【reverse 34 道楽守と、カブに色んな景色を】
翌朝。
鈴菌邸のガレージが開いた。
プレスカブ、RS50、モトラ。
そこに、鈴菌さんのハスラー50が並んだ。
四台が、静岡の朝の空気の中に出た。
*
天王宮 大歳神社。
バイク神社だ。
鳥居をくぐった。
境内に、バイクの気配がある。
絵馬にも、お守りにも、ライダーの祈りが染みついている。
まず、お守りを買った。
道楽守だ。
革の紐がついている。
四人が、それぞれのバイクのハンドルに巻き付けた。
本田のプレスカブに、道楽守が揺れている。
鈴菌さんが、権禰宜さんにご祈祷をお願いした。
四人が、本殿の前に並んだ。
権禰宜さんが、祝詞を読み始めた。
静かだった。
風もなかった。
祝詞が続く。
鈴を振る音が、境内に響いた。
その音が消えた瞬間だった。
風が、来た。
どこからか、わからない。
木の葉が揺れた。
でも、強い風ではない。
ただ、囁くような、小さな風だった。
本田は、その風の中に何かを感じた。
言葉ではない。
でも、確かに何かが届いた気がした。
迷わずに進め。
そう聞こえた気がした。
気がしただけかもしれない。
でも、確かに聞こえた。
その瞬間、ハンドルに巻いた道楽守が、ほんの一瞬、淡く光った気がした。
本田が、隣を見た。
アプリが、ハンドルの道楽守を見ていた。
花が、自分の道楽守を見ていた。
鈴菌さんが、目を細めていた。
四人の目が、合った。
誰も何も言わなかった。
でも、全員が同じものを感じていた。
気のせいかもしれない。
でも、気のせいにしては、少し鮮明すぎた。
四人は、境内を後にした。
道楽守が、それぞれのハンドルで、静かに揺れていた。
*
スズキ歴史館。
鈴菌さんの顔が、入口から変わった。
目が、輝いている。
ここは、鈴菌さんにとって聖地だ。
館内に入った。
歴代のSUZUKIが並んでいる。
ガンマ、カタナ、ハヤブサ。
鈴菌さんが、一台一台の前で立ち止まって解説した。
「鈴木道雄はな、元々は織り機を作っていた人間なんだ」
「え?」
本田が、振り返った。
花も、目を丸くした。
「SUZUKIは最初、バイクメーカーじゃなかった。繊維産業、つまり布を織る機械を作るメーカーだったんだ。それが戦後にバイクを作り始めた」
「SUZUKIが織り機のメーカーだったなんて、全然知りませんでした」
「物を作る情熱があれば、何でも作れるということだ。鈴木道雄はそれを証明した人間だ」
鈴菌さんが、静かに、でも熱を持って語った。
いつものバカ野郎キャラとは、少し違う顔だった。
本当にSUZUKIが好きなんだ、と本田は思った。
ミュージアムショップに入った。
ラバーキーホルダーが並んでいる。
KATANAだ。
あの伝説のシルエットが、手のひらサイズになっている。
本田が、手に取った。
アプリが、手に取った。
花が、手に取った。
鈴菌さんが、三個まとめてレジに持っていった。
「俺からの土産だ」
「良いんですか?」
「当たり前だ」
四人が、それぞれの鍵にKATANAのキーホルダーを付けた。
本田のプレスカブの鍵に、KATANAが揺れている。
道楽守と、KATANA。
プレスカブの鍵束が、少し重くなった。
*
ホンダ宗一郎ものづくり伝承館。
鈴菌さんが、SUZUKIの人間なのに、ここにも連れてきてくれた。
「HONDAに乗ってる本田のためにな」
鈴菌さんが言った。
それだけで、本田は嬉しかった。
四人が中に入った。
入口で、本田がズボンのポケットを確認した。
スマホがない。
プレスカブに置いてきた。
「先に入っててください。スマホ取ってきます」
駐輪場に戻った。
プレスカブに近づいた。
おじいさんが、プレスカブの前にしゃがんでいた。
白髪混じりの髪が、少し乱れている。
額に、深い皺が刻まれている。
手に、オイルの匂いが染みついていそうな、指先だ。
プレスカブの前輪を、静かに見ている。
「まだまだ、これからだな……」
小さな独り言が、駐輪場にぽつりと響いた。
本田が、声をかけた。
「こんにちは。僕のカブに興味あるんですか?」
おじいさんが、顔を上げた。
目が、温かい。
「いい感じで回してくれてるね」
「はい! 稚内まで走りました!」
おじいさんが、少し目を細めた。
それから、静かに言った。
「カブはね、まだまだ走れるから。このカブにもっと色んな景色を見せてあげてくれよ」
立ち上がった。
本田の頭を、ポンと軽く触った。
それから、伝承館の入口へと歩いていった。
本田は、その背中を見ていた。
背筋が、伸びている。
ゆっくりとした歩き方だが、一歩一歩が確かだ。
入口のドアが、閉まった。
本田は、プレスカブのシートからスマホを取り出した。
伝承館に入った。
アプリと鈴菌さんと花が、展示の前に立っている。
本田も近づいた。
展示の中に、写真があった。
顔写真だ。
本田が、その顔を見た。
ドキッとした。
さっき、駐輪場で会ったおじいさんだった。
名前が書いてある。
本田宗一郎。
本田は、しばらくその写真の前に立っていた。
何も言えなかった。
まだまだ走れるから。
このカブにもっと色んな景色を見せてあげてくれよ。
その言葉が、胸の奥に沈んでいく。
(見せてあげる。絶対に見せてあげる)
本田は、展示の中の顔を、もう一度見た。
それから、前を向いた。
*
弁天島海浜公園。
湖の中に、赤い鳥居が立っている。
水面が、夕方の光を受けて光っている。
四台を並べた。
写真を撮った。
鈴菌さんが、水平線を見ながら言った。
「この後はどのルートで回るんだ? 花ちゃんもそろそろ青森に帰らないといけないだろ? 青森は雪が降るぞ?」
「そうですよね……そろそろ北上しなくちゃいけませんよね……」
花が、寂しそうに言った。
本田も、同じことを感じていた。
「僕ももうすぐ九州に着いちゃうから、なんか切ないですよ」
旅の終わりが、少しずつ近づいている。
鹿児島が、確実に近づいている。
それが嬉しいような、寂しいような。
アプリが、湖を見たまま言った。
「それなら、この後は四国でお遍路でもしながら、ゆっくり四国一周でもするか?」
本田が、顔を上げた。
「それ! 最高ですよ! 僕は行きたいです!」
「私も行きたいです! 青森市内なら十二月までは雪は積もらないので、まだまだ行けます!」
「お遍路か〜。デラ良いな! それ。俺も付き合うぜ!」
「鈴菌さんは、次の仕事はもう始まってるんじゃないですか?」
「それならまだ大丈夫だ。今はまだ派遣先を選んでる段階で見学しか行ってない。正式に次の職場とは契約とらん!」
四人が、顔を見合わせた。
次の目的地が、決まった。
四国だ。
お遍路だ。
赤い鳥居が、夕暮れの水面に映っている。
道楽守が、それぞれのハンドルで揺れている。
KATANAのキーホルダーが、それぞれの鍵束で揺れている。
四台のバイクが、弁天島の空を背景に並んでいる。
まだ、旅は終わらない。
終わらせたくない。
それは、四人全員が思っていることだった。




