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【reverse 28 至高の麺打ちと、シロタ株の番人】

 七時。


 日光を出た。


 四台が走り出した。



 草木ドライブインで休憩した。


 よもぎ饅頭を食べた。


 緑色の皮が、口の中で柔らかく崩れた。


 よもぎの香りが広がった。


 山の中のドライブインで食べるよもぎ饅頭は、なぜこんなに旨いのか。


 旅の途中で食べるものは、全部、旨い。


 それだけは、毎回確かだ。



 南へ走った。


 栃木の山が、だんだん低くなっていく。


 平野が広がってきた。


 佐野市に入った。



   *



 佐野ラーメン店の佐野やつや。


 開店時間は過ぎている。


 でも、暖簾が出ていない。


 本田が、のれんをくぐって中を覗いた。


 バイトらしき男性が、入口近くで狼狽えていた。


 ネームプレートに「岡星」と書いてある。



「あの〜、もう入れますか?」



「す、すいません! 少しだけトラブルがありまして……」



 その時、厨房から店主が現れた。


 腰を手で押さえている。


 ぎっくり腰だ。



「岡星、暖簾を出せ。麺なら何とかする」



「オヤッサン! そんな身体で無理ですよ!」



「今日休んじゃまうとせっかく仕込んだスープがダメになる。ランチ時間の分くらいの麺なら打てる!」



「無茶してもっと腰を悪くしたらどうするんですか!」



 その時、アプリとミーハーと花が店内に入ってきた。



「本田くん、何かあったの?」



「うん、どうやらご主人の体調が悪いみたい。他のラーメン屋さんを探そうか?」



 花が、腰を押さえている店主に歩み寄った。



「スープはできてるんですよね?」



「あぁ、ぎっくり腰で麺を打てないだけなんだ。スープは完璧に仕上げてある」



 花が、少し考えた。


 一秒も経たなかった。



「もし良かったら、私が麺を打ちましょうか?」



 店主と岡星が、同時に振り返った。



「は?」



「あんた、佐野ラーメンを舐めてるのか? 佐野ラーメンの麺は素人では絶対に打てないんだぞ?」



「私も佐野ラーメンは作ったことがないけど、頑張ります! やらせてみて下さい!」



「ふざけるな! 青竹打ちは素人には出来ん!」



 店主が、青竹を胸に抱いた。


 それを、花が正面から受け取った。


 強引に、しかし鮮やかに。



 作業台の上に、麺の生地が置いてあった。


 花が、青竹を生地の上に当てた。


 押した。


 転がした。


 手の動きが、迷っていない。


 生地が、均一に伸びていく。


 見たことのある動きだ、と思った人間が、この場に一人もいなかった。


 いや、一人だけいた。


 花自身だ。


 テレビで見た動きを、体が再現していた。



 店主の目が、変わった。



「あ、あんた……経験者か?」



「いいえ、今日が初めてですよ。青竹打ちはテレビで見たことがあるので、見様見真似で頑張ります!」



 生地が、ある程度の厚さに伸びた。


 花が、青竹を床に置いた。


 その上に生地を乗せた。


 足を青竹にかけた。


 体重をかけた。


 踏んだ。


 ゆっくりと、前後に動かした。


 生地が、均一に圧力を受けて伸びていく。



 その姿が、あまりにも自然だった。


 可憐だった。


 まるで、舞踊を見ているようだった。


 青竹の上を往復する花の足が、リズムを刻んでいる。


 体重の乗せ方が、均等だ。


 生地への圧力が、一定だ。


 初めてとは思えない。


 初めてなのに、初めてではない。



 店主が、固まっていた。


 岡星が、口を開けていた。


 本田が、見惚れていた。


 アプリが、腕を組んで見ていた。


 ミーハーが、すごいとだけ思っていた。



 花が、麺切りを始めた。


 包丁が、リズムよく動く。


 佐野ラーメン特有の不揃いな幅で、丁寧に切られていく。


 切れた麺が、まな板の上に並んでいく。



 店主が、一本だけ取った。


 口に入れた。


 噛んだ。


 目を閉じた。


 それから、ゆっくりと目を開けた。



 その声が、変わっていた。



「さすがは海原はんや!!」



 アプリが、眉を上げた。



「海原はん! これなら行けまっせ! 岡星はん! 暖簾を出しておくんなはれ!!」



(京極だ……)



 アプリは、腕を組んだまま思った。


 店主の口調が、あの漫画の登場人物そっくりになっていた。


 関西弁で、熱狂的に、麺の素晴らしさを語り始めている。


 花は今、この店主の目に、海原雄山に見えているんだ。


 そしてアプリには、この店主が完全に京極に見えていた。



 岡星が、暖簾を外に掛けた。



 花が、完成した麺を手に取った。


 両手で、揉み始めた。


 手が、麺を絡める。


 縮れが生まれていく。


 佐野ラーメン特有の縮れが、花の手の中で作られていく。



「まさに至高や! これこそが至高のメニューや! 岡星はん! 丼の準備や!!」



 岡星が、丼をお湯の中に入れた。


 温めている。


 花が、麺を茹で鍋に入れた。


 湯が、踊っている。


 麺が、湯の中で揺れる。



 岡星が、丼を取り出した。


 お湯を捨てようとした。



 その瞬間、花の目が見開いた。



「愚か者めが!!」



 岡星が、ビクッと固まった。



 花が、岡星に向かって歩いてきた。



「丼の温度がまだそれに達していない! 丼の温度でラーメンの全てが決まるのだ!!」



 岡星が、慌てて丼をお湯に戻した。


 もう一度、温め直した。



 アプリが、本田の隣に立った。


 ぼそっと言った。



「……完全に雄山と京極だな」



「ゆうざん?」



「知らんか……まあいい」



 本田が、首をかしげた。


 アプリが、本田の背後の棚を見た。



 漫画が並んでいた。


 ずらりと並んでいた。


 その中に、背表紙がずっと続いている一作品がある。美味しんぼだった。


 全巻揃っている。


 本田はまだ気づいていない。


 アプリだけが、静かに見ていた。



 丼が、温まりきった。


 ちょうどその瞬間に、麺も茹で上がった。


 岡星が、丼にスープを注いだ。


 花が、平ざるを持った。


 一振り、二振り。


 水が、弧を描いて飛んだ。


 完璧な湯切りだ。


 一滴のスープの濁りも許さない、職人の湯切りだ。


 花が、麺を丼に入れた。


 スープが、麺を包んだ。



 それは、一つの芸術作品だった。



 佐野ラーメンが、三つ、アプリと本田とミーハーの前に並んだ。



 三人が、箸をつけた。


 麺を持ち上げた。


 スープを飲んだ。



 旨い。


 今まで旅で食べてきたどのラーメンよりも、旨い。


 なぜ旨いのか、わからない。


 でも旨い。


 それが全部だった。



   *



 やがて、店に客が入り始めた。


 花が、オーダーを受け始めた。


 一杯、二杯、三杯。


 手が、止まらない。


 青竹が、リズムを刻む。


 湯切りが、弧を描く。



「海原はん!! 流石や!!」



 店主が、叫び続けた。



 その頃、電話が鳴った。


 岡星が出た。


 出前のオーダーだった。


 岡星が断ろうとした時、アプリが言った。



「俺たちに任せろ」



 出前用のスーパーカブが、店の前にあった。


 出前機がついている。


 岡星が、鍵を本田に渡した。



「本田さん! よろしくお願いします!」



「任せてください! 出前のオーダーをガンガン受けちゃっていいですよ!」



 本田が、料理を出前機に乗せた。


 出前用のスーパーカブで、佐野の街へ走り出した。


 この街の知らない道を、出前カブが行く。



 その後も、本田は往復を続けた。


 花は店内で、ランチタイムを完璧にこなした。


 アプリとミーハーは近くのパチンコ屋で待つことにした。



   *



 ランチタイムが終わった。


 中休みになった。


 店主が、花と本田に向かった。


 腰を押さえながら、深く頭を下げた。



「本当に助かった。あんたたちがいなければ今日は諦めるしかなかった」



 バイト代を、二人に手渡してくれた。


 花が、丁寧に受け取った。


 本田も受け取った。



 アプリ達との待ち合わせ場所であるセブン-イレブン佐野堀米町店の前で待つことにした。


 二人が店内に入った。


 本田が、レモン牛乳を買った。


 花が、ぐんぐんグルトを買った。


 二人で飲みながら、外でアプリ達を待った。



 すぐに、アプリとミーハーが現れた。


 二人とも、顔がホクホクしていた。


 本田には、それだけでわかった。



(パチンコで勝ったんだ)



 何も聞かなかった。


 何も言わなかった。


 ただ、そう思っただけだった。



   *



 群馬県に入った。


 高崎市に向かって走っていた。



 バックミラーに、何かが映った。


 本田が、もう一度見た。


 三輪のスクーターだ。


 ジャイロXだ。


 ヤクルトレディの制服を着た人物が、こちらに向かって走ってきている。


 修羅の顔をしている。



 本田は、クラクションを鳴らした。


 止まれの合図だ。


 前の三台が、とある駐車スペースで止まった。


 本田も止まった。



 ジャイロXが、四台の横に止まった。


 降りてきた。



 ミーハーが言った。



「ミルミルさん! 久しぶり!」



 ミルミルは、ミーハーに返事をしなかった。


 真っ直ぐ、本田の前に立った。


 プレスカブのドリンクホルダーを指さした。


 レモン牛乳が、刺さっている。



「本田くん! 群馬県の条例で群馬県にはレモン牛乳を持ち込めないことを知らないの! これにはシロタ株が入っていないのよ? 気は確か?」



「えっ? そんな条例が?」



「早く飲みきって! さあ!」



 本田は、残ったレモン牛乳を一気に飲み干した。


 飲み干した瞬間に、ミルミルの顔が戻った。


 いつもの、穏やかな笑顔になった。



「ミーハーさん、本当に久しぶりね」



「ミルミルさん、花さんもぐんぐんグルトを飲んでるけど良いんですか? あれも乳酸菌飲料じゃないんですか?」



 花がビクッとした。


 縮んだ。


 ミルミルが、穏やかに言った。



「ぐんぐんグルトはね。群馬県館林市の名産品なの。だから、シロタ株が入ってなくても安全なのよ、うふふ」



 花の頭を、ミルミルが撫でた。


 花が、安堵しながら自己紹介した。



「初めまして。青森から来た花です」



「あら、ぐんぐんグルトをちゃんと飲んで偉いわね。これも後で必ず飲むのよ」



 ミルミルが、ヤクルト1000を花に手渡した。


 花が、両手で受け取った。



「ミルミルさん、お米を持ってきたのよ。早く降ろしたいから家まで案内してよ」



「あら! こんなにたくさん持ってきてくれたの? 嬉しいわ! それなら着いてきて」



 ジャイロXが走り出した。


 四台が、後に続いた。



   *



 ミルミルの家に着いた。


 米を降ろした。


 三十キロが、玄関に並んだ。


 ミルミルが、嬉しそうに見ていた。


「今夜は皆さん泊まって行ってね」と言い残して

 仕事に戻っていった。



 荷物をミルミル宅に降ろした四人が、身軽になった。


 ミーハーが、スマホで調べていた。


 近くに、だるま寺があるらしい。



「行こうか」



 アプリが言った。



   *



 少林山達磨寺。


 山門をくぐった。


 石段が、上へ伸びている。


 百六十段だ。


 上が、見えない。



 四人で登り始めた。


 一段、二段、三段。


 足が重くなってくる。


 五十段を過ぎた頃、全員の息が上がっていた。


 百段を過ぎた頃、会話がなくなった。


 一段ずつ踏みしめた。


 現世の雑音が、後ろに残っていく。


 乾いた枯れ葉の音だけが、足元に聞こえた。



 上に着いた。



 本堂が、夕暮れの光の中にあった。


 西の空が、茜色から群青へと溶けていく時間だ。


 薄暮の刻だ。


 霊符堂の屋根が、夕陽を受けて鈍く光っている。


 無数のだるまが、堂の暗がりに鎮座している。


 それぞれの眼が、一点を見つめている。


 どのだるまも、前を向いている。


 ひとつとして、後ろを向いていない。



 静寂だった。


 境内全体が、静寂に包まれていた。


 観光地の賑やかさではない。


 祈りが積み重なった場所の静けさだ。



 その静寂を、音が裂いた。



 ゴォォォォォン……。



 鐘だ。


 誰かが、鐘を撞いた。


 重厚で、しかし柔らかい音が、十月の空気を震わせた。


 波紋のように、境内に広がった。


 余韻が、長く続いた。


 やがて、消えていく。


 消え入るように、秋の夜闇に吸い込まれていく。



 その刹那の消滅が、美しかった。



 本田は、その音の中に立っていた。


 なにも言えなかった。


 言葉が出てこなかった。


 この世界には、言葉がいらない景色がある。


 この瞬間がそうだった。


 朱色の夕映えが、本堂の柱に長い影を落としていた。


 やがて、全部が影絵のように黒く沈んでいく。



 本田は、本堂の前にある売り場を見た。


 だるま寺のステッカーが売っていた。


 買った。


 手の中に、ステッカーがある。


 またプレスカブに貼れる。


 それだけで、嬉しかった。



 隣では、ミーハーが何かを見ていた。


 だるまだ。


 大きいだるまだ。


 高さ五十センチほどある。


 だるまの十七号と書いてある。



 ミーハーが、売り場の人を呼んだ。



「これください」



 本田が、ミーハーを見た。


 アプリが、ミーハーを見た。


 花が、ミーハーを見た。



 三人とも、何も言わなかった。



 ミーハーが、だるまを大切そうに両手で抱えた。


 満足そうな顔をしていた。


 本当に、心から満足した顔だった。



   *



 百六十段を降りた。


 バイクに戻った。



 ミーハーが、だるまをAV50のリアキャリアに乗せた。


 ロープで固定した。


 ガッチリと縛った。


 何度も確認した。


 ずれないか確認した。


 落ちないか確認した。



 ミーハーが、立ち上がった。


 だるまを背負ったAV50を、愛おしそうに眺めた。



「よし」



 満足そうに言った。



 本田が、AV50の背中を見た。


 五十センチのだるまが、kawasakiの愛機の背中で、こちらをまっすぐ見ていた。


 赤い顔が、夕暮れの空を背景に、どっしりと座っていた。



 本田は、アプリを見た。


 アプリが、前を向いた。


 花が、少し遠くを見た。



 誰も、何も言わなかった。


 言えなかった。


 嬉々としてだるまを括り付けているミーハーに、ダサいとは、もはや誰も言えなかった。



 四台が、達磨寺の駐車場を出た。


 先頭のAV50のリアキャリアで、だるまが夕暮れの風の中、前だけを向いていた。





HONDA スーパーカブ

(マルシン出前機3型搭載)


型式 BA-AA01

最高出力 4.0ps / 7,000rpm


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