【reverse 38 真面目な不真面目】
4日目。
香園寺の宿坊を出た。
朝八時だ。
昨夜の話が、まだ頭に残っている。
時を遡る。
死者が蘇る。
四人とも、あまりよく眠れていなかった。
マルトモ水産で朝食にした。
市場の中の食堂だ。
海鮮が並んでいる。
刺身定食を頼んだ。
旨い。
でも、いつもほど感動できない。
体が、まだ眠っている。
「今日は何寺回るんですか?」
本田が聞いた。
アプリが、納経帳を見た。
「十一」
四人が、黙った。
十一寺。
昨日も似たような数を回った。
体が、もう知っている。
どれだけしんどいか。
「行くぞ」
鈴菌さんが立ち上がった。
それだけだった。
*
六十番、横峰寺。
石鎚山の中腹だ。
林道を、四台が登り始めた。
遍路転がしと呼ばれる難所だ。
道が狭い。
勾配がきつい。
木々が、道の両側から迫ってくる。
本田は、ローギアで踏み続けた。
止まったら終わりだ。
止まらずに登った。
登りきった。
「「「「横峰寺……」」」」
掛け声が、かすれていた。
でも、撮った。
写真の四人は、疲れ果てていたが、それでも笑っていた。
五十九番、国分寺。
五十八番、仙遊寺。
五十七番、栄福寺。
今治市に入った。
仙遊寺は山の上だ。
また登った。
「「「「国分寺!」」」」
「「「「仙遊寺!」」」」
「「「「栄福寺!」」」」
掛け声の「!」が、「。」に近づいてきていた。
*
正午。
重松飯店で昼食にした。
今治名物の焼豚玉子飯だ。
丼に、チャーシューが乗っている。
半熟の目玉焼きが、その上に乗っている。
甘辛いタレが、米に染みている。
本田が、一口食べた。
目が、少し開いた。
旨い。
久しぶりに、旨いと思える自分がいた。
「うどんじゃないの久しぶりですね」
「うどんが恋しいか?」
鈴菌さんが言った。
本田が少し考えた。
「……どっちも旨いです」
花が、黙って玉子飯を食べていた。
その顔に、疲労が滲んでいた。
*
五十六番、泰山寺。
五十五番、南光坊。
五十四番、延命寺。
今治市内の平地を、テンポよく回った。
平地は助かる。
でも、降りて参拝して、乗って走って、降りて参拝してを繰り返す。
その繰り返しが、体に積み重なっていく。
「「「「泰山寺!」」」」
「「「「南光坊!」」」」
「「「「延命寺!」」」」
写真の四人の目が、半分閉じかけていた。
五十三番、円明寺。
五十二番、太山寺。
国道196号を南下した。
海沿いの道だ。
海が、右手に見えている。
この旅で何度も海を見てきた。
でも今は、眺める余力が残っていない。
ただ、走っていた。
*
十六時半。
五十一番、石手寺。
松山市内の有名な寺だ。
広い。
参道が長い。
境内に、いくつもの建物がある。
本田は、参道を歩きながら、足を引きずっていた。
自分では気づいていなかった。
でも、引きずっていた。
「「「「石手寺……」」」」
声が、ほとんど出ていなかった。
十七時。
五十番、繁多寺。
本日の打止め。
「「「「繁多寺……」」」」
四人が、写真を撮った。
誰も何も言わなかった。
それだけで全部だった。
十一寺、回った。
*
松山市野外活動センターにテントを張った。
本田と花がテントを設営した。
アプリと鈴菌さんは、荷物の整理をした。
全員が、無言だった。
必要な言葉だけを使った。
「ペグ、こっちに貸して」
「ロープ、踏んでる」
それだけだった。
空身になった四台で、山を降りた。
道後温泉に入った。
湯が、体に染みた。
疲れが、少しだけ溶けた。
少しだけ。
道後ハイカラ通りで、お土産を少し買った。
鈴菌さんが、饅頭を買っていた。
誰の土産かは聞かなかった。
キャンプ場に戻った。
シュラフに入った。
すぐに眠った。
*
5日目。
起きた。
朝八時だ。
体が、昨日より重かった。
限界が、近い。
でも、誰もそれを口にしなかった。
パン・メゾンで朝食にした。
パンを買った。
食べた。
旨い。
でも、会話がなかった。
四人とも、黙ってパンを食べた。
それで十分だった。
四十九番、浄土寺。
四十八番、西林寺。
「浄土寺」
「西林寺」
掛け声が、ほとんど声になっていなかった。
写真は撮った。
でも、もう「せーの」も言わなかった。
セルフタイマーをセットして、四人が並んだ。
それだけだった。
四十七番、八坂寺。
四十六番、浄瑠璃寺。
国道33号に入った。
三坂峠方面だ。
道が、登り始めた。
誰も何も言わなかった。
ただ、登った。
*
三坂峠を越えた。
久万高原の空気が、ヘルメットの中に入ってきた。
冷たい。
澄んでいる。
本田は、その空気を吸った。
少しだけ、目が覚めた気がした。
うどん亭萬で昼食にした。
うどんだ。
また、うどんだ。
でも、今の本田には、何も言う気力がなかった。
ただ食べた。
旨かった。
それだけだった。
*
四十五番、岩屋寺。
駐車場からが、長かった。
二十分、急な坂と階段を歩いた。
岩に、建物が食い込んでいる。
断崖絶壁に、お堂がある。
すごい場所だ。
すごいと思ったが、感動を言葉にする気力がなかった。
本田は、お堂の前で手を合わせた。
それだけだった。
四十四番、大寶寺。
老杉が、空を塞いでいる。
荘厳だ。
静かだ。
四人が、黙って参拝した。
四十三番、明石寺。
四十二番、佛木寺。
「佛木寺」
本田が、一人で言った。
もう全員で叫ぶ気力はなかった。
写真を撮った。
四人の顔に、五日間の疲労が、全部出ていた。
*
成川渓谷キャンプ場に着いた。
渓谷の水の音が聞こえる。
テントを張った。
温泉に入った。
成川自慢の湯だ。
お湯に浸かった瞬間、花が小さく声を上げた。
それだけで、全部わかった。
四人とも、同じ気持ちだった。
*
本田と花が、Aコープ みま店へ買い出しに行った。
花がカゴを持った。
野菜を見た。
肉を見た。
調味料の棚の前で止まった。
醤油、みりん、酒。
全部、補充した。
だし、塩、油。
カゴが、少しずつ重くなった。
「そろそろ疲れたね」
本田が言った。
花が、缶詰の棚の前で頷いた。
「うん。まだ四十二番だよ。やっと半分だね」
「今夜のキャンプ場は温泉もあるし、連泊して体を休めるようにアプリさんと鈴菌さんに頼んでみようか」
「賛成ー! 私も休みたい!」
花が、初めて今日の元気な声を出した。
本田も、少し笑った。
二人で、レトルトカレーを四つカゴに入れた。
今夜は作る気力がない。
お互い、何も言わなかったが、わかっていた。
*
キャンプ場に戻った。
焚き火を起こした。
本田が、レトルトのご飯をお湯で温めながら言った。
「ここら辺で少し休みませんか?」
焚き火を木の枝でつついていた鈴菌さんが、身を乗り出した。
「俺も疲れてたとこだ! その意見に大賛成だ! しばらく寺は見たくないぞ!」
レトルトカレーを温めていた花が、顔を上げた。
「良かった! 二人とも賛成してくれて!」
アプリが、静かに頷いた。
それだけで全部だった。
全員一致だ。
鈴菌さんが、持っていた枝を焚き火にくべた。
火が、少し大きくなった。
バイクの方を見た。
「でも、このキャンプ場に入り浸るのも俺ららしくないよな? 久しぶりにツーリングでも行くか! 今日までは寺のたびに降りては乗って、降りては乗ってを繰り返してたからな! スカッと走りたいぜ!」
「僕も走りたいです!」
「私も!」
焚き火の炎が、四人の顔を照らした。
さっきまでの気だるさが、少しだけ遠ざかった。
アプリが、ツーリングマップルを広げた。
焚き火の光で、地図を見た。
「それなら、ここからだと桂浜あたりがちょうどいい。朝出ると夕暮れ前には着くだろう」
「桂浜はデラ男のロマンだぜ!」
鈴菌さんが、枝を一本また折って焚き火にくべた。
花が、レトルトカレーを皆に配りながら言った。
「私だって坂本龍馬さんは大好きです! 特に修羅の刻の坂本龍馬さんは本当に美しいんですよ! あの立ち回りのシーンと、目の描き方が……!」
花の目が、急に輝いた。
疲れていたはずの顔が、漫画の話になった瞬間に変わった。
「そういえば花さんは漫画が好きなんだもんね。漫画ミュージアムでもへばりついて見てたもんね」
「あら? 本田くんは若いのに漫画嫌いなの?」
「僕は引きこもりの間は小説ばかり読んでたよ。小説投稿サイトならお金もかからないしね」
「もったいない! 漫画も読みなさいよ!」
花が、カレーのスプーンを持ったまま力説し始めた。
鈴菌さんが笑った。
アプリが、地図を見ながら口元を緩めた。
レトルトカレーが、旨かった。
正直に言えば、五日間で食べた何杯ものうどんや、花が作った料理には遠く及ばない。
でも、今夜のレトルトカレーは、なぜか旨かった。
疲れ切った夜に、焚き火の前で食べるレトルトカレーは、それだけで十分だった。
「明日は何時に出ますか?」
「のんびり行こう。急ぐ必要はない」
アプリが答えた。
急ぐ必要はない。
久しぶりに聞く言葉だった。
本田は、その言葉を口の中で繰り返した。
急ぐ必要はない。
焚き火が、静かに燃えている。
渓谷の水の音が、遠くから来ている。
桂浜の話が、続いている。
鈴菌さんが「龍馬の銅像の横で写真撮るぞ」と言った。
花が「私が一番いい場所に立ちます」と言った。
本田が「それは僕が立ちます」と言った。
アプリが「全員並べ」と言った。
笑い声が、渓谷に響いた。
五日分の疲れが、少しずつ、焚き火の煙と一緒に空に消えていった。
明日は、走るだけでいい。
寺に降りなくていい。
納経帳に朱印をもらわなくていい。
ただ、走ればいい。
四人が、それを心から楽しみにしながら、夜を過ごした。




