【reverse 37 時を遡る者と、死者を呼ぶ道】
2日目。
五色台オートキャンプ場を出た。
朝八時だ。
昨日よりも、体が重い。
でも、四人とも、まだ笑っていた。
*
がもううどんで朝食にした。
坂出市の老舗だ。
セルフ形式で、うどんを自分でかけ汁に浸す。
シンプルだ。
でも旨い。
「昨日から何杯食べましたか?」
「数えるな」
アプリが、また同じことを言った。
本田が、うどんをすすった。
香川のうどんは、毎回違う顔をしている。
飽きない。
*
八十番、國分寺。
「「「「國分寺!!」」」」
昨日と同じ掛け声だ。
でも、声のトーンが少しだけ低くなっていた。
七十九番、天皇寺。
七十八番、郷照寺。
「「「「天皇寺!!」」」」
「「「「郷照寺!!」」」」
写真の四人が、昨日より少しだけ疲れた顔をしていた。
でも、まだ目が笑っている。
七十七番、道隆寺。
七十六番、金倉寺。
寺から寺へ、原付が走る。
道が平坦なので助かる。
でも、納経帳に朱印をもらうたびに、また次の寺へと向かう。
その繰り返しが、少しずつ体に積み重なっていく。
*
正午。
善通寺市の長田 in 香の香に入った。
釜揚げうどんだ。
大きな釜から、直接すくい上げる。
出汁が、温かい。
麺が、柔らかい。
「これは……」
本田が、一口すすって止まった。
出汁の甘さが、疲れた体に染みた。
「旨い」
鈴菌さんが、短く言った。
アプリが頷いた。
花が、うどんを食べながら少し目を細めた。
疲れているのに、うどんを食べると元気が戻ってくる。
香川のうどんには、そういう力がある。
*
七十五番、善通寺。
真言宗善通寺派の総本山だ。
境内が、広い。
他の寺とは、スケールが違う。
本堂と大師堂が、離れている。
回廊がある。
木々が、境内を包んでいる。
四人が、それぞれの足で境内を歩いた。
「「「「善通寺!!」」」」
写真を撮った。
いつもより、少し時間がかかった。
広すぎて、全部回るのに手間取った。
*
七十四番、甲山寺。
七十三番、出釈迦寺。
七十二番、曼荼羅寺。
「「「「甲山寺!!」」」」
「「「「出釈迦寺!!」」」」
「「「「曼荼羅寺!!」」」」
写真を三枚撮った。
四人の顔が、どんどん疲れていく。
でも、誰も弱音を言わない。
次の寺へ、また走る。
*
七十一番、弥谷寺。
山門をくぐると、階段が始まった。
長い。
どこまでも続く石段だ。
プレスカブを置いてきた。
四人で歩いた。
一段、二段。
足が、重い。
本田は、石段を踏みながら思った。
逆打ちは、弘法大師を追いかけた衛門三郎の荒行だ。
こういう石段を踏みながら、衛門三郎も弘法大師を探していたのか。
二十回以上も四国を回ったと言われている。
その足の重さは、今の比ではなかっただろう。
「「「「弥谷寺!!」」」」
声に、疲労がにじみ出ていた。
*
十七時。
七十番、本山寺に着いた。
本日の打止めだ。
四人が、山門の前に立った。
「「「「本山寺!!」」」」
写真の四人は、朝の半分くらいの元気しか残っていなかった。
でも、笑っていた。
一の宮公園キャンプ場に着いた。
海岸沿いのキャンプ場だ。
時計塔が、夕暮れの中に立っている。
テントを張った。
道の駅とよはまで食材を少し買った。
温泉に入った。
体が、溶けるように温まった。
夕飯は、花が簡単に作った。
レトルトと、買ってきた惣菜だ。
文句を言う者は誰もいなかった。
食べ終えると、四人とも、すぐに眠った。
瀬戸内海の波の音が、テントの外から聞こえていた。
*
3日目。
一の宮公園キャンプ場を出た。
朝八時だ。
昨日よりも、さらに体が重かった。
鈴菌さんが、無言でストレッチをしていた。
アプリが、黙ってRS50のエンジンをかけた。
花が、テントを畳みながら首を回した。
本田は、プレスカブのシートに跨る時、足が上がらなかった。
二日間で、合計十八寺を回っている。
疲労が、確実に積み重なっていた。
*
六十九番、観音寺と六十八番、神恵院。
同じ境内に、二つのお寺がある。
珍しい。
一度に二つ回れる。
それだけでも、少し助かった。
西端手打の上戸うどんで朝食にした。
うどんが、また体を温めた。
「「「「観音寺と神恵院!!」」」」
声が、かすれ始めていた。
六十七番、大興寺。
山の中だ。
苔むした石段を登った。
静かな境内だ。
杉の木が、高い。
「「「「大興寺!!」」」」
写真を撮る時、誰かが「あと何寺?」と言いかけて、やめた。
聞いたら余計に疲れる気がした。
*
六十六番、雲辺寺。
四国遍路の最高峰だ。
山道を、四台が登り始めた。
勾配が、急だ。
道が、細い。
木々が、両側から迫ってくる。
鈴菌さんのハスラー50が、唸りながら登る。
花のモトラが、スーパーローギアで食らいつく。
本田のプレスカブが、ローギアで一歩一歩、踏みしめるように登る。
速度計を見た。
十キロだ。
それでも、止まらない。
止まったら終わりだ。
登り続けた。
頂上に着いた。
雲辺寺が、霧の中に立っていた。
文字通り、雲の辺にある寺だ。
眺めが、ない。
霧で何も見えない。
でも、それがかえって、この場所の神聖さを感じさせた。
「「「「雲辺寺……!!」」」」
掛け声が、霧の中に消えていった。
*
山を降りた。
正午。
徳島と愛媛の県境付近に来ていた。
ひかり食堂で昼食にした。
定食を頼んだ。
米が旨かった。
うどんも旨いが、米も旨い。
疲れた体には、白米が沁みる。
「久しぶりにご飯を食べた気がします」
「うどんもご飯だ」
鈴菌さんが言った。
本田が「そうですね」と答えた。
でも、白米の有り難みは、また別物だった。
*
愛媛県に入った。
伊予の国だ。
六十五番、三角寺。
六十四番、前神寺。
六十三番、吉祥寺。
六十二番、宝寿寺。
「「「「三角寺!!」」」」
「「「「前神寺!!」」」」
「「「「吉祥寺!!」」」」
「「「「宝寿寺!!」」」」
掛け声は出ていた。
でも、写真の四人の顔は、もう隠しようのない疲労が出ていた。
目の下に、うっすら影がある。
笑顔の中に、限界が透けている。
*
十七時。
六十一番、香園寺に着いた。
「「「「香園寺……!!」」」」
声が、かすれていた。
でも、最後まで叫んだ。
今夜は、宿坊に泊まることにした。
テントを張る気力が、四人とも残っていなかった。
無言の合意だった。
宿坊の部屋に入った。
畳だ。
布団がある。
四人とも、荷物を降ろした瞬間に座り込んだ。
夕食は、宿坊の食事だ。
精進料理が並んでいる。
質素だが、丁寧に作られている。
静かな食卓だ。
四人とも、あまり喋らなかった。
食べることに集中していた。
食事が終わった頃、宿坊のお坊さんが顔を出した。
穏やかな顔の、年配のお坊さんだ。
四人を見て、言った。
「逆打ちで回られているそうじゃな」
「はい。一番から逆に回っています」
「ほほう……」
お坊さんが、少し考えてから座った。
四人も、向き直った。
「旅人よ、覚えておくがよい。逆打ちとはただ巡礼の順序を逆にすることではない。時をさかのぼり、一番へ戻る――結願する――その道のりには、人生を振り返り、過ぎし過ちを清める意味があるのじゃ。終わりに至ることで、また始まりを知る。まるで人生の旅を、終盤から始まりへとさかのぼるような、心の体験をするのじゃよ」
「それじゃ逆回りは縁起がいいんですね!」
本田が言った。
お坊さんが、少し間を置いた。
「さて、それはどうじゃろな。現世における逆打ちは、修行の道としての意味が強いのじゃ。しかし伝えによれば、禁断の呪術として、死者を呼び戻す力もあると申されるのじゃ。まさか、そなた方も誰かをこの世に返さんと思い給うのかのう……?」
「まさか! そんな大層なことは考えてませんよ……」
本田が笑って答えた。
でも、笑いながら、四人の顔が一瞬だけ止まった。
本田とアプリと鈴菌さんと花が、目を合わせた。
時を遡る。
死者が蘇る。
虚無僧の言葉が、戻ってきた。
逆打ちには逆が呼ぶ因縁がある、と。
あの口元の笑いが、また蘇った。
お坊さんが、立ち上がった。
静かに言った。
「まあ、何事もなければ、それに越したことはない。ゆっくりお休みなされ…」
廊下に消えていった。
足音が、静かになった。
やがて、聞こえなくなった。
四人が、畳の上に残された。
誰も言葉を発しなかった。
アプリが、目を細めた。
鈴菌さんが、腕を組んだ。
花が、膝の上で手を重ねた。
本田は、畳の目を見ていた。
(時を遡る? 死者が蘇る?)
考えても、答えは出ない。
自分たちは、そんなつもりで逆打ちをしているわけじゃない。
虚無僧に勧められたから、逆から回っているだけだ。
でも、虚無僧はなぜ、逆打ちを勧めたのか。
なぜ、あの口元が笑っていたのか。
寺の夜は、静かだった。
キャンプ場の波の音も、焚き火の音もない。
ただ、静寂だけがある。
その静寂の中に、何かが潜んでいる気がした。
気のせいかもしれない。
でも、気のせいとも言い切れない。
本田は、布団に入った。
道楽守を、手の中で握った。
バイクのハンドルからはずして、今夜は手に持っていた。
なぜそうしたのか、自分でもわからなかった。
寺の夜が、深くなっていく。
廊下の向こうで、何かが軋んだ。
風だろう。
きっと、風だ。
本田は、目を閉じた。
なかなか、眠れなかった。




