【reverse 39 桂浜の夜明けと、コスプレじゃない男】
久しぶりに、寺がない朝だった。
成川渓谷キャンプ場を出た。
四台のエンジンがかかった。
その音が、いつもより軽く聞こえた。
気のせいかもしれない。
でも、四人とも、確かにそう感じた。
*
県道31号を走った。
三間平野が広がっている。
田んぼが続いている。
山が遠い。
空が広い。
プレスカブが、エンジンを温めながらのどかな道を走る。
急ぐ必要がない。
次の寺を目指さなくていい。
ただ、桂浜を目指して走ればいい。
本田は、それだけで、体が軽くなった気がした。
国道197号に入った。
徐々に標高が上がってくる。
愛媛と高知の県境が近い。
道の駅「日吉夢産地」を過ぎた時、巨大な鬼のモニュメントが現れた。
「でかい」
鈴菌さんが言った。
それだけだった。
四台が、鬼の前を通り過ぎた。
梼原から津野町へ。
四国カルストの麓を走る。
深い緑の中に、道が続いている。
トンネルを抜けると、また緑だ。
山あいを縫うように走る。
ここまで来ると、お遍路の疲れが本当に遠ざかっていく。
下りに入った。
ワインディングが始まった。
プレスカブが、コーナーを抜けるたびに、少しずつ体が戻ってくる気がした。
走るって、こういうことだ。
お堂の前で手を合わせることじゃなく、道を走ることだ。
*
須崎市内に入った。
まゆみの店だ。
鍋焼きラーメンが来た。
土鍋に、アルミの蓋がついている。
蓋を開けると、湯気が上がった。
醤油ベースのスープに、ストレートの細麺。
鶏肉と生卵が入っている。
土鍋の底から、ぐつぐつと音がしている。
本田が、一口飲んだ。
温かい。
シンプルだ。
でも、この温かさが、今の体にちょうどいい。
「鍋焼きラーメンって初めて食べました」
「須崎のご当地ラーメンだ。土鍋で出てくるのはここだけだぞ」
鈴菌さんが言った。
女性店主が、明るい声で「ゆっくりどうぞ!」と言った。
その声が、旅人には有り難かった。
*
仁淀川の河口付近を通った。
仁淀ブルーだ。
天気が良い。
川の水が、青い。
いや、青というより、別の色だ。
言葉が見つからない色だ。
本田は、走りながらその色を目に焼き付けた。
止まって写真を撮りたかった。
でも、道が続いている。
走りながら見るしかない。
それでいい。
走りながら見た景色の方が、写真より鮮明に残ることを、この旅で知っていた。
*
十六時半。
桂浜に着いた。
県道34号から、太平洋が右手に見えてきた。
海が、広い。
空が、広い。
波が、打ち寄せている。
坂本龍馬像の前に来た。
大きい。
台座の上に、龍馬が立っている。
でも、海側を向いている。
夕方の光が逆光になって、像が真っ黒に写る。
「え〜! ぜんぜん撮れないね〜」
「日本の夜明けを見せるためにわざと朝しか撮れないようにしたんだろ?」
「そっか〜。それなら明日は夜明けを見に早い時間から皆で来ましょ!」
花が言った。
それが決まった。
明日の早朝に来る。
今日のところは、像の背中を見て満足することにした。
*
種崎千松公園キャンプ場に着いた。
浦戸大橋を渡ってすぐだ。
無料のキャンプ場だ。
松林の中に、テントを張った。
炊事場がある。
静かだ。
花が、食材の袋を開けた。
「最近はレトルトばかりで食材が余ってましたから、今夜は在庫整理ですよ!」
鍋を出した。
Aコープで買ってきた食材だ。
鶏肉、豆腐、白菜、長ねぎ、しめじ。
塩ちゃんこの素を出した。
出汁を入れた。
火にかけた。
いい匂いが、松林に広がった。
本田が、花の隣で具材を切りながら皆に語りかけた。
「それにしても、せっかく逆打ちをしていたのに、道を外れて大丈夫なんですかね?」
鈴菌さんが、焚き火を起こしながら答えた。
「それは問題ないだろ? 次はちゃんと四十一番の龍光寺から回るんだし」
「でも、その龍光寺って神仏習合の寺で、神と仏が祀られてるんですよ。弘法大師が稲荷大明神のお告げを受けてお寺を建てた場所なんです。神様と仏様が一緒にいる場所で、しかも逆打ちで来るんですよ。神と仏に祟られませんかね?」
鈴菌さんが、火吹き棒を持ったまま顔を上げた。
「神仏習合とは凄いな。集合チャンバーみたいでデラカッコイイな!」
「そんな罰当たりなことを言うとマジで祟られますよ!」
花が吹き出した。
アプリが、鍋の煮え具合を確認しながら口元を緩めた。
鈴菌さんが、大真面目な顔で「集合チャンバーは最高のロマンだろ」と言った。
また笑いが起きた。
塩ちゃんこ鍋が、完成した。
四人が、鍋を囲んだ。
松林の中で、鍋の湯気が上がっている。
波の音が、遠くから来ている。
お遍路五日間の苦行が、遠い昔のことのように感じられた。
夜が、穏やかに更けていった。
*
翌朝、四時半。
アラームが鳴った。
まだ真っ暗だ。
四人が、シュラフから出た。
息が白い。
徒歩で桂浜へ向かった。
懐中電灯を持った。
波の音が、暗闇の中から来ている。
砂浜に出た。
空が、わずかに動き始めている。
でも、まだ暗い。
「龍馬像ってこっちでしたよね?」
「うん、まだ真っ黒だからよく見えないね」
「ヤバいよ! もう空が淡く光ってきたよ!」
鈴菌さんが、砂浜をウロウロしながら答えた。
「一応、日の出は六時過ぎだからまだ時間はあるさ!」
四人が、砂浜を歩いた。
アプリと本田が、別の方向へ像を探しに行った。
花と鈴菌さんが、波打ち際を歩いていた。
その時、花が人影を見つけた。
少し離れた場所に、誰かが立っている。
暗くてよく見えない。
でも、シルエットが、どこかで見たことがある形だ。
「あ! あそこに人がいるよ! 私、聞いてくるね!」
花が、その人影に近づいた。
近づくにつれて、姿がはっきりしてきた。
着物だ。
袴だ。
懐に、何かを差している。
頭には、独特の形の帽子。
いや、帽子ではない。
結った髪だ。
着崩した羽織の裾が、海風になびいている。
(完璧……!)
花は、思わず息を呑んだ。
これは、本物だ。
修羅の刻で何度も読んだ、あの姿だ。
目が、鋭い。
でも、どこか柔らかい。
二十八歳くらいの、若い男だ。
その男が、海の方を向いたまま立っている。
「すいませ〜ん! めっちゃリアルな衣装ですね! 一緒に写真を撮っていいですか?」
男が、振り返った。
花を、じっと見た。
「写真かえ。どこにそのドロゲール(写真機)があるがぜよ?」
花の顔が、一瞬固まった。
でも、すぐに「言葉遣いも完璧ですね!」と言った。
「言葉遣いとな? わしのどこが完璧ながぜよ? それよりも、おんしゃの格好も随分かわっちゅうねぇ」
その時、砂浜を歩いてきた鈴菌さんが花の隣に来た。
「像の場所を教えて貰えたか?」
花が、ハッとした。
そうだ、本来の目的を忘れていた。
花は鈴菌さんに向かって、目の前の男を紹介した。
「鈴菌さん見てください! 完璧なコスプレですよ! 一緒に写真を撮って貰いましょ!」
「おぉ! デラリアルなコスプレだな!」
男が、眉をひそめた。
「さっきからコスプレ、コスプレと言うゆうがは、一体なんのことながぜよ?」
「それよりも日の出前に坂本龍馬像を聞かないと!」
鈴菌さんが言った。
花が、男に向き直った。
「すいません! 暗くて探せなくて困ってたんですけど、坂本龍馬像はどの辺でしたっけ?」
男が、少し首をかしげた。
それから、静かに言った。
「像と言われてもようわからんがじゃけんど、坂本龍馬ならわしのことぜよ」
花の手から、スマホが砂浜にポトリと落ちた。
波が、打ち寄せた。
引いた。
また、打ち寄せた。
桂浜の空が、東の方から、ほんの少しだけ白くなり始めていた。




