【reverse 51 モブかと思ったらモブじゃ無かった件】
「ここが龍光寺か……」
アプリは、鳥居を見上げた。
巨大な鳥居だ。
石造りの柱が、青い空に向かってまっすぐ立っている。
鳥居の向こうに、急な石段が続いている。
石段の先に、本堂の屋根が重なるように見えた。
その脇に、稲荷社の朱色が見える。
仏と神が、同じ境内に並んでいる。
門前に、茶屋が並んでいた。
参拝客が、軒先の縁台に腰を下ろしている。
馬が、繋ぎ場で尾を振っている。
賑やかな声と、線香の匂いが混ざっていた。
アプリは、馬繋ぎにアプリリアを預けた。
タツに声をかけた。
「ここで待ってろ」
石段を、一人で登り始めた。
*
石段は、急だった。
両脇に、杉の大木が立っている。
根が、石段の脇まではみ出している。
苔が、石を覆っている。
上るにつれて、茶屋の声が遠くなった。
代わりに、鳥の声が近くなった。
本堂の前に出た。
香炉から、煙が細く上がっている。
手を合わせている老人がいた。
子供連れの参拝客がいた。
アプリは、本堂の前に立った。
賽銭を入れた。
手を合わせた。
真剣に、言葉を選んだ。
「薬師如来様、稲荷大明神様、間違ってたら申し訳ない。俺たちが何か失礼なことをしただろうか?それなら、謝る。俺たちがこの時代で歴史に干渉してしまう前に、元の時代に戻してほしい……」
煙が、風に流れた。
答えは、なかった。
鳥が、一羽、本堂の屋根から飛び立った。
それだけだった。
「無駄足だったか……」
アプリは、石段を降りた。
*
茶屋に戻ると、タツが駆け寄ってきた。
「仙人様! たった今、虚無僧が来て『東が吉』って言ってたよ。仙人様のことを知ってるみたいだったよ?」
「虚無僧……?」
アプリは、思い出した。
第一番札所。
霊山寺の境内。
あの男の、声。
「何処だ!?」
アプリは、辺りを見回した。
茶屋の客。
参拝客。
馬繋ぎの馬。
虚無僧の姿は、どこにもなかった。
「東か……」
アプリは、空を見た。
東の方角に、山が重なっている。
*
来た道を、戻った。
アプリリアの背に揺られながら、アプリは考えた。
東。
高知から東と言えば、徳島方面だ。
お遍路の順番で言えば、阿波から始まる。
(逆打ちで出発した、あの道に戻れということか)
タツが、馬の前で黙って歩いている。
いつもと違うアプリの顔を見て、何も言わなかった。
仁淀川の音が、また寄り添い始めた。
*
数日後、アプリが才谷屋に帰ってきた。
蔵の扉を開けると、本田と花と鈴菌が顔を上げた。
「早かったですね!」
「ほとんど馬で移動できたからな」
「何か収穫はありましたか?」
「龍光寺では収穫ゼロだ。ただ、馬童が虚無僧から『東が吉』と言われたらしい」
本田が、少し考えた。
「それって……あの時の虚無僧……ですか? ……いや、こんなわけないか……」
蔵の中が、静まり返った。
霊山寺の境内で口元だけ動かしていた、あの男。
あの時の言葉が、また、どこかに響いた気がした。
「お茶、入れてきますね」
花が、蔵から出ていった。
*
母屋に入ると、春猪と乙女が待ち構えていた。
「お花、おんしゃ、龍馬と一緒にならんかえ? うちあ、おんしゃが龍馬の嫁になってくれたら、こじゃんと安心ながやけんど……」
「この家で一緒に暮らそうよ」と言って春猪が花の手を取る。
花は、固まった。
二人が、じっと見ている。
花は、ゆっくりと口を開いた。
「乙女さん、春猪ちゃん、凄くありがたい話なんだけど、私には無理だよ」
「龍馬あ、たしかに、しゃんとせん情けない男ながやけんど、あいつぁ、必ず世に出る男ぜよ! お花にゃあ、けっして苦労はさせんはずやき、安心して嫁いできや!」
「乙女さん、結婚が嫌なわけじゃないんですよ。私はまだ旅の途中なんです。モトラに色んな思い出を見せてあげる約束をしたんです。だから、まだ旅を辞められません! まだ見たことのない景色は沢山あるんです。この土佐にもね…。ここで止まったらモトラもガッカリすると思うんです」
乙女と春猪が、少しだけ残念そうな顔をした。
でも春猪が、すぐに笑った。
「やっぱりね! 花ならそう言うと思ってた。乙女ねーやん、諦めよ!」
「さすがはお花ぜよ! おんしゃの話を聞きよったら、うちあらあも、いつか、どこぞ遠うの街まで旅ができるような気がしてくるちや!」
「私もいつか蝦夷地まで必ず行くよ! 花は津軽なんだよね? その時は花の家にも遊びに行くよ!」
花は、二人の手を取った。
「必ず、そんな未来が待ってるからね! 津軽に来た時は必ずウチに泊まってよね!」
三人が、固く手を繋いだ。
*
湯をもらって蔵に戻りながら、花は虚無僧の言葉を思い出していた。
東が吉。
(きっと、そろそろここを出ていくことになるんだろうな……)
花は、極力明るい顔で蔵の扉を開けた。
*
その日から、アプリと鈴菌がバイクの整備を始めた。
本田が、二人の作業を見ながら聞いた。
「東となると、RS50とハスラー50なら何処まで走れそうですか?」
「四人分の携行缶を合わせても徳島が限界だな?」とハスラーを弄りながら鈴菌が答えた。
「まあ、行けるところまで走ってみれば良いさ」馬に乗れるアプリは余裕の表情で答える。
「こういう時の2stは不便ですね」
「三十キロ以上出さなければ2stでもそこそこ燃費は稼げる。最東端までなら十分足りる」
花も、モトラを磨きながら言った。
「いつ出発ですか?」
「恐らく徳島まで三日あれば着く。明日にでも三日分の食料を龍馬さんたちに買ってきてもらおう。準備が整い次第だ」
花は、黙ってモトラを磨き続けた。
雑巾が、モトラのタンクをゆっくりと撫でた。
*
翌日。
蔵の中には、いつものように六人が集まっていた。
本田、アプリ、鈴菌、花、龍馬、そして沢村惣之丞。
「龍馬さん、沢村さん、実は食材の買い物を頼みたいんです」
「食い物か? それなら、ウチにあるもんは何でも好きに使いや! 足らんもんがあったら、奉公人に言いつければ何でも揃えてくれるき。遠慮はいらんぜよ!」
「実はそろそろ僕らは旅に出るんですよ。その旅に必要な食材なので、才谷屋の食材を使う訳にはいきません。自分たちが旅で使うために買わないとね」
本田は明るくさもそれが当然かのように答えた。
龍馬と沢村惣之丞が、顔を見合わせた。そして沢村新之丞が4人と龍馬に向かって少し声のトーンを落として答える。
「そりゃあ丁度ええ。龍馬、わしも近々、長州の高杉さんのところへ行こう思いよったがじゃ。おんしゃあらあは、どこへ向かいゆうがな?」
「僕たちは徳島県……じゃなくて、阿波国に向かいます!」
「それなら、番所の抜け道はわしが案内しちゃるき、安心しや。ところで龍馬。おんしゃあも、長州まで一緒に来んか?」
「わしが? 土佐から出るかっちゅうがか? いやいや、そりゃあ流石に無理ぜよ。せっかく商いも上手いこといきゆうに、脱藩なんて、そんな大それたことできんき!」
「まあ、龍馬ならそう言うわな。けんど、今のままじゃあ、おんしゃあ武市先生にええように使われるだけぜよ?」
蔵の中が、静かになった。
本田が、アプリを見た。
アプリが、鈴菌を見た。
鈴菌が、花を見た。
花が、本田を見た。
四人の表情が、同時に固くなった。
「まずは食いもんの買い出しじゃな。明後日まで待っちょいてくれ。わしの方も旅の仕度があるき、明後日までには、この蔵に要るもんを届けさすぜよ」
沢村惣之丞が、蔵を出ていった。
龍馬も、何か考えている顔で出ていった。
*
四人だけになった。
「花さん! これって龍馬の脱藩じゃないの?」
「う〜ん……私、おーい!竜馬は一回しか読んでないのよ……どうだったかな……」
「逆にここが龍馬の脱藩だとしたら、今の龍馬さんが脱藩できるようには見えないぞ?」
「なるようになる。俺たちは歴史干渉さえしなければ問題ない。だから、余計なことをしないでおこう」
四人が、頷いた。
歴史干渉は、しない。
絶対に。
蔵の外で、才谷屋の算盤が鳴っていた。
誰も気づいていなかった。
田中光顕と龍馬を引き合わせたこと。
沢村惣之丞にZIPPOを渡したこと。
春猪に「蝦夷地まで必ず行ける」と花が言ってしまったこと。
全部、すでに起きていた。
四人は、ただ、算盤の音を聞いていた。




