【番外編 reverse 2 陸奥の平和の笑い声】
人道トンネルの前で、またいつものイベントが始まっていた。
「ダメダメ! お兄さんのバイクはここを通れないよ!」
「これは一種だ! 四十九ccだ!」
「そんな訳ないだろ!」
くま子が、横で呟いた。
「これ……キャノンボールん時も見た光景たい。あの時もオッサンは、こぎゃんとこで止められとったもんね……」
数十分後、ようやく三人はトンネルを抜けた。
「さあ! オッサン! キャノンボールの雪辱ば果たすバイ! このゴリラのツインカムなら、今度こそ負けんとよ!」
「二ストに敗北の二文字はない!」
くま子とアプリが、本田の前から一瞬で消えた。
本田は一人残されて呟いた。
「これもキャノンボールで何度も見た光景だなぁ〜」
プレスカブをトコトコとマイペースで進み始めた。
*
唐戸市場の二階、市場食堂よしで三人がよし特製定食を食べた。
刺身とエビフライと小鉢が並んでいた。
関門海峡の朝の光が、窓から差し込んでいた。
*
国道九号から二号、百九十号と走った。
宇部に差し掛かった頃、くま子が叫んだ。
「ねぇ、もうお腹空いたバイ! 宇部ラーメンば食べさせなっせ!」
三人で宇部ラーメンを食べた。
こってりしていた。
旨かった。
防府を過ぎ、周南の工場地帯の煙突を横目に走った。
柳井の白壁の街並みを抜けた。
大島大橋を渡った。
潮流が渦巻く青い海の上を、銀ピカのゴリラとRS50とプレスカブが並んで渡った。
*
片添ヶ浜海浜公園オートキャンプ場に着いた。
夕方の光の中に、パームツリーが並んでいた。
「わぁぁ! ほんのこてハワイみたい!」
三人でテントを設営して、隣接する遊湯ランドで風呂に入った。
セブン-イレブンで夕飯を買ってテントに戻る頃には、すっかり日が落ちていた。
月が、浮かんでいた。
くま子が、夜空を見上げながら呟いた。
「本田くん、月ん出とるバイ! ほら! はよ見て! 月たい! 月ん出とるとってば!」
「うん! 出てるね」
くま子が、もう少し身を乗り出した。
「んっ! じゃなかて! 月ん出とっとバイ! ほら? 月ば見なっせ! 月! 本田くんの好いとう月ん出とっとばい? ねぇ、ねぇ! 月ば見たら、どぎゃんすると? なんて言うと? ほら? 言うてみなっせ!」
「うん! 見えるよ。ちゃんと見えてる。月が出てるね」
くま子の眉が、下がった。
そこへ、アプリが静かに呟いた。
「くま子、月が綺麗だな」
缶コーヒーが、アプリの方向へ飛んだ。
「オッサンがそれば言わんね! 二ストばっかり乗っとっけん、口もよう回っとっとバイ! この高回転オヤジ! まったくもう!」
「お前のツインカム程、回らないがな」
アプリが、笑った。
本田が、月を見上げた。
「月が本当に綺麗だね」
静かに、素直に、ただそう言った。
昨夜と同じように。
その言葉の意味を、何も知らないままで。
くま子の頬が、赤くなった。
「……月が綺麗」
くま子が、小さく囁いた。
アプリは、何も言わなかった。
ただ缶コーヒーを飲んだ。
周防大島の夜が、静かに続いていた。
*
翌朝。
三人は陸奥記念館へ来ていた。
展示ケースの中に、遺品が並んでいた。
食べかけの食器。
書きかけの手紙。
止まった時計。
昼食直後の休憩時間に爆沈した戦艦の、日常の残骸だった。
本田が、展示物を見ながら呟いた。
「戦争って実感が湧いてこないけど、本当に起こった出来事なんですよね?」
「幕末まで行ったっとに、なんば言いよっとね! 幕末なんてもっと悲惨な戦争ばっかし起きとったどが!」
アプリがくま子に説明する。
「残念ながら俺たちが飛ばされた幕末は坂本龍馬が暴れる前の幕末だ。むしろ今の日本よりも平和だったんだ。街中の侍の殆どが真剣じゃなく竹光に変えていたくらいだったからな」
「そがんと? 考えてみれば幕末って、龍馬の表立ってからの歴史ばっかし覚えとっもんね」
本田が、展示物の拳銃を眺めながら言った。
「僕はそもそも龍馬さんが表立った歴史も知らなかったくらいだよ。岩崎弥太郎やグラバーも現代に帰ってから知ったんだよ」
「本田くんは薩摩隼人のくせに、幕末ば知らなすぎバイ! そもそも薩摩隼人どんが江戸時代ば終わらせたごたんもんとにさ! 西郷どんの同郷なら、もっとシャキッとせにゃんたい!」
「西郷さんは上野の人だよ?」
くま子とアプリが失笑した。
*
外の展示場へ出た。
副砲と船首が置かれていた。
夏の陽光の中で、鉄が熱を帯びていた。
本田が、副砲を見上げた。
「これって今でも撃てそうですね」
「まあ、大砲なんてものはバイクよりも単純な構造だからな。きちんとオーバーホールすれば撃てるだろうな」
「こんな大砲をバンバン撃ってたなんて、やっぱり実感が湧いてこないです」
本田には、本当に湧いてこなかった。
戦争は映画の中にあって、アニメの中にあって、教科書の活字の中にあった。
この鉄の塊が、本当に人に向かって火を噴いたとは思えなかった。
「そういえば、モト子の店の辺りは高射砲の街だったんだぞ? こんな大砲が空を向いて沢山並んだ街だったんだ」
「え? 笠寺が?」
「笠寺に限らず戦時中の名古屋は超軍事工場地帯だったからな。そこを守るために笠寺は高射砲の街になった」
「全然知りませんでした……。そうか……そうやって自分が関わった土地で例えられるとようやく実感が湧いてきました!」
「本田くん、知覧飛行場どが知らんと? 薩摩隼人の末裔なー、そがん大事なことば知らんとが、なこつ(本当に)信じられんばい!」
「知覧飛行場? ごめん。知らないや」
くま子とアプリが、また失笑した。
アプリが呟いた。
「これが今の日本が平和になった証拠だな」
三人が笑った。
本田はあまり意味がわからなかったけれど、二人につられて笑った。
夏の始まりの日だった。
戦艦陸奥の船首が、黙って三人の笑い声を聴いていた。
あの日、昼食直後に海の底へ沈んだ人たちも、きっとこんな笑い声を持っていた。
それが当たり前の日常だったはずだった。
銀ピカのゴリラと、真っ赤なRS50と、ステッカーだらけのプレスカブが、陸奥資料館の前に並んでいた。
平和だった。
ただ、平和だった。
本作に登場した戦艦「戦艦陸奥」は、かつて実在した日本海軍の主力戦艦です。
姉妹艦は有名な戦艦長門で、「長門型戦艦」として知られています。
陸奥は1943年、広島県沖の柱島泊地にて爆発事故により沈没しました。
戦闘ではなく、日常の延長のような時間の中で起きた出来事だったとされています。
作中で描いたように、残されたのは特別な瞬間ではなく、
食べかけの食事や、書きかけの手紙といった「いつもの日常」でした。
だからこそ、この物語の中ではあえて大きく語らず、
三人の何気ない会話と笑い声の隣に、その存在を置いています。
今、こうして自由に旅をして、笑っていられること。
それ自体が、とても尊いことなのだと思います。




