【reverse 36 逆打ちはすべからず】
霊山寺の山門の前。
虚無僧が、四人の前で止まった。
顔が見えない。
深編笠の中が、暗い。
何も言わない。
ただ、立っている。
本田は、固まっていた。
花も、固まっていた。
アプリは、腕を組んでいた。
その空気を、一人だけ読んでいない男がいた。
「今どき虚無僧とは珍しいな」
鈴菌さんが、あっさりと声をかけた。
虚無僧が、動いた。
四人のバイクのハンドルを、ゆっくりと見た。
道楽守が、それぞれのハンドルに揺れている。
虚無僧は、それを確かめるように見てから、口を開いた。
「ソナタ達はお遍路は初めてか?」
声が、低い。
でも、不思議と遠くまで届く声だった。
「はい。今から原付でお遍路しようと思ってます!」
本田が答えた。
虚無僧が、一拍置いた。
それから言った。
「ならば迷わぬように進言しよう。逆打ちはすべからず」
「逆打ち?」
虚無僧が、静かに語り始めた。
*
衛門三郎という男がいた。
愛媛の豪農で、弘法大師を門前払いにした男だ。
その報いで、子供を八人失った。
悔い改めた衛門三郎は、弘法大師を追いかけて四国を巡り始めた。
一回、二回、何度回っても、弘法大師には会えない。
二十回巡っても、会えなかった。
そこで、衛門三郎は考えた。
同じ方向で追いかけても追いつけないなら、逆から回れば正面からぶつかれるはずだ。
逆打ちを始めた。
そして、ようやく弘法大師に会うことができた。
赦しを得て、衛門三郎は息を引き取った。
これが、逆打ちの起源だ。
虚無僧は、静かに続けた。
「逆打ちは、弘法大師に正面からぶつかるための荒行。並大抵の者には過酷だ。それが済んだ者にはご利益も三倍あると言われるが……」
虚無僧が、四人を見た。
顔は見えない。
でも、視線がある。
「同時に、逆打ちには逆が呼ぶ因縁もある。ソナタ達に、その覚悟があるか?」
沈黙があった。
鈴菌さんが、アプリを見た。
アプリが、山門を見た。
少し考えた。
それから言った。
「逆から回れば正面からぶつかれる、か。面白い」
「俺もそれで行こう。逆打ちだ」
鈴菌さんが言った。
本田は、少し不安だった。
虚無僧の言葉が、胸に引っかかっていた。
逆が呼ぶ因縁、とはどういう意味だ。
花も、同じ顔をしていた。
でも、アプリが頷いて、鈴菌さんが決めた。
二人が行くなら、自分も行く。
本田は頷いた。
花も頷いた。
「では、八十八番から始めます」
四人が、バイクにまたがった。
エンジンをかけた。
走り出した。
山門を抜けた先で、本田はバックミラーを見た。
虚無僧が、まだそこに立っていた。
四人が走り去る方向を、静かに見ている。
その口元が、ほんの少しだけ、動いた気がした。
笑っているように見えた。
でも、確認する前に、霊山寺は視界から消えた。
*
逆打ちの始まりは、最終番号から遡ることを意味する。
つまり、八十八番の大窪寺がスタートだ。
八十八の寺を逆順に回って、最後に一番の霊山寺に戻る。
弘法大師に、正面からぶつかるために。
ただし、逆打ちは順打ちの三倍の功徳があると言われると同時に、三倍の試練があるとも言われる。
虚無僧の言葉が、頭に残っている。
逆が呼ぶ因縁、とは何だ。
本田は、走りながら、その言葉の意味を考えていた。
*
七時半。
徳島と香川の県境を越えた。
峠道だ。
朝日が、正面から来る。
眩しい。
でも、温かい。
プレスカブが、峠を越えた。
香川に入った。
八時半。
さぬき市に入った。
うどん屋が開き始めている。
「うどんを食うぞ」
鈴菌さんが言った。
誰も反対しなかった。
*
九時。
大窪寺に着いた。
山深い。
木々の中に、静かに立っている。
逆打ちのスタート地点だ。
お遍路の終着点でもある。
結願の寺だ。
四人が、山門の前に並んだ。
鈴菌さんが、スマホを横に向けた。
セルフタイマーをセットした。
四人が横に並んだ。
「せーの」
「「「「大窪寺!!」」」」
シャッターが切れた。
*
野田屋で打ち込みうどんを食べた。
創業昭和四十二年の老舗だ。
具がたっぷり入っている。
根菜と鶏肉が、出汁に溶け込んでいる。
身体が、温まった。
「香川のうどん、本当に旨いな」
本田が言った。
鈴菌さんが「まだ始まったばかりだぞ」と笑った。
*
山を駆け降りた。
八十七番、長尾寺。
「「「「長尾寺!!」」」」
写真を撮った。
納経帳に朱印をもらった。
次だ。
八十六番、志度寺。
海が見えた。
大きな仁王門をくぐった。
五重塔が、空に向かって立っている。
「「「「志度寺!!」」」」
鈴菌さんのシャッター音が響いた。
近くのうどん屋で昼食にした。
またうどんだ。
でも、また旨い。
「何杯目だ?」
「三杯目です」
「香川を舐めるな。まだまだ食うぞ」
花が、うどんをすすりながら笑った。
*
八十五番、八栗寺。
五剣山の麓だ。
道が、急勾配になった。
鈴菌さんのハスラー50が、元気よく登っていく。
花のモトラが、スーパーローギアでグイグイと登っていく。
本田のプレスカブが、ローギアで粘り強く進む。
遅い。
でも、止まらない。
登りきった。
「「「「八栗寺!!」」」」
四人の顔が、汗ばんでいた。
でも、笑っていた。
麓に降りた。
うどん本陣山田家本店。
旧家を改装した店舗だ。
門をくぐると、広い庭園が広がっている。
バイクを止めて、四人で歩いた。
「これ、ただのうどん屋じゃないですね」
「香川はこれだ」
ざるぶっかけを頼んだ。
来た。
出汁が、冷たくてキレがある。
麺が、艶やかだ。
一口すすった。
喉越しが、全然違う。
「今日で何杯食べましたか?」
「数えるな」
アプリが言った。
それが正解だった。
*
八十四番、屋島寺。
屋島ドライブウェイを走って山頂へ。
無料の道だ。
眺めが開けた。
瀬戸内海が、眼下に広がっている。
島が、点々と浮かんでいる。
「源平合戦の場所ですよね?」
「ここで那須与一が弓を射たんだ」
鈴菌さんが言った。
「「「「屋島寺!!」」」」
写真を撮った。
眺めが良すぎて、四人ともしばらく動けなかった。
時間が、予定より少し押した。
*
八十三番、一宮寺。
高松市街地に入った。
車が増えた。
信号が増えた。
四台の隊列を保つのが難しくなった。
信号で離れた。
また追いついた。
また離れた。
都市部のお遍路は、山寺とは別の大変さがある。
「「「「一宮寺!!」」」」
写真の四人が、少し疲れた顔をしていた。
*
八十二番、根香寺。
五色台の山道だ。
標高が上がっていく。
四台が、二十キロで登っていく。
森が深い。
木々の間から、瀬戸内海が見え隠れする。
山門をくぐった。
境内に、大きな像がある。
牛鬼だ。
角が生えていて、体が獣で、顔が鬼だ。
花が、少しだけ後ずさった。
「「「「根香寺!!」」」」
牛鬼の横で、四人が並んだ。
鈴菌さんだけが、牛鬼と同じポーズをしていた。
*
八十一番、白峯寺。
納経所が閉まる直前だった。
四台が、境内に滑り込んだ。
間に合った。
「「「「白峯寺!!」」」」
最後の写真を撮った。
四人の顔が、朝よりずっと疲れていた。
でも、目が輝いていた。
崇徳上皇の御陵が、境内にある。
静かな場所だ。
本田は、御陵の前で少し立ち止まった。
歴史が、ここに眠っている。
弘法大師が歩いた道を、今日一日、自分たちは逆から走ってきた。
逆打ちの意味が、少し体でわかった気がした。
*
五色台オートキャンプ場。
白峯寺からすぐだ。
瀬戸内海の夜景が、眼下に広がっている。
島の灯りが、点々と浮かんでいる。
美しい。
でも、四人とも、それを眺める余力が残っていなかった。
レトルトを温めた。
食べた。
旨いかどうかも、よくわからなかった。
疲れていた。
「今日、何寺回ったんだっけ」
「八つ」
「うどんは何杯だっけ」
「数えるな」
アプリが言った。
それが今夜二回目の正解だった。
シュラフに入った。
瀬戸内海の夜景が、テントの外で光っている。
波の音が、遠くから来ている。
本田は、目を閉じながら思った。
虚無僧が言っていた。
逆打ちには逆が呼ぶ因縁がある、と。
今日は何事もなかった。
でも、あの口元の笑いが、まだ頭に残っている。
眠りが、すぐに来た。
四人とも、あっという間に眠った。
瀬戸内海の夜が、静かに続いていた。




