【reverse 98 少女たち】
朝、テントの前に紙袋が二つ置かれていた。
昨日のおばさんからのサンドイッチだった。
メモには「食べてね」とだけ書かれていた。
トラ子が、お湯を沸かした。
ユッタが、メモを読んだ。
二人は、ゆっくりとサンドイッチを食べた。
コーヒーを飲んだ。
テントを畳んだ。
十二番札所へ向けて走り出した。
*
県道四十三号線に入った途端、道が牙を剥いた。
急勾配の九十九折り。
杉林が両側に迫る。
深い谷が、左手に口を開けている。
「……おい、駐車場までですでに膝が死んどるぞ」
ディオのエンジンが、唸りを上げた。
*
第十二番・焼山寺。
樹齢数百年の杉が、空を塞いでいた。
荘厳な空気が、境内に満ちていた。
また三百三十三段の石段があった。
「……これ、昨日の切幡寺と同じ呪いやんけ……」
二人が、登った。
下山は、来た道を慎重に下った。
ブレーキを握りすぎて、手が痛くなった。
*
神山町の中心部で、パフェを食べた。
おしゃれなカフェが、道の駅のそばにあった。
「……なぁユッタ! これ、一体何段積みやねん! タワーやんけ、タワー! こんなハレンチに高いパフェ、野田のケーキ屋でも見たことないわ!」
「でも、綺麗だよ……いちごがキラキラしてる……」
「写真、写真! 絶対これSNSに上げなあかんやつや! ……アカン、食べるのもったいなさすぎるわ」
「えいっ」
ユッタが、先にスプーンを入れた。
「……あっ! ちょ、自分が先に崩すなや! この積み上げの美学、分かっとんけ!!」
「美味しい……! トラ子も早く食べないと溶けるよ」
「……んあ、もう! ほんなら食うわ! 食うわよ!」
トラ子が、一口食べた。
「……なんやこれ、めちゃくちゃ美味いやんけ。山登った後のパフェって、こんなに旨いんか……」
二人が、夢中でスプーンを動かした。
*
県道二十号線に出た。
鮎喰川だ。
川沿いの快走路が続く。
景色が、ぱっと開けた。
トラ子が走りながら、川を見ていた。
なぜか、セイラのことを思い出していた。
*
三人は、幼稚園からの付き合いだった。
トラ子とユッタとセイラ。
中学まで、いつも三人一緒だった。
セイラは成績が優秀だった。
普通高校へ進んだ。
トラ子とユッタは、通信制を選んだ。
それでも、三人の仲は変わらないつもりだった。
十六歳になった。
トラ子とユッタは、原付の免許を取った。
最高だった。
どこへでも行ける気がした。
毎日、二人で走り回った。
セイラは普通高校に通っていた。
校則で、原付免許が取れなかった。
だから、一緒に走れなかった。
トラ子とユッタには、それだけのことだった。
「またいつか」と思っていた。
「そのうち三人で」と思っていた。
でも、その「そのうち」は来なかった。
浮かれていた。
ただ、浮かれていた。
セイラがだんだん少なくなっていくことに、気づかなかった。
気づこうとしなかった。
二ヶ月が経った頃。
セイラからLINEが届いた。
『お父さんの転勤で急に山口県の角島へ引っ越す事になりました。今までありがとう! さようなら』
それだけだった。
トラ子とユッタは、セイラの家まで走った。
もう、誰もいなかった。
後から親に聞いた。
転勤のことは、随分前から決まっていたらしかった。
ご近所さんは、みんな知っていた。
知らなかったのは、トラ子とユッタだけだった。
浮かれていたから。
セイラのことを見ていなかったから。
セイラは、引越し直前まで一言も言わなかった。
なぜ言わなかったのか。
二人には、わからなかった。
でも、こう思った。
(きっと、嫌いになったんだ)
だから、LINEの返信ができなかった。
何を謝ればいいか、わからなかった。
何を言えばいいか、言葉が出なかった。
セイラが野田から消えてから、ずっと謝りたかった。
原付で疎遠になった幼なじみに、原付で逢いに行く。
それしか、思いつかなかった。
*
鮎喰川が、きらきらと光っていた。
トラ子は、前を向いて走った。
*
第十三番・大日寺。
境内に、しあわせ観音が立っていた。
合掌した手の形の中に、小さなお釈迦様がいた。
二人が、並んで手を合わせた。
目を閉じた。
声には出さなかった。
でも、同じことを願っていた。
*
大日寺を出てから、テンポよく回った。
第十四番・常楽寺。
自然の岩盤が露出した流水岩の庭が、迫力満点だった。
第十五番・阿波国分寺。
広い境内の庭園で、トラ子が呟いた。
「……ここ、なんか落ち着くわ」
第十六番・観音寺。
街中の静かな寺だった。
第十七番・井戸寺。
伝説の面影の井戸があった。
二人が、真剣な顔で覗き込んだ。
自分の顔が映れば無病息災。
映らなければ……。
二人は、結果を言い合わなかった。
*
井戸寺を出る頃、雨が降ってきた。
「雨降ってきたね」
「今夜はホテルにしよか?」
「うん、安いとこあるかな?」
ホテルティキを予約した。
徳島市内、すぐに見つかった。
「めっちゃ安いとこあって良かったね」
「……こんなハレンチに安いホテルあったら、キャンプ場商売あがったりやろ。
これも四国の『お接待』パワーなんか? 儲ける気なさすぎて、逆にこっちが不安になるわ、ボケェ!!」
*
ツインの部屋だった。
久しぶりのベッドだった。
寝転んだ。
なぜか、気持ち悪かった。
「……なぁユッタ。ずっと外で寝とったからか、この柔らかいベッド……なんかハレンチに気持ち悪いわ。
もっと『天国や!』って喜ぶ思てたのに。なんでやろな。身体が勝手に、硬い地面とか、あの冷たい風を欲しがっとるんけ……?
……ハッ。自分ら、いつの間にこんな野良犬みたいな身体になってもたんやろ。
こういう理屈、あのアプリのオッサンらなら……。『黙って寝ろ!』とか、ドヤ顔見せながら教えてくれるんかな。
……あかん。考えたら余計眠れんわ。ボケェ!!」
「アプリさんたちのところも雨降ってるのかな?」
「……おいユッタ! 自分、さっきからハレンチにあのオッサンのことばっかり気にしとるやんけ。
なんや、ついにユッタも色気づいたんけ?
セイラに会うたら真っ先に報告したらなあかんな。『ユッタも一丁前のオンナになりよったぞ!』……ってな! ガハハ!」
「そんな訳ないじゃん! やめてよもう! セイラなら本気で信じちゃうから絶対に言わないで!」
「……またあいつと、こんな風にハレンチに笑い合えるようになれるかな。
……なれるよな、ユッタ。」
「うん、大丈夫。大日寺でちゃんと願ったんだもん! あのおばさんの言うことを信じようよ!」
「……せやな。あの大日寺の観音さんも、昨日のおばちゃんも……ハレンチに信用できる。
大丈夫や。……大丈夫、絶対大丈夫やねん。」
雨の音が、窓を叩いていた。
柔らかいベッドの上で、二人は眠れなかった。
深夜まで、語り合っていた。
十六歳の頃の話をした。
原付に乗り始めた頃の話をした。
セイラが好きだったコーヒーの話をした。
謝れなかった日の話は、うまくできなかった。
でも、きっと大丈夫だと思った。
大日寺の観音様が、聞いてくれていたから。
昨日のおばさんが、信じてくれていたから。
雨が、静かに降り続けていた。




