【reverse END Where are you going?】
角島大橋の白いコンクリートが、夕陽を浴びて淡いオレンジ色に染まっていた。
その中央で、三人が泣いていた。
肩を寄せ合って。
声を上げて。
子供みたいに。
*
本田とアプリは、少し手前でバイクを止めた。
「行きにくいですね……」
「静かに通り過ぎよう」
本田が深く頷いた。
二人はエンジンを切った。
足で地面を蹴って、音を立てずに三人の横を抜けた。
泣き声だけが、潮風に混じって背後へ消えていく。
3人を通過しきったところでエンジンをかけた。
バックミラーの中に、マジックアワーの紫へ溶けていく角島のシルエットが見えた。
走り出した。
振り返らなかった。
振り返らなくても、もう分かっていた。
*
ライトを点灯した二台が、本州へ向かって走り出した。
背後に、沈みゆく太陽。
国道百九十一号から四百三十五号へ。
特牛の山間部に入ると、辺りは急速に夜の帳を下ろしていった。
街灯のない闇の中、プレスカブの黄色いライトとRS50の鋭い光だけが、アスファルトを照らした。
冷たく澄んだ夜の空気が、ヘルメットの隙間から入り込んできた。
二台が、並走した。
言葉はなかった。
エンジン音だけがあった。
トコトコトコと、パラパラパラが、夜道に溶けていく。
*
山陽小野田市。
暗闇の中に、ライダーハウス山陽の灯りが見えた。
「着きましたね」
「あぁ」
本州最後の夜だった。
二人は多くを語らず、使い込まれた寝袋に身を沈めた。
*
翌朝。
晴天だった。
山陽小野田ののどかな田園風景を抜けて、関門海峡を目指した。
国道二号の流れに乗り、左端を慎重にトレースした。
長府の古い街並みを抜けると、潮の香りが強くなった。
視界が開けた。
巨大な関門橋が、空にかかっていた。
対岸は九州。
門司の街だ。
*
関門トンネル人道の入口。
「これ、普通二輪じゃないのか?」
係員がRS50を指して訝しげに聞いた。
本田が手慣れた様子でスマホを差し出した。
原付キャノンボールランの公式サイトだ。
「原付です。五十ccです」
「……失礼した。通っていいよ」
二人は、一キロ弱の海底トンネルを黙々と押し歩いた。
足音だけが響いた。
海の下を歩いている実感は、不思議と無かった。
*
門司側の出口。
地上へ出た瞬間、北九州の青い海が目に飛び込んできた。
門司港のレトロな建物。
小倉の市街地。
八幡の工業地帯。
巨大な煙突と、複雑に絡み合うパイプライン。
北九州特有の力強い景色の中を、二台の小さな原付が駆け抜けていった。
*
遠賀を過ぎた。
宗像を過ぎた。
福津を過ぎた。
香椎を過ぎた。
博多湾が左手に現れた。
ビル群が迫ってきた。
十六時。
福岡・天神に着いた。
アプリの自宅だった。
*
本田はアプリの家に四日間滞在した。
Uber修羅の国と呼ばれる福岡天神の配達を、共に走った。
信号のたびに割り込んでくる車。
入り組んだ路地。
ビルの中を縫うように走る原付の群れ。
「これが、アプリさんの戦場か……」
「甘くないだろ」
本田は、アプリの日常が何十倍も過酷なものだと知った。
*
別れの朝。
天神の喧騒が始まる直前の、静かな路上。
「それじゃ、また」
本田がヘルメットをかぶりながら言った。
「あぁ」
アプリが短く応えた。
握手もなかった。
抱擁もなかった。
それは、明日の放課後にまた会う時と同じ別れ方だった。
それで十分だった。
キック一発で、エンジンがかかった。
迷いのない音だった。
プレスカブが走り出した。
*
数日後。
鹿児島。
夕暮れ時。
本田は、懐かしい我が家の駐輪場にいた。
七ヶ月の旅を共にしたプレスカブから、重い荷物を解いていた。
レッグシールドは、各地の道の駅やご当地スポットのステッカーで埋め尽くされていた。
色とりどりのラベルが重なり合い、元の色は想像するしかない。
旅人が歩んできた軌跡が、パッチワークのように貼り合わさっている。
フロントバスケットの網目の一つひとつにまでステッカーが回り込み、過酷な走行による泥跳ねと日焼けが、色彩に深みと本物の質感を与えていた。
リアキャリアの荷物は、七ヶ月の生活を支えてきた証だった。
緑の荷締めベルトが、それを力強く固定している。
サイドバッグの膨らみの中に、テントがある。寝袋がある。数々の夜を共にした相棒たちがいる。
使い込まれたエンジン回りの汚れすらも、本田が超えてきた峠と、雨の日の走行を語っていた。
*
その時。
聞き覚えのある乾いた排気音が近づいてきた。
現れたのは、あの派手なくまモン柄のモンキーだった。
鍵穴に差さったキーから、ドッグタグが夕陽を反射してキラリと輝いていた。
本田が贈ったドッグタグだ。
くま子はモンキーを止めると、本田のカブを凝視した。
ステッカーで埋め尽くされたレッグシールド。
泥と日焼けが刻み込まれたフロントバスケット。
旅の重みを物語るサイドバッグの膨らみ。
それは、言葉以上に饒舌に旅の軌跡を語っていた。
くま子は堪えきれずに笑みをこぼした。
一歩、本田に詰め寄った。
「もう! どぎゃんしたとね、あんたは! 宗谷岬でバイバイしてから、いっちょん連絡もなかと思えば……一体、何ヶ月経ったと思っとるとね!
谷中湖の約束、忘れとったっちゃなかでしょうね? うち、ずっと待っとったんだから。……それからさ、去年送ってきたホッケ! あれは何ね? あぎゃん大量に届いて、うちの親も『これ、どうしたとね!?』って腰抜かしよったよ。あんなに一気に釣れるわけなかでしょ。絶対どっかで買うてきたよね? 見栄張ってから、よか。本当のこと言いなっせ!
だいたい、四国におるって言いよったとに、次の日には浜松におるって、あんたはワープでも使うと? 意味わからんよ! ……LINEも全然よこさんし。うち、あんたがどこば走りよるか、いっちょん知らんとよ? このカブのステッカー見れば、そりゃあ凄か旅ばしてきたとはわかるばってん……とにかく遅すぎ! もう、二度と帰ってこんとかと思って……寂しかったんだからね。
……ふん。ま、よか。そがんことより……あんた、知っとる? 第二回キャノンボールランのあるげなよ! ……今度はうちも、置いてかんもんね!」
本田は、荷解きを止めた。
くま子の弾丸のような言葉を、ただ黙って浴びていた。
その声は、怒っているようでいて、どこか震えていた。
第二回キャノンボールラン。
その言葉を聞いた瞬間、本田の唇の端が、静かに、しかし力強く上がった。
*
かつての、学校から逃げ出したくて下を向いていた十七歳の少年は、もうそこにはいなかった。
潮風に灼かれ、雨に打たれ、幕末を走り、仲間と共に日本を縦断した男の顔があった。
本田はプレスカブのハンドルをそっと握り直した。
夕陽が、二人の影を長く伸ばしていた。
鹿児島の街並みの向こうに、まだ見ぬ道が続いていた。
どこへ行くのかなんて、もうどうでもよかった。
行きたい場所は、走りながら見つければいい。
【原付転生 reverse ―了―】
ここまで読んで頂き誠にありがとうございました。
本来は原付転生だけ書き上げるつもりでしたが、
悪ノリでreverse編まで描いてしまって本当にごめんなさい。
今度こそ本当に終わりなのでご安心くださいませ。
今は訳あって走れない身なのですが、いつかまた走れるようになりましたら、もっと凄い旅をしてみたいと思ってます!その時はまた新たな作品を描いてみたいと思ってます!




