【reverse 35 Re:ゼロから始まる四国生活】
浜松を出た。
国道1号線を西へ。
四台が走り出した。
プレスカブ、RS50、モトラ、ハスラー50。
鈴菌さんが先頭だ。
愛知県に入った。
豊橋、岡崎と抜けていく。
車が増えた。
トラックが多い。
速度差が大きい。
本田は左端をしっかり走った。
名古屋に近づいた頃、鈴菌さんが止まった。
*
山本屋大久手店。
味噌煮込みうどんだ。
来た。
土鍋が、ぐつぐつと煮えている。
味噌の香りが、鼻を突いた。
箸を入れた。
麺が、固い。
でも、これが正しいらしい。
スープを飲んだ。
濃い。
塩辛いのとは違う。
味噌の旨みが、ずっしりと来る。
これが名古屋メシの王道だ。
「東海道はここが一番の飯だ」
鈴菌さんが断言した。
アプリが黙って食べていた。
それが肯定だった。
*
名古屋を抜けた。
三重県に入った。
伊勢志摩へ向かう道が、穏やかになった。
海の匂いが、風に混じり始めた。
志摩市観光農園キャンプ場に着いた。
テントを張った。
夕暮れが来ていた。
花が言った。
「買い出し、行ってきます」
「俺も行くぞ」
鈴菌さんが立ち上がった。
二人でモトラとハスラー50に乗って、ぎゅーとらラブリー志摩店へ向かった。
*
花は、店内のカゴを持って歩いた。
まず、小麦粉を取った。
大袋だ。
次に、キャベツを二玉。
豚バラ肉、山芋、卵。
青のり、削り節、天かす。
ウスターソース、お好みソース、マヨネーズ。
調味料は全部、大きいサイズを選んだ。
この先もキャンプが続く。
使い切らない方が良い。
それから、ホットケーキミックスを二箱。
牛乳、バター。
砂糖、サラダ油。
「花ちゃん、これだけ買うのか?」
鈴菌さんが、カゴを覗いた。
「はい、余らせた方が便利なので。調味料は多めに持っておくと後で楽になりますから」
「なるほどな。旅慣れてきたじゃないか」
花が、少し照れた。
レジに持っていった。
カゴが、重かった。
*
キャンプ場に戻った。
花が調理に入った。
メスティンを並べた。
キャベツを刻んだ。
山芋をすった。
小麦粉と卵と出汁を合わせた。
豚バラを敷いた。
鉄板の上に、生地を丸く広げた。
ジュウジュウと音がした。
いい匂いが漂った。
お好み焼きが、四枚、焚き火の横に並んだ。
ソースを塗った。
マヨネーズを絞った。
青のりをかけた。
削り節をのせた。
削り節が、熱でゆらゆらと踊った。
鈴菌さんが、一口食べた。
目が、細くなった。
「花ちゃんは、どこで料理を覚えたんだ?」
「旅に出てから、だと思います」
アプリが、お好み焼きを見ながら言った。
「佐野ラーメンを打てる人間が、お好み焼きで止まるはずがない」
花が、笑った。
食後、焚き火が落ち着いた頃、花がまた動き始めた。
ホットケーキミックスを取り出した。
牛乳と卵を合わせた。
サラダ油を熱した。
スプーンで丸く落とした。
油の中で、生地が膨らんだ。
きつね色になった。
取り出した。
砂糖をまぶした。
「明日の朝ごはんです」
ドーナツが、紙の上に並んだ。
本田が、目を丸くした。
鈴菌さんが、一つつまんだ。
また目が細くなった。
「花ちゃん、お前は何者だ」
「青森の無職の女の子です」
夜が、穏やかに更けていった。
*
翌朝。
ドーナツを食べた。
昨夜揚げたものが、砂糖をまとって朝の空気の中で光っていた。
キャンプ場を出た。
紀伊半島を横断する。
国道166号。
伊勢本街道だ。
適度なワインディングが続く。
山が深くなる。
でも走りやすい。
プレスカブが、気持ちよく道を刻んでいく。
やがて、道が下りになった。
和歌山に近づいている。
海の気配がある。
十四時。
和歌山港に着いた。
*
鈴菌さんが、乗船手続きをした。
手慣れた動きだ。
「よし、これで場所は確保した。あとは夜まで時間潰しだ」
マツゲン西庄店に寄った。
花が、カゴを持った。
野菜、肉、パスタ等の乾麺とレトルト食品やカップラーメンの補充。
調味料の残りを確認しながら必要なものを選んでいく。
手際が良くなっていた。
*
磯の浦海水浴場。
和歌山港から原付で三十分ほどだ。
着いた。
夕暮れだった。
海が、オレンジ色に染まっている。
水平線に、太陽が沈もうとしている。
サーフィンのメッカだと聞いていたが、今は波だけが静かに打ち寄せている。
誰もいない浜辺だ。
四台が砂浜の手前に止まった。
本田は、ヘルメットを脱いで海を見た。
言葉が出なかった。
夕日が、水面を割りながら沈んでいく。
空が、茜色から深い紫へと変わっていく。
波の音だけが続いている。
(こんな景色、鹿児島では見たことがなかった)
花が、夕飯を作り始めた。
お好み焼きの残りの材料が、まだたっぷりある。
調味料も、全部ある。
波の音を聞きながら、鉄板が温まった。
磯の浦の夕暮れの中で、お好み焼きの匂いが漂った。
四人が、砂浜に座って食べた。
波が、足元まで来ては引いていった。
食べ終えた。
焚き火は禁止なので、シュラフを出した。
砂浜にシートを敷いた。
潮風が、冷たい。
十月の夜の海は、容赦がない。
でも、波の音が、眠りに誘う。
鈴菌さんが言った。
「深夜一時半には出るぞ。起こすから寝とけ」
四人が、シュラフにくるまった。
潮風の中で、眠った。
*
鈴菌さんの声で目が覚めた。
一時半だ。
砂が、体についている。
潮風が、頬に冷たい。
四人が立ち上がった。
荷物をまとめた。
エンジンをかけた。
深夜の和歌山の街を走った。
信号が少ない。
街が、静まり返っている。
カブのライトだけが、道を照らした。
二時。
和歌山港に戻った。
待機列に入った。
フェリーが、港に浮かんでいる。
巨大だ。
南海フェリーだ。
二時四十分。
フェリーの口が、ゆっくりと開いた。
鉄板が、岸壁に降りた。
バイクが、一台ずつ乗り込んでいく。
本田は、プレスカブで鉄板の上に乗った。
タイヤが、鉄板を踏む音がした。
船の中に入った。
バイクを固定した。
甲板に出た。
港が、遠ざかっていく。
和歌山の灯りが、小さくなっていく。
出航した。
船が、黒い海の上を進む。
潮風が、ヘルメットもなしに顔に当たる。
冷たい。
でも、気持ちがいい。
じゅうたん席に戻った。
揺れながら、眠った。
*
五時。
徳島港に着いた。
フェリーのランプが、ゆっくりと開いた。
本田は、プレスカブで徳島の土を踏んだ。
四国だ。
初めての四国だ。
夜明け前の冷たい空気が、ヘルメットの中に入ってきた。
「飯を食ってから走るぞ」
鈴菌さんが言った。
*
徳島市中央卸売市場。
まるひろ。
市場の中にある食堂だ。
まだ薄暗い時間なのに、市場は動いている。
ターレットトラックが、忙しく走り回っている。
競りの声が、どこかから聞こえてくる。
熱気がある。
眠気が、少し吹き飛んだ。
きつねうどんを頼んだ。
来た。
出汁の香りが、鼻に来た。
一口飲んだ。
体が、温まった。
フェリーから降りて、冷え切った体の中に、出汁が染み渡っていく。
これだ、と思った。
旅の朝の一杯は、いつもこういうものだ。
「徳島のうどんは出汁が違うな」
鈴菌さんが言った。
アプリが頷いた。
花が、静かに飲んでいた。
本田も、また一口飲んだ。
*
市場を出た。
県道を北上した。
吉野川大橋を渡った。
橋の上から、右手を見た。
朝焼けが、瀬戸内海を染めている。
オレンジ色の光が、水面を割っている。
左手には、吉野川の広い川面が、同じ色に染まっている。
本田は、走りながら見た。
橋の上で止まることはできない。
でも、走りながら見えた。
両手に海と川の朝焼けがある。
こんな景色は、走っていないと見られない。
鳴門市に入った。
街並みが変わった。
田畑が広がっている。
大きな鳥居が見えた。
寺院の緑が、道沿いに続いている。
歩いているお遍路さんがいた。
白い白衣だ。
菅笠を被っている。
杖をついて、歩いている。
(本当に、お遍路の道なんだ)
本田は、そのお遍路さんとすれ違った。
お遍路さんが、軽く頭を下げた。
本田も、ヘルメットの中で頭を下げた。
*
七時半。
霊山寺に着いた。
第一番札所。
お遍路の始まりだ。
山門をくぐった。
白い白衣を着たお遍路さんたちが、門前に集まり始めていた。
線香の煙が、朝の空気に混じっている。
鐘の音が、どこかから来た。
四人が、山門の前に並んだ。
その時だった。
山門の前に、人影があった。
いつからそこにいたのか、わからない。
深編笠を被っている。
顔が見えない。
虚無僧だ。
尺八を持っている。
でも、吹いていない。
ただ、立っている。
本田は、その人影を見た。
視線が合った気がした。
でも、顔が見えない。
わからない。
虚無僧が、四人の方へ、ゆっくりと歩いてきた。
足音がしない。
砂利の上を歩いているのに、足音がしない。
近づいてくる。
近づいてくる。
四人が、固まった。
虚無僧が、四人の前で止まった。
深編笠の中が、暗い。
顔が、見えない。
何も言わなかった。
ただ、立っていた。
それだけだった。
波の音も、風の音も、しない気がした。
霊山寺の境内が、一瞬だけ、静止したような気がした。
本田のハンドルの道楽守が、風もないのに、揺れた。




