由に旅が楽しめるような社会になるから安心してよ!」


 アプリと鈴菌が、一瞬、花を止めようとした。


 でも、二人の別れを邪魔することは、しなかった。


 春猪の目が、少しだけ輝いた。


「本当に? それなら、必ず花に会うために私、津軽まで行くからね! それに……」


 春猪が、本田を見た。


「私も本田には負けてられないから、私も蝦夷地へ行くからね!」


「うん! 春猪さんならきっと蝦夷地まで行けるよ! 蝦夷地って本当に美しいよ!」


「うん! 私も蝦夷地に必ず行くよ!」


「函館にはリリーさんって言う親切な人もいるからさ、困った時は探してみてよ」


「リリーさん? わかったよ! ちゃんと覚えたよ!」


 そう言って、春猪も蔵から出ていった。


   *


 扉が閉まった瞬間、アプリが静かに言った。


「本田……残念ながら、今の時代にはリリーはいないぞ」


「あっ! そうだった! なんか幕末って事を忘れてました! まあ、良いか……まさか、本当に春猪さんが北海道まで行くわけないですよね?」


「それはわからないよ? 春猪ちゃんは龍馬さんよりも活発で頭も良いからね! 明治になった瞬間に旅には出ると思う……」


「そうかもね。春猪さんならきっと蝦夷地まで行けるかもね……」


 蔵の中が、静かになった。


 四人は、出発の時を待った。


   *


 その夜。


 才谷屋の奥座敷に、乙女と龍馬がいた。


 行燈の灯りが、二人の顔を照らしている。


「おんしゃあ、沢村殿から誘われちゅうがやろ? 何して行かんがな! 日本の国のために働こうとは、これっぽっちも思わんがかえ!」


 龍馬が、少し黙ってから言った。


「惣之丞も武市先生も、むつかしい事ばっかり言うき、実に、何を言いゆうがだか、さっぱり分からんがぜよ。攘夷いうがは、一体全体どんな事を言いゆうがな? ……ありゃあ、人の名前かなんかかえ?」


 乙女が、天井を仰いだ。


「あちゃあ! おんしゃあ、そがいなところから教えんといかんがかえ?」


 でも乙女は、怒らなかった。


 少しだけ間があって、乙女は静かに続けた。


「攘夷いうがは……まあ、えい。そんな小難しいことは、今のあんたには知らんでもえい。肝心ながは、龍、おんしゃあこのまま家に引きこもっちょって、本当にえいと思うちょるがか、いうことぜよ!」


 行燈の炎が、ゆれた。


「花や本田を見て、何とも思わんがかえ? 政治のことが分からんがなら、せめて、あがな若者らあの後ろをついて行きなさい! そこで世の中を見てきなさい、いうがよ!」


 龍馬は、畳を見ていた。


 しばらく、黙っていた。


 花の顔が、浮かんだ。

 津軽から土佐まで、一人で旅をしてきた娘。

 本田の顔が、浮かんだ。

 薩摩から蝦夷地まで、十七歳で走り抜けた若者。


 二十八歳の自分は、船と徒歩でで江戸までは行ったことがあるが、自分の意思で土佐を出たことさえない。


 龍馬が顔を上げた。


「そうか、分かったき。わしも、惣之丞や本田らあと一緒に行くぜよ。たしか、惣之丞は長州へ行くと言いよったし、本田らあは阿波の国へ行くそうじゃ。わしは、どっちについて行けばえいがかなぁ?」


 乙女が、少しだけ微笑んだ。


 それは、妹を叱り続けてきた姉の顔ではなかった。

 弟を送り出す、姉の顔だった。


「そこから先は、全部おんしゃあが自分で決めなさい。どっちへ行くか、何を成すか……。もう、わしが口を出すことじゃあないき」


 乙女が、続けた。


「自分の足で歩いて、自分の眼で世の中を見て、『これだ!』と思う道を、真っ直ぐに進むがよ!」


 龍馬は、しばらくその言葉を口の中で転がした。


 自分の足で。

 自分の眼で。


 乙女が、また微笑んだ。

 龍馬も、笑った。


 二人の顔に、行燈の灯りが揺れていた。


   *


 才谷屋の夜が、静かだった。


 仁淀川の音は、ここまでは聞こえない。

 高知城下の夜の音だけが、遠くから来ていた。


 乙女は、その夜、龍馬が初めて自分の言葉で「行く」と言ったことを、

 誰にも話さなかった。


 ただ、行燈の灯りを消して、静かに眠った。


 龍馬も、自分の部屋で、久しぶりに、すぐに眠れなかった。


 縁側から、夜の高知城下が見えていた。


 いつも見ていた景色だ。

 でも今夜は、少しだけ違う顔をしていた。


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