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【reverse 32 江戸川区篠崎の、最高の誕生日】

 七時。


 高崎を出た。


 県道13号に入った。


 山間の道だ。


 信号が少ない。


 朝の空気が、ヘルメットの隙間から入ってくる。


 杉峠を越えた。


 少し勾配がある。


 でも、昨日よりは軽い。


 米を積んでいないからだ。


 群馬から埼玉へ、県境を越えた。



   *



 長瀞に着いた。


 荒川の岩畳が、朝の光を受けている。


 平らな岩が、川沿いに広がっている。


 その上に、人間が一人、大の字で寝ていた。



 アプリが、バイクを止めた。


 本田も止めた。


 花も止めた。


 三人が、岩畳の上で寝ている人間を見た。



 YAMAHAメイトが、そばに停まっている。



「モドキさん!!」



 本田が叫んだ。


 大の字の人間が、むくりと起き上がった。


 目を細めた。


 本田たちを見た。


 ニヤっとした。



「遅いぞ。待ちくたびれた」



「なんで長瀞まで来てるんですか!」



「待ちきれなかったんだよ。俺の庭だからな、埼玉は」



 モドキが立ち上がった。


 ジーンズにTシャツ。


 いかにも、という感じの男だ。


 メイトを見た。


 あのキャノンボールで焼き付いたはずのメイトが、綺麗に整備されて立っている。



「メイト、直ったんですね!」



「当たり前だ。俺のメイトを舐めるな」



 本田は、そのメイトを見て、少し胸が熱くなった。


 キャノンボールでリタイアした悔しさを、このバイクを直すことで昇華したんだ。


 それだけで、モドキという人間がわかった気がした。



 四台が、長瀞の岩畳の前に並んだ。


 宝登山神社への参道が、朝の静けさの中にある。


 モドキの先導で、今日は埼玉を走る。



   *



 小川町に入った。


 古い酒蔵が並んでいる。


 和紙の町だ。


 嵐山町の槻川沿いを走った。


 渓谷の緑が、川面に映っている。


 武蔵嵐山の石碑の前で止まった。


 確かに、京都の嵐山に似ている。


 でも、人が少ない。


 原付で来たからこそ、この静けさがある。



 川越に入った。


 菓子屋横丁だ。


 石畳の道に、色とりどりの飴と駄菓子が並んでいる。


 甘い香りが、路地に漂っている。


 花が、ふ菓子を買った。


 かじった。


 甘い。


 懐かしい味だ。


 青森でも食べたことがある気がした。



 川越を出た。


 国道254号を南へ。


 建物が増えてきた。


 道が広くなった。


 車が増えた。


 速度差が大きくなった。


 本田は、左端をしっかり走った。



 板橋、池袋を抜けた。


 東京に入った。


 春日通りを走った。



   *



 江戸川区篠崎。


 千葉との県境に近い。


 江戸川の堤防が、大きく視界を遮っている。


 瓦屋根の民家と、ビニールシートの建築資材置き場と、生産緑地の畑が混在している。


 東京の端っこだ。



 モドキが、とある砕石敷きの土地に入った。


 建物が見えた。


 一軒家かと思った。


 でも、違う。


 チャコールグレーのガルバリウム鋼板の外壁。


 スタイリッシュな狭小住宅のように見える。


 でも、建物の下部に、黒塗りのホイールを履いた重厚なタイヤが並んでいる。



「モドキさん! これってトレーラーですか!」



「当たり前だろ? 俺らみたいな流れ者は定住できないからな」



「まさか、これごと引っ越せるんですか!?」



「当たり前だろ? トレーラーだぞ?」



 玄関のアルミステップを上がった。


 中に入った。


 ちゃんとした寝室がある。


 リビングがある。


 トイレとシャワーもついている。


 窓の外には、プロパンガスのボンベが二本、チェーンで固定されている。


 排水ホースが、隣の作業場から蛇のように這っている。


 でも、中は温かかった。


 人が暮らしている場所だった。



「花ちゃんは寝室を使ってね。男子はリビングで雑魚寝だな」



「ありがとうございます!」



 夜、四人がリビングで語り合った。



「俺はいつか田舎の土地を買って、ライダーハウスをやるのが目標なんだ」



「モドキさんがライダーハウスを?」



「まあ、まだまだ資金がないから、まずは働かんとな〜」



 夜が、更けていった。



   *



 翌朝。


 四人全員がUberにログインした。


 東京の朝だ。



 鳴り止まない。



 高崎とは別物だ。


 一件受けて走り出す前に、次が来る。


 その次も来る。


 全部取ることは不可能だ。


 とにかく走った。


 走り続けた。



(これだけ人が多いと、自転車の方が走りやすいんだな)



 本田は走りながら思った。


 原付よりも自転車の方が、都内では速い場面がある。


 自転車。


 そのキーワードで、ある人物を思い出した。


 スマホで日にちを確認した。



(明日がリンの誕生日だった! ギリギリで思い出して良かった!)



 夜、モドキ宅に帰ってきた。


 本田は、モドキに聞いた。



「リンさんの誕生日プレゼントに、美味しい店を教えてほしいんですけど」



「江戸前寿司一択だ」



 本田は、LINEを開いた。


 リンのトーク画面に打ち込んだ。


『昨日から東京に来てます。明日は誕生日だよね。稚内のお礼に寿司を奢るよ』


 すぐに返信が来た。


『やったー! 覚えててくれたんだね!』


 モドキに教えてもらった寿司屋の近くの駐輪場で待ち合わせをした。



   *



 花視点。



 翌日も、朝からUberに入った。


 東京のUberは、鳴り続ける。


 ピックアップに行って、届けて、次のオーダーを受けて、また走る。


 その繰り返しの中で、花は少しずつ、自分がどこにいるのかわからなくなっていた。



 都内の道は、複雑だ。


 一方通行が、どこにでもある。


 ナビが「右折」と言っても、一方通行で入れない。


 別の道を探すと、また一方通行だ。


 気がついたら、全然違う方向に走っていた。



(篠崎はどっちだっけ)



 ナビを確認しようとした。


 画面が、暗くなっている。


 スマホのバッテリーが、切れかけている。


 モトラは6Vバッテリーだ。


 USBソケットがつけられない。


 都内のUberはログアウトする暇もないほど鳴り続けるから、モバイルバッテリーを全部使い果たしていた。



(スマホが切れたら、完全に終わりだ)



 花は、焦った。


 グループLINEを開いた。


 残りのバッテリーで、打った。


『迷子になりましたSOS』


 送った。


 スマホの画面が、また暗くなった。



 道路標識だけを頼りに走ろうとした。


 篠崎、という文字を探した。


 見つからない。


 江戸川区、という文字を探した。


 見つからない。


 知っている地名が、どこにもない。


 青森では、道に迷ったことがない。


 地名を見れば、大体の方角がわかった。


 でも、ここは違う。


 知らない地名しかない。


 どこを走っても、同じような景色が続く。


 ビルと、コンビニと、信号と、車の列だ。


 どこまで走っても、東京が続く。


 終わりがない。


 青森では、走り続ければ必ず山か海に出た。


 でも、ここは、走り続けても東京だ。



(怖い)



 花は、正直にそう思った。


 都会が怖いんじゃない。


 どこにいるのかわからないことが、怖い。


 モトラと二人で、知らない街の中にいることが、怖い。



 残りのバッテリーで、もう一度地図を確認した。


 今いる場所が、わかった。


 でも、そこから篠崎への道が、複雑すぎてわからない。


 バッテリーが、また警告を出した。



(仕方ない。コンビニでモバイルバッテリーを買おう)



 コンビニを探した。


 走った。


 ローソンの看板が見えた。


 港の近くだ。


 ローソンポートストア海岸店。


 止まった。



 店の前に、青いリトルカブが停まっていた。


 その傍らに、ヘルメットを被ったままの、小さな人物が立っていた。


 小学生に見える。


 でも、リトルカブのそばに立っている。



(……小学生がバイクに乗ってる?)



 花が、思わずじっと見た。


 小さな人物が、花の視線に気づいた。


 振り返った。



「貴女、それで青森から来たの? 今どきモトラなんてオシャレだね!」



「あ、ありがとう。貴女はリトルカブで来たの?」



「そう! 今、小笠原諸島から帰ってきたの。本当に遠かった〜」



「小笠原? 原付で?」



「そうなのよ。日本一周中だからね。一応、小笠原にも行っといた。レース中なのに利島なんかに行ったからさ〜。時間切れでリタイアしちゃったから、勢いでそのまま小笠原にも行ってみたのよ……」



「レース?」



「そう、知ってる? 原付キャノンボールランって」



「えっ? キャノンボールに出てた人ですか!?」



「うん! 利島でリタイアしたけどね」



「私の仲間もそれに出てたんです! プレスカブとRS50で!」



「プレスカブ? そいつ、レッグシールドにこのステッカー貼ってた?」



 小さな人物が、ヘルメットのシールドを上げた。


 オリジナルのステッカーを、花に見せた。



「たぶん、貼ってあったと思います。ただ、本田くんのレッグシールドはもうステッカーだらけで、全部のステッカー覚えてません」



「そうなんだ。そんなに貼りまくってるんだ」



「本田くんのこと知ってるんですか?」



「うん! 私は彼の師匠だからね! エッヘン!」



 胸を張った。


 小さな体で、堂々と胸を張った。



「私はロリ。若者を導く者!」



「本田くんの師匠……すいません! ロリ師匠! 本田くんにLINEしてもらえませんか? 私は今、ローソンポートストア海岸店にいるって!」



 ロリが、スマホを取り出した。


 本田にLINEした。


 それから、花を見た。



「詳しく話して。とりあえず中でコーヒー飲もう」



 イートインに入った。


 コーヒーを買った。


 花が、今日一日のことを話した。


 迷子になったこと。


 バッテリーが切れたこと。


 江戸川区篠崎に滞在していること。


 ロリが、全部聞いた。


 それから、短く言った。



「わかった。私が連れていってあげる」



「良いんですか?」



「弟子の仲間だもん! 私に任せなさいよ!」



 また、胸を張った。


 花は、その小さな背中を見て、なぜか安心した。


 この人は、信頼できる。


 理由はわからないけど、そう思った。



   *



 リン視点。



 花を探すために、自転車を漕いでいた。


 モトラというバイクの写真を、本田から送ってもらっていた。


 目立つバイクだ。


 すぐに見つかると思っていた。



(なかなか見つからないな……)



 都内の道を、二時間漕いだ。


 見つからない。


 自転車では、探せる範囲に限りがある。


 東京は、広すぎる。



 リンは、走りながら思った。


 東京に来て、一年が経つ。


 花巻から出てきた。


 大学に入った。


 でも、本当に親しい友達が、まだいない。


 サークルにも入っている。


 授業も受けている。


 でも、どこか、浮いている気がする。


 話が合う人が、いない。


 自転車で稚内まで走ったことを話すと、引かれる。


 ひとりで旅をすることを話すと、変な目で見られる。


 東京は広いのに、狭い。


 知り合いは増えるのに、仲間がいない。



 LINEが鳴った。


 本田からだ。


『花さんが見つかった。ロリさんが篠崎まで連れてきてくれる』



 リンは、自転車を止めた。


 息をついた。


 それから、本田に返信した。


『良かった。私も今から帰る』



   *



 江戸川区篠崎。


 モドキのトレーラーハウスの前。


 本田とリンが着いた。


 アプリとモドキは、すでに帰っていた。



「寿司屋、行けなかっただろ?」



 モドキが言った。


 本田が、リンに向き直った。



「リンさん、ごめんね。せっかくの誕生日なのに」



「別に良いよ。こうして久しぶりに本田くんとアプリさんに会えただけでも嬉しいよ」



「俺で良ければ、寿司握ろうか?」



 モドキが言った。


 本田が、目を丸くした。



「まさかモドキさんって、寿司も握れるの?」



「当たり前だ! 元飲食店で働いてたって言ったろ? そうと決まればアプリ! 買い出し付き合ってくれ」



 モドキとアプリが、出かけた。



 本田が、リンの前に立った。


 プレスカブのキーホルダーに、小さな達磨のキーホルダーがついている。


 それを外した。


 リンに手渡した。



「これ、達磨。一応、リンの好きなミーハーさんとお揃いだよ!」



「え? ミーハーさんとお揃い!? すごく嬉しいよ!」



「まあ、ミーハーさんのはもう少しデカイんだけどね……。でも、同じ高崎市の少林山達磨寺で買ったからね。大きさ違いのお揃いだよ」



 リンが、達磨のキーホルダーを受け取った。


 自分の鍵に、括り付けた。


 小さな達磨が、鍵束の中でゆらゆらと揺れた。



 その時、エンジン音が聞こえてきた。


 二台分だ。


 青いリトルカブと、モトラが、砕石の上に止まった。


 ヘルメットを脱いだ小さな人物と、花が降りてきた。



「ロリさん! お久しぶりです! 花さんをここまで連れてきてくれてありがとう!」



「弟子の仲間だもん! 私に任せなさいよ!」



 ロリが、胸を張った。


 それを見て、リンが少し笑った。


 この人は、なんだかわからないけど、面白い人だ。


 そう思った。



 やがてモドキとアプリが買い物から帰ってきた。


 モドキが、腕まくりをした。


 花が、隣に並んだ。


 モドキの寿司と、花の作るご馳走が、トレーラーハウスの小さなキッチンで作られていく。



   *



 リン視点。



 テーブルに、料理が並んだ。


 モドキが握った寿司が並んでいる。


 ネタが、光っている。


 花が作ったご馳走も並んでいる。


 香りだけで、旨いとわかる。



 七人が、テーブルを囲んだ。


 本田、アプリ、花、モドキ、ロリ、リン。


 全員が、それぞれ別の場所から来ている。


 全員が、旅をしている。


 全員が、原付か自転車かスクーターかで、日本のどこかを走ってきた人間だ。



 乾杯した。


 食べ始めた。



 モドキの寿司が、旨い。


 予約していた高級寿司屋よりも、旨いかもしれない。


 花の料理が、旨い。


 ロリが「私が小笠原で食べた魚よりは劣るけどね!」とマウントを取った。


 花が「じゃあ食べなくて良いですよ!」と言い返した。


 ロリが「そんなこと言ってないでしょ! 旨いから食べてるの!」と言った。


 テーブルが、笑った。



 リンは、笑いながら思った。



 東京に来て一年。


 ずっと、どこか浮いていた。


 話が合う人がいなかった。


 旅の話ができる人がいなかった。


 でも今、このテーブルには、全員が旅人だ。


 全員が、自分と同じ言葉で話せる。


 走ることの楽しさも、道に迷う怖さも、知らない土地で眠る安心感も、全部わかる人間が、ここにいる。



 誕生日に、高級寿司屋のディナーをしているはずだった。


 でも、花が迷子になった。


 ロリが現れた。


 モドキが寿司を握った。


 花がご馳走を作った。


 全員が、小さなトレーラーハウスに集まった。



 これが、最高の誕生日だ。



 リンは、そう思った。


 疑いなく、そう思った。


 花巻から東京に来て、一年間、どこか孤独だった。


 でも今夜、江戸川区篠崎のトレーラーハウスで、仲間が出来た。


 本当の仲間が、出来た。



 本田のLINE登録がなければ、今夜はなかった。


 本田が稚内で声をかけてくれなければ、今夜はなかった。


 花が迷子にならなければ、ロリとも出会えなかった。


 モドキのトレーラーハウスがなければ、全員が集まれなかった。



 全部が、繋がっている。


 全部が、必然だった気がした。



「リンさん、誕生日おめでとう」



 本田が言った。


 全員が続いた。


「おめでとう」


「おめでとうございます」


「おめでとう! 私より若いくせに!」とロリが言った。


「それ、マウントですか?」と花が言った。


 また、テーブルが笑った。



 江戸川の夜が、静かだった。


 トレーラーハウスの小さな窓から、空が見えた。


 東京の夜空は、星が少ない。


 でも、このテーブルは、温かかった。



 リンは、鍵束の達磨のキーホルダーを、そっと握った。


 小さくて、赤くて、温かい。


 ミーハーさんと大きさ違いのお揃い。


 本田らしいプレゼントだ。


 高級寿司じゃなくて、良かった。


 本当に、良かった。



 リンは、また笑った。


 今夜はよく眠れる気がした。



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