【reverse 44 風来坊たちと、遠い蝦夷地】
叔父上は、本当に情けない人だと思う。
28歳にもなって、権平父さんと伊予の義母上から小遣いをせしめては、毎晩どこかへ飲みに出かける。
朝帰りして縁側で昼まで寝ている。
乙女姉やんに首根っこを掴まれて稽古に引きずり出される。
また寝る。
それが、今の坂本龍馬という人の一日だ。
乙女姉やんと同じ師匠に鍛えられたとは、本当に思えない。
剣だけは別格だけど、それ以外は全部、ただのダメな大人だ。
そんな叔父上が、ある朝、見たこともない四人を連れて帰ってきた。
*
最初は、正直、怖かった。
四人とも、着ているものがおかしい。
布の質感が、見たことのない種類だ。
男の三人は、腰に刀を差していない。
女の子は一人いて、片方は私と同じくらいの年に見えた。
叔父上が「ちくと訳ありでな」と笑って誤魔化すから、余計に不安になった。
でも、その「私と同じくらいの年」の女の子が、翌朝、台所に入ってきた。
「あの、一緒に作ってもいいですか?」
そう言って、背負子の中から、見たことのない粉や豆を取り出したのだ。
*
花、という名前だった。
花が作ったのは、おからを使ったお菓子と、ほうじ茶に豆乳を混ぜた飲み物だった。
乙女姉やんが「何ぞこれは!」と目を丸くして、一口食べた瞬間に「旨い!」と叫んだ。
あの乙女姉やんが、だ。
私も食べた。
サクサクしていて、甘くて、でも重くない。
飲み物は、ほうじ茶の香ばしさと豆乳のまろやかさが混ざって、不思議なくらい落ち着く味だった。
縁側に三人で座って、それを食べながら話した。
気づいたら、半日が経っていた。
*
花の話は、どんな講談師の話よりも面白かった。
花は、津軽から旅をしてここまで来たという。
津軽から。
土佐まで。
女の身で、ひとりで。
私は、思わず聞き返した。
「本当に? 一人で?」
「一人じゃなかったけど、ほとんどモトラの上では一人みたいなものでした」
花が笑いながら言った。
その笑い方が、ちっとも嘘くさくなかった。
美しい霧の湖で野宿して、焚き火を囲んでお茶をしたこと。
草津の湯に入ったこと。
江戸で迷子になったこと。
迷子の話で、私と乙女姉やんが笑い転げたら、花も一緒に笑った。
その時、この子は大丈夫だ、と思った。
*
でも、もっと驚いたのは本田という男の子の話だった。
本田は、まだ17歳だという。
いや、旅の途中で18歳になったと言っていたか。
その本田が、薩摩から蝦夷地まで一人で旅をしたというのだ。
薩摩から、蝦夷地まで。
私は地図で見たことがある。
どれだけ遠いか、想像もできない距離だ。
それを、からくり馬に乗って、17歳の男の子が一人で走り抜けた。
花も、本田の影響で旅を始めたと言っていた。
なんだか、わかる気がした。
あの子の話を聞いていたら、どこへでも行けそうな気がしてくる。
縁側から見える空を、私はしばらく眺めた。
(蝦夷地は、どんな空をしているんだろう)
いつか自分も行けるだろうか。
才谷屋の娘が、蝦夷地まで。
……無理かな。
でも、花だって津軽から来たんだ。
*
そんなある日、四人がひそひそと話し合いをしていた。
リーダー格のアプリ殿が、何か龍馬に相談を持ちかけていた。
内容はよく聞こえなかったけれど、「龍光寺」という言葉だけ聞こえた。
伊予の寺だ。
龍馬が、珍しく真剣な顔をして頷いていた。
数日後。
アプリ殿が、旅立った。
朝早く、荷をまとめて、才谷屋を出ていった。
見送りは静かだった。
花が「アプリさんなら大丈夫」と言った。
その顔が、心配しているのに信じてもいる、という不思議な顔だった。
本田が「僕も行きます」と言ったら、アプリ殿に一言で断られていた。
「馬に乗れないだろ」
本田が黙った。
乗れないのだろう。
でも、アプリ殿は乗れるということだ。
土地勘もない余所者が、馬に乗って伊予国まで一人で行く。
あの落ち着いた物腰と、迷いのない目。
武家の出だと思う。
それも、相当の。
*
アプリ殿が去って、才谷屋が少し静かになった。
龍馬も、珍しく寂しそうな顔をしていた。
でも三日もしたら、また鈴菌殿と連れ立って夜の街へ出かけていた。
相変わらずだ。
鈴菌殿は、叔父上と一緒にいると、なぜかその場が明るくなる人だ。
豪快で、よく笑って、変なことを言う。
でも、嫌な感じが全くない。
龍馬もあの人といる時は、子供みたいに楽しそうだ。
本田は、毎日、蔵に入ってからくり馬を磨いている。
丁寧に、本当に丁寧に磨く。
まるで、大切な友人に接するみたいに。
それを遠くから見ていると、なんだか胸が温かくなる。
*
今日も縁側で、花と並んで座っている。
花が、おからクッキーを一枚くれた。
私は受け取って、一口かじった。
庭の向こうで、本田が蔵から顔を出した。
そっちを眺めていたら、花が言った。
「春猪ちゃんは、旅に出たいとか思わない?」
私は少し考えた。
「思う」
素直にそう言えたのは、花がそう聞いてくれたからだと思う。
「どこへ行きたい?」
「蝦夷地」
花が、目を丸くした。
それから、ぱっと顔を輝かせた。
「いいね。絶対行けるよ、春猪ちゃんなら」
根拠は何もない。
でも、花に言われると、なんだか本当のことのように聞こえた。
縁側に、秋の風が通り抜けた。
才谷屋の空が、今日も広かった。
蝦夷地の空は、もっと広いんだろうか。




