【reverse 26 米10キロと、スーパーローギアの意味】
リリーとzyo-yaが走り去った。
西馬音内の水路の音が、また戻ってきた。
四人が、それぞれのバイクの前で荷造りを始めた。
ミーハーが、納屋の奥から米袋を二つ持ってきた。
十キロの袋だ。
一つを本田に手渡した。
一つを花に手渡した。
「本田くんと花ちゃんのバイクなら、これくらい積めるでしょ?」
「えっ? 米二十キロも?」
「本当はアプリのプリリアントにも積んでほしいんだけど、さすがに無理よね……」
「僕らはこんなに米を食べられませんよ!」
「別に本田くん達にあげる訳じゃないから安心して! ミルミルさんへのお土産だから」
「お土産で米を二十キロも?」
「二十キロじゃないわよ。私のAV50にも積むんだから三十キロよ!」
本田が、米袋を持ったまま固まった。
アプリが、荷造りを続けていた。
RS50の積載量を、黙って計算しているような顔だった。
こうして、ミーハーが仲間に加わった。
*
七時。
西馬音内を出た。
四台が走り出した。
ミーハーのAV50が先頭だ。
国道398号から国道13号を目指す。
山が、近づいてくる。
秋田と山形の県境へ向かっている。
雄勝峠に入った。
道が、登り始めた。
緑が、深くなった。
ワインディングが続く。
本田のプレスカブが、遅くなった。
速度計を見た。
十キロ。
下り坂での巡航速度が、今は上り坂での限界速度になっている。
荷物に、米が十キロ加わっている。
プレスカブの積載量は、もともとそれほど余裕がない。
カブ系のエンジンは、低回転からトルクがある。
でも、勾配がきつくなると話が変わる。
ローギアに落とした。
それでも、坂が終わらない。
前を走る三台が、どんどん遠ざかる。
一番急な勾配に差し掛かった時、本田はプレスカブを止めた。
降りた。
押し歩きだ。
(なぜモトラは登れているんだ……)
本田は、坂の上を見た。
花のモトラが、グイグイと登っていく。
同じC50系のカブエンジンを積んでいるはずのモトラが、米を十キロ積んだまま、急勾配を登っていく。
ここに、プレスカブとモトラの決定的な違いがある。
モトラには、スーパーローギアがある。
通常のカブ系三速ギアに加えて、さらに一段低いギアが備わっている。
林道や悪路、急勾配での作業を想定して設計されたバイクだから、当然の装備だ。
スーパーローに入れると、エンジンの回転を最大限に活かして、ゆっくりと、でも確実に登ることができる。
エンジン自体は同じだ。
でも、ギア比が違う。
そのたった一段の差が、急勾配では決定的な差になる。
プレスカブの三速は、平地での快走に最適化されている。
モトラのスーパーローは、荷物を積んだ急勾配を想定している。
農道を、山道を、畑の中を走るために生まれたバイクだから。
花が、坂の上からモトラで振り返っていた。
バックミラーに映る本田が、プレスカブを押している。
花は、モトラのスロットルを少し開けた。
(おじいちゃん、凄いバイクを残してくれてたんだね)
スーパーローギアが、確かな力で坂を登っていく。
米袋を積んで、急勾配を、着実に。
農作業のために生まれたエンジンが、農作業の米を積んで、山を越えていく。
それは、このバイクが最初から持っていた仕事だった。
本田が、プレスカブを押しながら、汗をかいていた。
ミーハーは、キャンプ用品もほぼ積んでいないので一応登れている。
アプリのRS50は、軽量な車体と二ストの特性で、坂に入ると逆に元気になる。
本田だけが、坂の中腹で一人、押し歩いていた。
*
尾花沢で休憩した。
スイカ畑が広がっている。
最上川が、遠くに見えた。
上山市に入ると、左手に蔵王連峰が現れた。
山肌が、晴れた空の下にくっきりと見える。
白い雪が、まだ頂上に残っていた。
ラーメン処おいわけで昼食にした。
辛味噌ラーメンを頼んだ。
来た。
旨かった。
山形はラーメン王国と聞いていたが、確かだった。
スープが深い。
麺が太い。
チャーシューが厚い。
午後の峠に向けて、体に力が入った。
*
米沢市に入った。
国道121号へ折れた。
大峠道路だ。
トンネルが連続する。
巨大な橋が、山の上に架かっている。
橋の上から見下ろすと、谷が深い。
空中を走っているような感覚だ。
「空中を走ってるみたいですね!!」
本田が叫んだ。
前を走るアプリが振り返らずに言った。
「よそ見するな。ニーグリップしっかり入れろ」
本田が、ハンドルを握り直した。
急勾配に差し掛かった。
またプレスカブが遅くなった。
十キロを下回った。
ローギアに落とした。
それでも、坂が続く。
三台が、先に行った。
誰も止まらなかった。
止まれない。
山の中のトンネル前で四台が止まれば、後続車に迷惑だ。
本田は、また押した。
一人で押した。
トンネルの手前まで押して、そこから乗って中を走り抜けた。
トンネルを出ると、福島県に入っていた。
ようやく下りになった。
プレスカブが、息を吹き返した。
*
喜多方のスーパーで食材を買った。
豚バラブロック。
ゆで卵用の卵。
長ねぎ。
チューブ生姜。
醤油、酒、砂糖。
キャンプ場に着いた。
喜多方の街が、眼下に広がっている。
遠くに、磐梯山のシルエットが見えた。
テントを張った。
焚き火を起こした。
本田がご飯を炊き始めた。
花が、調理に入った。
*
花視点。
メスティンを二つ、火の前に並べた。
一つ目のメスティンに、豚バラブロックを入れた。
食べやすい大きさに切ってある。
スーパーで切ってもらった。
長ねぎの青い部分を、ざっくり折って入れた。
チューブ生姜を一センチほど絞った。
醤油を大さじ三、酒を大さじ三、砂糖を大さじ二。
水をメスティンの半分くらいまで注いだ。
肉が、ちゃんと浸かった。
二つ目のメスティンにも、同じ手順で入れていく。
蓋をして、火にかけた。
沸騰してきた。
蓋の隙間から、醤油と砂糖の甘い匂いが漏れてきた。
弱火にした。
このまま二十分から三十分、煮込む。
花は、二つのメスティンを確認しながら、焚き火の向こうを見た。
ミーハーが、アプリの隣に座っていた。
地図を広げている。
二人とも、地図を見ながら話している。
(あの二人、対等だ)
花は、思った。
リリーはアプリの前では、少しだけ頼っている感じがあった。
でも、ミーハーは違う。
旅人として、同じ場所に立っている感じがする。
地図を指さして、ミーハーが何かを言った。
アプリが頷いた。
アプリが別の場所を指さした。
ミーハーが頷いた。
キャノンボールランを完走した人間だ。
あの過酷なレースを、ミーハーは一人で走りきった。
世界中からアクセスが来るほどの動画を撮った。
今日は三台を先導して、秋田から福島まで走った。
疲れているはずなのに、地図を前にしたミーハーの目が、生きている。
花は、メスティンの蓋を少しずらして、中を確認した。
煮汁が、いい色になってきた。
豚肉が、醤油の中でゆっくりと変わっていく。
(ミーハーさんみたいになれるのかな、私は)
美しいだけじゃない。
走れる。
一人で走れる。
アプリと対等に地図を見られる。
それが、本物の旅人だ。
世界中の人が動画に釘付けになった理由が、今日一日でわかった気がした。
走っている姿が、カッコいいんじゃない。
一人で走れる強さが、画面越しでも伝わるんだ。
花は、醤油煮の香りを確かめた。
いい匂いだ。
もう少しだ。
本田が、ご飯用のメスティンから湯気が出ているのを確認して「炊けそうです」と言った。
花が「もう少しだけ待って」と言った。
仕上げの時間が来た。
火を一度強くした。
煮汁が、少し煮詰まっている。
ゆで卵を入れた。
全部で六個。
二つのメスティンに、三個ずつ転がした。
蓋をして、五分。
火を止めた。
蓋をしたまま、十分待つ。
余熱で、卵に味が染み込んでいく。
肉が、さらに柔らかくなっていく。
この十分が、一番大事だ。
急がないことが、美味くする。
花は、その十分の間も、ミーハーを見ていた。
アプリが、地図上のある場所を指さした。
ミーハーが首を横に振った。
別のルートを提案しているらしい。
アプリが、少し考えた顔をした。
それから、ミーハーの指さした方向を見た。
頷いた。
(アプリさんが頷いた)
花は、目を丸くした。
あのアプリが、ミーハーの意見に頷いた。
それだけで、ミーハーという旅人の凄さがわかった気がした。
原付キャノンボールランとは、そういうことが出来る人間を作るレースなんだ。
十分が経った。
蓋を開けた。
醤油の色が、豚肉に染み込んでいる。
卵が、うっすら茶色くなっている。
長ねぎが、くたくたになって肉に絡んでいる。
香りが、キャンプ場の夜気に広がった。
「ご飯、炊けました」
本田が言った。
花がメスティンを並べた。
アプリが地図を閉じた。
ミーハーが立ち上がった。
四人が、焚き火を囲んで座った。
花が、豚の醤油煮と煮玉子を、ご飯の隣に並べた。
ミーハーが一口食べた。
箸が止まった。
もう一口食べた。
「ものすごく美味しい」
それだけだった。
でも、それだけで十分だった。
花は、焚き火を見ながら、ひっそりと笑った。
磐梯山のシルエットが、夜空に浮かんでいた。
喜多方の街の灯りが、眼下に広がっていた。
豚肉の醤油煮の香りが、焚き火の煙と混ざって、夜の森に漂っていた。
*
夕飯が終わった。
ミーハーが花に声をかけた。
「温泉、行こ」
二人は、AV50とモトラで走り出した。
道の駅喜多の郷、蔵の湯。
露天風呂に入った。
夜の空気が、頬に冷たい。
でも、湯が温かい。
「ミーハーさんは、どうしてキャノンボールに出たんですか?」
「現実逃避」
「えっ? それだけ?」
「今年で大学も卒業だからね〜。就職もしたくなかったし、本当に現実逃避なのよ」
「凄くわかります。私もそんな感じで旅に出ましたから……」
「まあ、原付で旅してるとゲームで言う経験値がめっちゃ貯まってる実感が湧くでしょ? これって普通に暮らしてたら絶対に獲られないものなのよ。だから、花ちゃんもこの旅で必ず何かを獲られるはずよ」
「私はもうモトラを獲られましたから、これでも満足してるんですけどね」
「モトラ? ダメよ。そんなもので満足していたら! リリーさんを見たでしょ? 貴女もkawasakiにしなさい! そうすれば更に幸せになれるわよ」
「kawasakiですか……でも、私はモトラが好きです」
「まあ、お米を運ぶには最高のバイクなのは認めるわ。モトラなら三十キロ袋でも積めそうだもんね」
花は、笑いながら湯に浸かった。
そうだ、今日のモトラはすごかった。
米を積んで、急勾配を、スーパーローで登っていった。
本田のプレスカブが止まった坂を、モトラは止まらずに登った。
おじいちゃんは、農道を走るためにモトラを買ったんだ。
農作業のために生まれたバイクだから、農作業の米を積んで山を越えた。
(やっぱり、このバイクは凄い)
花は、露天風呂の縁に頭を預けた。
夜空に、星が出ていた。
磐梯山の影が、星空の下に黒く浮かんでいた。
ミーハーが、湯船の中で伸びをした。
その仕草も、様になっていた。
どこにいても、何をしていても、様になる。
それがミーハーという人間だ。
*
キャンプ場に戻った。
花のテントに、二人で入った。
寝袋を並べた。
ミーハーが、あっという間に眠った。
整った顔が、焚き火の残り火に照らされて、静かに眠っている。
花は、しばらく起きていた。
ミーハーの寝顔を見ていた。
美しい。
でも、それだけじゃない。
今日一日、先頭を走り続けた人の顔だ。
アプリと地図を見て、対等に語り合った人の顔だ。
疲れているのに、穏やかに眠っている顔だ。
花は、目を閉じた。
テントの外で、虫が鳴いていた。
遠くで、磐梯山が静かに立っていた。
豚肉の醤油煮の香りが、まだどこかに残っている気がした。
今夜の料理は、上手くできた。
ミーハーに「ものすごく美味しい」と言ってもらえた。
それで、十分だった。
いや、十分以上だった。
花は、いつの間にか眠っていた。




