【reverse 25 最後の寅さんを見てから言え】
翌朝。
納屋の前に、六人が並んだ。
リリーがボルティに跨った。
zyo-yaがTDR50の横に立っている。
西馬音内の朝が、静かだった。
「本田くん、いつでも函館に来てよね。ハセストにはステッカーも売ってるからね!」
「はい! このプレスカブをステッカーだらけにするのが僕の目標ですから、必ず行きます!」
「花ちゃん、またね。青森に帰ったらLINEしてね」
「はい! 冬でも遊びに行きますね」
リリーが、アプリを見た。
少しだけ、真剣な顔になった。
「アプリさんも本当にありがとう! 紋別でアプリさんが助けてくれなかったら、私は終わってたよ。またいつか函館に来たときには、必ず声かけてくださいよ?」
アプリが、リリーをからかうように言った。
「次に北海道へ来る時は、小樽港に降りるかもしれんがな」
「ほら! やっぱりアプリさんは港ごとにマドンナを作るつもりなんだ〜!」
リリーもからかい返した。
アプリが、少しだけ照れた顔になった。
それから、小さく呟いた。
「最後の寅さんを見てから言え」
リリーが、首をかしげた。
本田も、花も、ミーハーも、同じ顔をした。
五人とも、アプリの言葉の意味がわからなかった。
アプリは、それ以上何も言わなかった。
リリーがエンジンをかけた。
zyo-yaもエンジンをかけた。
二台が、西馬音内を走り出した。
リリーが一度だけ振り返って、手を振った。
それから、前を向いた。
二台が、かがり火通りの緩いカーブの向こうに消えた。
水路の音だけが、残った。
*
リリー視点。
来た時と同じ道を、戻っていく。
十和田湖でzyo-yaとキャンプ泊をして、青森市内に入った。
大間まで向かうzyo-yaと、青森港の前で別れた。
「ありがとうね、zyo-ya。おかげで不安なく帰れたよ」
「俺れこそ楽しがったぁ。またいつかどっかで会えるといいなぁ」
zyo-yaが、照れた顔で言った。
TDR50が、大間の方へ走り去った。
あの純粋な青年は、今でもリリーのバイクをkawasakiの250TRだと信じているはずだ。
リリーは、少しだけ申し訳ない気持ちになった。
でも、少しだけだった。
*
津軽海峡フェリーに乗り込んだ。
甲板に出た。
冬の空気が、頬に当たった。
痛いほど冷たい。
もう、この季節だ。
青森港が、遠ざかっていった。
港の灯りが、小さくなっていく。
あの港の向こうに、菊のおばあちゃんの家がある。
花のモトラがいる。
本田のプレスカブがいる。
アプリのRS50がいる。
リリーは、甲板に立ったまま、青森港を見つめていた。
ニヤニヤしていた。
自分でも止められなかった。
紋別のキャンプ場から、ずっと笑えた。
泣いたこともあった。
花のおばあちゃんの前で号泣もした。
でも、全部笑えた。
笑えることしか、なかった。
青森港が、霧の中に消えた。
リリーは船内に入った。
雪が積もる前にレッドバロンに行こう、と思った。
そういえば、原付を買おうと思っていた。
ボルティはボルティで、ずっと乗り続ける。
でも、もう一台欲しい。
漠然と思っていた。
*
函館の白鳥町に帰ってきた。
自室に戻った。
ミーハーとの撮影データを開いた。
莫大な量だ。
半日分の撮影データが、画面を埋め尽くしている。
ミーハーが走る場面。
ミーハーが笑う場面。
西馬音内の古い街並みを二人で走る場面。
ミーハーのバイクが、光の中に映っている場面。
編集が、始まった。
一日経った。
二日経った。
三日経った。
ミーハーとの動画の編集は、想像以上に時間がかかった。
秋田の映像は、どこを切り取っても絵になる。
田んぼの金色。
増田の黒い板塀。
西馬音内の夕暮れ。
どれを使うか選ぶだけで、時間が溶けていく。
数日後、ようやく動画が仕上がった。
アップロードボタンを押した。
それから、ゲーミングチェアに深く沈んだ。
(そうだ、レッドバロン)
リリーが立ち上がった。
コートを着た。
函館のレッドバロンへ向かった。
*
店内に、原付が並んでいた。
スクーター。
カブ。
ミニバイク。
その中の一台を見た時、リリーの足が止まった。
ライムグリーンだ。
あの、kawasakiのライムグリーンだ。
角張ったフロントカウル。
エッジの効いた燃料タンク。
跳ね上がったテール。
前出しのオイルクーラー。
ショート管が、鈍く光っている。
(これは……kawasakiの、ローソンレプリカ……?)
遠目には、そう見えた。
あのヤンキー漫画で、伝説の総長が乗っていたバイクに見えた。
漢の中の漢のバイクに見えた。
近づいた。
近づくにつれて、脳がバグを起こした。
小さい。
小さすぎる。
サイズ感が、おかしい。
でも、ライムグリーンは本物だ。
カウルのフォルムも本物だ。
角張った造形も本物だ。
それらすべてが、モンキーという小さな骨格の上に凝縮されている。
4ミニ特有の「小さな高級車」としての凄みが、その10インチの足元に凝縮されていた。
値札を見た。
三十万円。
(こんなプレミアバイクが三十万円……! バイクの神様、ありがとう……!!)
リリーは、心の中で手を合わせた。
花のおじいさんのバイクたちは、プレミアがついて一千万円を超えた。
このローソンレプリカだって、漫画の中で誰もが憧れたバイクだ。
kawasakiの頂点に立つ存在だ。
それが三十万円で売っている。
今日、ここに来たのは、必然だった。
絶対に必然だった。
リリーは迷わず店員に声をかけた。
「このバイク、ください」
店員が頷いた。
リリーも頷いた。
良い買い物をした。
*
意気揚々と、函館蔦屋書店に寄った。
ローソンレプリカのことを、もっと詳しく知りたかった。
バイク雑誌コーナーを隅から隅まで探した。
見つからなかった。
DVDコーナーへ移動した。
邦画コーナーを歩いていた時、それが目に入った。
男はつらいよ。
第四十八作。
寅次郎紅の花。
シリーズ最終作だ。
西馬音内の朝が、蘇ってきた。
アプリの声が、蘇ってきた。
『最後の寅さんを見てから言え』
リリーは、DVDのパッケージを手に取った。
表紙を見た。
裏返して、あらすじを読んだ。
最後まで読んだ。
レジに持って行った。
バイク雑誌は、結局一冊も買わなかった。
*
自室に帰った。
コートを脱く前に、パッケージを開けた。
DVDプレーヤーに入れた。
ゲーミングチェアに座った。
再生ボタンを押した。
DVDが、回り始めた。
リリーは、画面を見つめた。
最初は、普通に見ていた。
でも、だんだんと、前のめりになっていった。
画面の中の寅さんが、動いている。
リリィという名前の女性が、画面の中にいる。
リリーは画面のリリィを見た。
それから、また寅さんを見た。
寅さんは、旅をしている。
港から港へ、渡り歩いている。
でも、最後には、必ず向かう場所がある。
リリーは、画面を見つめながら、アプリの顔を思い出した。
RS50で、どこかの港に降り立つアプリを思い浮かべた。
次に北海道へ来る時は、小樽港に降りるかもしれんがな、と言った顔を。
からかい返したリリーに向かって、少しだけ照れた顔を。
それから小さく呟いた言葉を。
最後の寅さんを見てから言え、と。
リリーは、画面の中の最後のシーンを見た。
涙が、滲んだ。
でも、悲しくなかった。
悲しいのとは、全然違う。
嬉しかった。
本当に、嬉しかった。
リリーは、ゲーミングチェアの中で、膝を抱えた。
画面を見ながら、微笑んだ。
涙が一粒、頬を流れた。
それでも、微笑んでいた。
アプリのことが、わかった気がした。
港ごとにマドンナを作ると、からかっていた。
でも、そうじゃなかった。
寅さんは、ずっと一人の人のことを思いながら、旅をしていた。
旅をしながら、いつか向かう場所を決めていた。
リリーは、DVDが終わった後も、しばらくそのままでいた。
画面が暗くなった。
ゲーミングチェアの中で、膝を抱えたまま、微笑んでいた。
函館の夜が、窓の外に広がっていた。
津軽海峡の向こうに、青森がある。
もっとずっと向こうに、RS50が走っている。
リリーはスマホを取り出した。
LINEを開いた。
アプリのトーク画面を開いた。
何かを打ちかけた。
やめた。
送らなかった。
送る必要は、なかった。
わかったから。
それだけで、十分だった。
函館の夜が、静かだった。
リリーは、また微笑んだ。
今夜は、よく眠れる気がした。
kawasaki Z1000ローソンレプリカ
(HONDAモンキー)
型式 JBH-AB27
最高出力 3.4 ps / 8,500rpm




