【reverse 30 サンポールと、2stの世界】
翌日も、高崎市の道を走った。
Uberバックが、プレスカブの背中にある。
スマホが、また鳴った。
マクドナルド十七号高崎店の前を通った時、またいた。
ディオチェスタのシートに、セイコが座っている。
今日も、黄昏ている。
本田が隣にプレスカブをつけた。
「セイコさん! 昨日はご馳走様でした!」
「本田くん! 今日は稼げた?」
「はい! 昼のピークの時点で五千円を超えましたよ」
その時、セイコのスマホからUber独特のアラーム音が鳴った。
セイコが、画面を一瞥した。
受けなかった。
「オーダー、取らないんですか?」
「あぁ、今のはショッピングモール内の店だから取らないのよ。ピックアップしにくい店だからね」
「確かに、ピックアップが面倒な店って多いですよね」
「うん。私はピックアップが楽なところしか取らないようにしてるからね。あと、ピックアップ先が三車線道路のところも取ってないよ。原付って三車線でUターンって、中々できないでしょ?」
「はい、僕も三車線のUターンは怖いです。なので、無理せずに一旦バイクから降りて、歩行者用の信号を押し歩いて反対車線に渡るようにしてます」
「それもまた面倒くさいね」
「まあ、そうなんですけどね……。でも、自動車との接触事故だけは避けないとね!」
「本田くんは偉いね! あ、そうだ! 本田くんなら二段階右折のことを知ってる? 配達終わってからで良いから、二段階右折を教えてよ!」
「えっ? 今まではどうしてたんですか?」
「交差点を左折してから、どこか車通りの少ない場所でUターンしたりしてた」
「確かに、それは面倒ですね……。良いですよ! 今夜も二十一時近くまで稼働してるので、それ以降なら教えますよ!」
LINEを交換した。
二人は、また散っていった。
*
夜の二十一時。
二段階右折の必要な交差点の前に来た。
セイコが後ろについている。
本田が、ゆっくりと交差点に入った。
直進レーンの左端を進んだ。
交差点の向こう側の停止線の手前で止まった。
信号が変わるのを待った。
変わった。
直進した。
完了だ。
セイコが、全く同じ動きをした。
「これが二段階右折? 意外と簡単だね」
「はい、慣れると逆に二段階右折禁止交差点の方が怖くなりますよ」
「そうなの?」
「はい、僕のカブは遅いので右車線に入ることが難しいんですよ」
「カブって遅いの?」
「セイコさんのディオチェスタに比べたら遅いです。トップスピードまでの時間が圧倒的にカブの方が遅いんです」
「私のバイクも十分遅いけど……」
「セイコさんのディオは2stなので、遅いってことはないはずですよ?」
「ちょっと本田くん、私のバイクに乗ってみてよ」
大きめの駐車場があるパチンコ屋の前に来た。
ビックつばめ高崎店だ。
駐車場に移動した。
(初めて2stに乗れる)
本田の中で、期待が膨らんだ。
アプリのRS50の圧倒的な加速を、隣で何度も見てきた。
鈴菌のストマジの、あの突き抜けるような加速も知っている。
あれが2stの世界だ。
これがそれだ。
セイコのディオチェスタに跨った。
アクセルを開けた。
モタ〜とした加速が来た。
(……あれ?)
期待していたものと、全然違う。
トップスピードも、五十キロに届かない。
2stとは思えない鈍さだ。
本田は、静かにがっかりした。
「本当に遅いですね……」
「でしょ? ジモティーで安かったからね。ポンコツでも文句言えないんだけどね……」
本田は、ディオチェスタを眺めた。
このバイクは、本来こんなものじゃないはずだ。
2stのエンジンが、こんな走り方をするはずがない。
何かがおかしい。
「セイコさん! 僕が高崎市に滞在中に、セイコさんの暇な時間に僕が滞在している家に来られませんか? 僕の仲間に2stバイクに詳しい人がいるんですよ!」
「2すと? 何それ?」
「セイコさんのディオチェスタは2stエンジンって言うんです。ちなみに僕のバイクは4stと言います。本来なら2stって、アクセルを開けた瞬間にビュンと加速するものなんです」
「ビュンと?」
「はい! 前輪が浮き上がるくらいに」
「それはオーバーに言い過ぎでしょ?」
「いや、マジです」
セイコが、少し考えた。
「もしそれが本当なら……明後日ならスーパーのパートも休みだから、行ってみようかな?」
*
ミルミル宅に帰って、アプリに話した。
アプリは、何も言わずに聞いた。
それから、短く言った。
「明後日、診てやる」
*
翌々日。
セイコがミルミル宅にやってきた。
ディオチェスタを、アプリの前に止めた。
アプリが、黙って周りを一周した。
屈んで、下から覗いた。
マフラーを確認した。
エンジンをかけさせた。
音を聞いた。
エンジンを止めた。
「まあ、時間と金はかかるが、直せなくもない」
「でも、バイクがないと私も困ります……」
ちょうど、ミルミルがヤクルト1000を持ってきた。
会話を聞いていた。
ミルミルがセイコに言った。
「うちの旦那のスクーターなら、しばらく乗っていても良いですよ」
ガレージから、YAMAHA GEARが出てきた。
セイコが、それに乗って帰っていった。
ディオチェスタが、ミルミル宅に残った。
*
「マフラーを外せ」
アプリが言った。
本田が工具を取った。
ボルトを緩めた。
マフラーを外した。
中を覗いた。
真っ黒だ。
カーボンが、ぎっしり詰まっている。
これでは排気が詰まる。
2stが本来の力を出せるはずがない。
「本当はあまり良くないんだが、マフラー出口を塞いで中にサンポールを入れて二十四時間放置だ」
「マフラーに?」
「本当なら社外品の安いマフラーに買い換えた方が手っ取り早いんだが、まずはサンポールで中を洗ってみてからだな。これで良くなれば社外品のマフラーを買えばいい。五千円もあれば手に入る」
マフラーの出口をテープで塞いだ。
入口からサンポールを注いだ。
サンポールがマフラーの中に満ちていく。
このまま二十四時間だ。
酸がカーボンを溶かしていく。
*
「次はキャブレターだ」
モトラで覚えた手順で、本田がキャブレターを外した。
分解した。
細い穴を、光に透かして確認した。
詰まっていた。
磨いた。
光が通るようになった。
組み直した。
「次はクランクケースだ」
アプリが言った。
本田が、ディオチェスタの左側を見た。
「ここがクランクケースですか?」
「あぁ、カブで言うギアの部分だな」
本田が、工具を当てた。
まず、キックペダルを外した。
ボルトを完全に抜かなければ外れないタイプだった。
外した。
クランクケースカバーを固定している8mmのボルトを、全て外した。
数えた。
全部抜いた。
プラスチックハンマーで、カバーを軽く叩いた。
均等に叩きながら、少しずつ引いた。
カバーが外れた。
プーリーが見えた。
「プーリーホルダーで固定しろ。外れないように抑えながら、センターナットを緩める。反時計回りだ」
本田が、ホルダーを当てた。
22mmのレンチをかけた。
力を込めた。
緩んだ。
ナットが外れた。
ボス、ランププレート、プーリー本体を順番に引き抜いた。
プーリーの中を覗いた。
古いグリスと、摩耗粉が溜まっている。
パーツクリーナーをかけた。
ウエスで拭いた。
また確認した。
また拭いた。
綺麗になった。
「ウエイトローラーは新品に変えた方が良いんだが、摩耗粉を綺麗にしてグリスを足すだけでも効果はある」
「このウエイトローラーは高いんですか?」
「そんなことはない。かなり安い。でも、マフラーと同じで、まずは効果があるか試してからだ。買ってしまってから効果がない場合も多い」
「なるほど。試して効果があれば新品を買えばいいんですね!」
「そうだな。その時はウエイトローラーだけじゃなくて、Vベルトとマフラーとプラグ、全部一緒に変えなければ意味がない。一点一点は安くても、全部一気に変えるとなると、Uber三〜四日分の稼ぎは一気に飛んでいくぞ」
「そうなんですね。アプリさんが常にRS50を整備してるのも納得です」
グリスをウエイトローラーに足した。
ランププレートをはめ直した。
ローラーが脱落しないように、裏側から指で押さえながらクランクシャフトに戻した。
ドライブフェイスを戻した。
「ナットの締め付けは最重要だ。ベルトがプーリーに噛んでいないか確認しろ。ベルトを後ろのクラッチ側にグッと落とし込んで、余裕を持たせた状態でナットを指で締めてからホルダーで固定して締め付ける。ここが甘いと走行中にクランクシャフトのスプラインを舐めてしまう。そうなったら廃車級のダメージになる」
「わかりました」
本田が、慎重にナットを締めた。
確認した。
もう一度確認した。
カバーを戻した。
エンジンをかけた。
プーリーが、スムーズに動いた。
異音がない。
キックペダルを戻した。
*
「次は藤岡の二りんかんだ」
二台が走った。
藤岡二りんかんに入った。
ディオチェスタ用のエアクリーナースポンジを探した。
ミッションオイルを選んだ。
カストロールの2stオイルを取った。
レジに持って行った。
帰った。
本田がエアクリーナーボックスを外した。
カバーを開けた。
覗いた。
「アプリさん! 中身がないですよ!」
スポンジが、欠片しか残っていない。
いや、欠片すら怪しい。
ほぼ消えている。
「ノーメンテだとそんなもんだ」
「無くなったスポンジはどこに行ったんですか?」
「もちろんエンジンの中だ」
「それって大丈夫なんですか?」
「大丈夫ではない。もしもシリンダー内にスポンジが残った影響でピストンヘッドが溶けていたり、シリンダー内が傷ついていたら、このディオチェスタは終わりだな」
本田が、黙った。
そういうことだったのか。
最初から新品パーツを全部買い揃えるのではなく、出来ることから試していく理由が、今わかった。
もしエンジン内部が終わっていたら、部品をいくら変えても意味がない。
まず確認してから、次の手を打つ。
バイク屋に持ち込めば、全部新品に変えられる。
それで直るかもしれない。
でも、直らないかもしれない。
アプリは、金をかける前に、やれることをやっている。
「それにセイコは別に、圧倒的な加速が欲しいわけでもないだろ?」
「そうですね。こんな簡単な整備だけで、セイコさんの気持ちが楽になればいいですよね」
新しいスポンジをカットして、エアクリーナーボックスにセットした。
ミッションオイルを交換した。
2stオイルを補充した。
その日はそこまでだった。
マフラーがサンポールに漬かっている。
二十四時間待つ。
*
翌日。
サンポールを抜いた。
水で洗い流した。
重曹で中和した。
2stオイルを内部に吹いて、錆止めをした。
本田が、マフラーを取り付けた。
ボルトを締めた。
確認した。
エンジンをかけた。
ドドドドド……。
マフラーから、白い煙が大量に出た。
本田が、少し不安になった。
でも、アプリが何も言わないので待った。
煙が、だんだん収まってきた。
やがて、止まった。
本田が、ディオチェスタに跨った。
恐る恐る、アクセルを開けた。
車体が、前に出た。
(……あれ?)
もう一度、アクセルを開けた。
今度は、少し深めに開けた。
ビュン、と来た。
前回とは、全然違う。
加速の感触が、別のバイクになっている。
トップスピードへの到達が、鋭い。
プレスカブとは明らかに異なる次元だ。
2stが、回転に乗った瞬間に、弾けるように前に出る。
その感覚が、全身に来た。
(これが……2stの世界か)
試運転のつもりだった。
でも、止まれなかった。
ミルミル宅の近くの道を、何度も往復した。
アクセルを開けるたびに、ディオチェスタが弾けた。
サンポールとエアクリーナーと2stオイル。
お金にすると、たいした額ではない。
でも、このバイクが持っていた本来の力が、戻ってきた。
本田は、走りながら思った。
セイコに乗ってほしい。
原付が面倒くさいと言っていたセイコに。
このバイクで走ってほしい。
楽しいかどうかは、セイコが決めることだ。
でも、少なくとも、今日乗ったディオチェスタは、昨日のディオチェスタじゃない。
夕暮れの高崎の道を、ディオチェスタが走り続けた。
白い煙が、少しだけマフラーから漂っていた。
それが、2stの証だった。
YAMAHA GEAR
型式 2BH-UA08J
最高出力 4.3ps / 8,500rpm




