【reverse 43 拝啓、才谷屋にて…】
私たちが才谷屋で暮らして、数日が経ちました。
今日も乙女さんと春猪さんと三人で、縁側に座っています。
手の中には、ほうじ茶豆乳ラテ。
膝の上には、おからクッキーの小皿。
幕末の土佐で、こんなオシャレなティータイムができるなんて、才谷屋に来るまでは思ってもみませんでした。
「おまんらあは、本当に珍しいもんをこしらえるのう!」
乙女さんが、豪快に笑いながらおからクッキーをバリバリと食べています。
春猪さんが、上品に一口かじって目を丸くしています。
私は19歳で、歴史の教科書でしか知らないこの時代に来て、今ここにいます。
*
この時代に来て一番驚いたのは、みんなの「一日」が太陽と完全にシンクロしていることです。
朝は、とにかく早い。
夜明けと共に、家じゅうの奉公人さんが動き出します。
庭を掃く音。
かまどから上がる煙の匂い。
それで、目が覚めます。
現代なら、スマホのアラームを三回くらいスヌーズして「あと五分……」って粘るところだけど、ここでは太陽に「起きろ」って言われているみたいで、不思議と背筋が伸びちゃうんです。
食生活も、最初は「オーガニックで健康的!」なんてはしゃいでたけど、実際はかなりシビアです。
基本は一汁一菜。
玄米に近いご飯と、お味噌汁と、漬物。
現代のSNS映えする「丁寧な暮らし」を、強制的にレベル100まで上げたような感じです。
でも、驚くのはその「旨味」。
出汁を丁寧にとって、旬の野菜をそのまま食べる。
本田くんが「余計な添加物がないから、舌がリセットされる気がする」って言ってたけど、確かにコンビニ飯に慣れてた私の胃袋が、日に日に浄化されていくのがわかります。
でも、やっぱり肉が恋しい……!
「乙女さん、お肉って食べないんですか?」
って聞いたら、
「獣の肉を食うたら、体が穢れるぜよ」
って、真顔で言われてしまいました。
幕末の常識、強固です。
そんな時、本田くんが蔵の奥で「金ちゃんヌードル」のカップを愛おしそうに眺めているのを見かけると、ちょっと切なくなります。
彼にとっての「故郷の味」は、百六十年後の徳島の製粉所にあるんだもんね。
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19歳の私の目から見た幕末の暮らしは、不便の塊です。
洗濯は手洗い。
お風呂を沸かすのも一苦労。
夜は暗い。
本当に暗い。
蝋燭の光だけで、こんなに夜って暗いんだって、ここに来て初めて知りました。
でも、こうして女子会で乙女さんたちの話を聞いていると、みんな今の瞬間を全力で生きてるんだなって、伝わってきます。
スマホがない。
だから、みんな誰かの顔を見て、声を聴いて、笑う。
それが一番贅沢なことだって、この才谷屋に来て、ようやく気づき始めた気がします。
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正直、女子会の話題はだいたい「あの身勝手な弟」のことになります。
そう、坂本龍馬さんのことです。
今の彼に、歴史の教科書にある「維新の英雄」のオーラは、微塵もありません。
一言で言えば、ただの「何者でもないニート」です。
お兄さんや義理のお母さんから、それこそ「貰いすぎじゃない?」って引くくらいの額のお小遣いをせしめては、アプリさんと鈴菌を連れて繁華街へ繰り出し、しばしば朝帰りをキメてきます。
お酒の匂いをプンプンさせて帰ってくる彼を見ていると、「日本を洗濯する前に、自分の生活態度を洗濯した方がいいよ」って、19歳の私もさすがにマジレスしたくなります。
昼間はたいてい、縁側でだらしなく寝ています。
それを見つけた乙女さんの怒声が、才谷屋に響き渡ります。
「この、たわけが! おまん、いつまで寝ちゅうがか!」
首根っこを掴まれて、無理やり剣の稽古に引きずり出される龍馬さん。
その姿は英雄というより、「お姉ちゃんに逆らえない不甲斐ない弟」そのものです。
春猪さんが、遠い目をしてほうじ茶をすすっています。
慣れているのでしょう。
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実は私、青森明の星高校で薙刀部だったんです。
多少は武道の心得があるつもりで、乙女さんと何度か立ち会わせてもらいました。
全然、これっぽっちも、歯が立ちませんでした。
乙女さんの強さは、なんというか、質量が違います。
薙刀を構えた瞬間に空気がピリついて、一歩踏み込まれただけで「あ、私、今ここで終わったな」って、本能で悟っちゃうレベルです。
乙女さんは、私の憧れです。
心から尊敬する、最強の女性です。
そして、あんなにだらしない龍馬さんも、竹刀を握ると別次元になります。
漫画の「修羅の刻」に出てくるような、シュッとした超絶イケメン剣士を期待していたら、現実はもっと泥臭くて、野性的で、圧倒的に速かった。
「あんなに朝帰りして寝てただけなのに、なんであんなに強いの?」
そのギャップに正直、ガッカリを通り越してちょっと腹が立ちます。
私の部活三昧の三年間を返してほしいくらい。
漫画の龍馬さんを期待していた私からすれば、イメージ崩壊もいいとこです。
でも、乙女さんにボコボコにされて「痛いぜよ、姉やん!」って笑っている彼を見ていると、これが百六十年前のリアルな坂本龍馬なんだなって、少しだけ不思議な気持ちになります。
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今日の稽古も終わったみたいです。
縁側に、三人でまた座り直しました。
おからクッキーが、まだ少し残っています。
次の話題は、本田くんが乙女さんにウッカリ言ってしまった「ラーメン」のことを、どう説明しようかな、と考えていた、その時。
障子の陰から、顔が覗きました。
龍馬さんです。
「花、そのおからクッキー、わしにも一枚くれんか?」
私は、溜息をつきました。
乙女さんが「こらっ!」と立ち上がりました。
春猪さんが「あらまあ」と苦笑いしました。
縁側に、また笑い声が響きました。
やっぱり、どう見ても。
百六十年後に歴史の教科書に載る英雄には、今の彼は全然見えません。
ただの、食いしん坊なニートにしか見えません。
……でも、なんでだろう。
才谷屋の縁側が、今日もすごく居心地がいいんです。




