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【reverse 46 天下の逸品と、two-finger salute】

 蔵の扉が、勢いよく開いた。


 龍馬と沢村惣之丞が、飛び込んできた。


 二人とも、息が上がっている。

 目が、輝いている。


 数日ぶりの帰還だった。


   *


 金三十両。


 アプリが、その数字を聞いた時、黙って頷いた。

 本田が「さんじゅうりょう……」と口の中で繰り返した。

 鈴菌が、口笛を吹いた。

 花が、目を丸くした。


 アプリが、手数料を計算した。

 龍馬に五両。

 沢村惣之丞に五両。


 龍馬は、黙って懐にしまった。


 沢村惣之丞は、両手で受け取った。

 しばらく、その手の中の金を見ていた。

 それから、深く頭を下げた。


「……こ、これっぱあのもん、まことにかまんがぜよ!? おんしゃあらあ……いや、主よ。まっこと、何と言うて礼を言うたらええか分かりゃせん。これっぱあがありゃあ、しばらくの間、軍資金にゃあ何ちゃあ困ることはありゃせんきな!……おんしゃあらあの志、この惣之丞、一生忘れやせんぜよ!」


 頭を下げたまま、動かなかった。


 その隣で、龍馬はあっけらかんとした顔をしていた。


「龍馬! おんしゃあも礼を言わんかい!」


 沢村惣之丞が、頭を上げずに怒鳴った。

 龍馬が、少し驚いた顔をした。


   *


 龍馬が、四人を見渡した。


「……そんな事ぁ、もうええぜよ! わしゃあ、まっこと商いが面白うてたまらんがじゃ!」


 その目が、さっきまでと違った。


 縁側で昼寝をしていた時の目ではない。

 朝帰りして乙女さんに怒鳴られていた時の目でもない。


 何かに火がついた目だった。


「のう、主よ。まだ何か、売りたいもんは残っちょらんかえ? わしゃあ、もっと、もっと商売がしてみたいがぜよ! 遠慮などせんと、何でもわしに任せてみいや! おんしゃあが持っちゅうもんなら、どんな得体の知れんもんであっても、わしが天下の逸品として売り捌いてみせるきな!」


 鈴菌が、アプリを見た。

 アプリが、本田を見た。

 本田が、花を見た。


 花が、少しだけ口元を緩めた。


(ようやく来た)


 四人が、同じことを思った。


 花が、リュックを開けた。

 ミレービスケットの小袋を取り出した。

 龍馬に二袋。

 沢村惣之丞に二袋。

 手渡した。


 龍馬が、沢村惣之丞に袋の開け方を教えてやっている。

 沢村惣之丞が、恐る恐る一枚食べた。

 目が、細くなった。


   *


「龍馬さんはまだ何か売りたいんですか? それなら、これなんかどうですか?」


 本田が、ポーチから百円ライターを取り出した。


 ミレービスケットをボリボリと食べている龍馬と沢村惣之丞の目の前で、火をつけた。


 パチン。


 小さな炎が、蔵の薄暗がりに揺れた。


 二人が、固まった。


 龍馬が、前のめりになった。

 沢村惣之丞が、腰を浮かせた。


「な、なんじゃ、これは……!」

「火打石も使わずに、指一本で……!」


 本田からライターを受け取って、二人は交互に火をつけた。

 何度も。

 何度も。


 それを見て、アプリが箱マッチをちゃぶ台に置いた。

 花がチャッカマンを置いた。

 鈴菌が、オイルライターと小さな缶を置いた。


「温泉宿の千円ガチャで出た安モンだ」


 クランキーコンドル柄のZIPPO型ライターだった。

 コンドルが、羽を広げている。

 安っぽい、でも確かに細かい絵だ。


 龍馬と沢村惣之丞が、それを覗き込んだ。


「こ、このコンドルの彫り……なんと見事な細工じゃ……!」

「まるで生きちゅうようぜよ……!」


 案の定、龍馬が言った。


「……のう、わしにも一つ、くれんかえ?」


 花が、一番大きなチャッカマンを龍馬に差し出した。


「ダイソー品なんだけどね……」


 龍馬は、嬉しそうにチャッカマンを懐にしまった。


   *


 沢村惣之丞は、チャッカマンには手を出さなかった。


 ZIPPOライターを、鈴菌から受け取った。

 使い方を、真剣に習った。

 蓋を開ける。

 ホイールを回す。

 炎が出る。


 何度も繰り返した。

 オイルの補充もやってみた。

 指についたオイルの匂いを、確かめた。


 百円ライターやチャッカマンとは違う。

 この構造は、仕組みさえわかれば、職人の手で再現できる。


 沢村惣之丞が、小さく呟いた。


「……こりゃあ、えげつない技術ぜよ。こいつを、高杉さんのところへ持っていきさえすれば……長州どころか、天下の情勢を、ガラッと変えてしまえるかもしれんぞ……!」


 蔵の中に、その言葉が落ちた。


 本田は、花の作ったほうじ茶豆乳ラテを飲んでいた。

 花は、自分のカップを両手で包んでいた。

 鈴菌は、天井を見ていた。

 アプリは、ツーリングマップルを眺めていた。


 誰も、沢村惣之丞の呟きを気に留めなかった。


 蔵の外で、才谷屋の算盤が鳴っていた。


   *


 翌朝。


 まだ夜が明けきらない時間だった。


 才谷屋の周りに、人影はない。

 早朝の空気が、ひんやりと静かだ。


 アプリが、才谷屋の門の前に立っていた。


 着物を着ていた。

 ちゃんとした、幕末の旅支度だ。

 リュックではなく、背負子を背負っていた。

 テントやアウトドアグッズを括り付けた、がっしりとした背負子だ。

 右手に、ツーリングマップルを持っていた。


 本田と花と鈴菌と龍馬が、見送りに出ていた。


「気をつけてくださいね! 本当は僕も行ってみたかったんですけどね……」


「本田は馬に乗れないだろ」


「そうですよね……。そのうち乗馬も教えてくださいね」


 アプリが、本田を見た。

 何も言わなかった。


 振り返った。


 歩き出す前に、右手の人差し指と中指を立てた。

 two-finger salute。

 それだけだった。


 アプリが、早朝の道を歩いていった。

 背負子が、遠ざかった。

 ツーリングマップルが、遠ざかった。

 やがて、角を曲がって、見えなくなった。


 本田は、その角をしばらく見ていた。


 龍馬が、隣で大きく伸びをした。


「まっこと、面白い男じゃのう」


 誰も、それに返さなかった。


 早朝の才谷屋に、朝日が差し始めた。

 静かな朝だった。


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