【reverse 97 大日寺と、龍光寺の前夜】
早朝の焚き火だった。
四国三郎の郷の朝は、霧が出ていた。
二人がインスタントコーヒーを甘くして、温めながら飲んでいた。
「なんかコーヒーが好きになってきたよね」
「……せやな。キャンプなんか始めてもうてからやわ。カレーヌードルとコーヒー……この組み合わせが、この世で一番ハレンチに最強やって気づかされたんは。
正直、こんなん家で飲んだらただのインスタントやけどな……この凍える外の空気と一緒に啜ったら、スタバの新作よりよっぽど『本物』の味しよんねん。
なぁ、ユッタ。ウチ、これでタバコでもプカプカやりだしたら……そのうちアプリのオッサンと同類や思われて、『野田のオッサン』とか呼ばれるようになるんちゃう?
17歳のJKが、山の中でコーヒー片手に黄昏て……。でもな、悪ないわ。この時間だけは、誰にも文句言わせへんからな。ボケェ!!」
「あの子も一緒に来れたら良いのに……あの子は元々、コーヒーが好きだったよね……」
トラ子が、マグカップを見た。
「……分かっとる。やから今、あいつに逢いに行くんやろ。
お遍路が終わったら、角島なんてすぐそこやんけ。ウチらはあの子に、きっちり謝らなあかんねん。
……やっとウチらも、コーヒーの味が分かるようになったで。……そう二人で、あの子に言いに行こうや。」
霧の中、焚き火だけが静かに燃えていた。
*
八時になると、二人はテントを畳んで出発した。
ローソンで朝ごはんを済ませた。
トラ子がおにぎりとからあげクンを手に取りながら言った。
「……なぁユッタ、このコーヒー、昨日のキャンプのインスタントより高い味がするわ。でも、外で啜る方が『誠意』感じたよな。……よし、糖分補給完了! 七番まで一気にブチ抜くぞ、ボケェ!!」
*
第七番・十楽寺。
朱色の竜宮門が現れた。
「うわ、門が赤っ! 竜宮城みたいやんけ。……なぁ、ここで『不老長寿』願ったら、ウチら一生このまま原付乗ってられるんかな?」
第八番・熊谷寺。
徳島県下最大の仁王門が立ちはだかった。
手前から坂道が続いた。
「坂きつッ! ディオのエンジンが『勘弁してぇな』言うとるわ。……見てみ、あの仁王像。あんな顔したオッサン、野田の商店街におったよな?」
第九番・法輪寺。
田んぼの中にポツんとある穏やかな寺だった。
涅槃像が横たわっていた。
「ここは平地で助かるわ……。お釈迦様が寝とる(涅槃像)んか。……ウチも昨日の移動でバキバキやから、横で一緒に寝たいわ。あかん、次や次!」
第十番・切幡寺。
本堂まで三百三十三段の石段だった。
「……はぁ? 階段? 冗談やろ……。ユッタ、自分……運動不足解消や思て登らんかい! ウチが後ろからケツ叩いたるわ。登った後の景色、ハレンチに絶景らしいからな!」
二人が、石段を登った。
頂上の景色は、確かに絶景だった。
昼は切幡寺の麓でうどんを食べた。
「徳島やけど、うどん。……コシ、強ッ! ウチの意志くらい強いわ。……なぁ、あと何個いけるかな? 十六時までやぞ、気合入れんかい!」
*
第十一番・藤井寺。
天井に巨大な龍が描かれていた。
「天井に龍!? かっけぇ……。これ、ディオのフロントカウルにペイントしたいわ。……でも、ここから先は『遍路ころがし』の山道や。今日は深追いせんとこな。」
二人は十一番で今日のお遍路を切り上げることにした。
神山温泉ホテル四季の里の日帰り温泉に入った。
湯船に浸かって、ユッタが言った。
「お遍路って意外と疲れるのさね〜」
「……ちょ、待てや。マジで寺っちゅうのは、なんなん? あいつら階段作らな死ぬ病気か? ハレンチにも程があるやろ!
なぁユッタ、自分……足プルプルしとんぞ。ウチもやけど。こんなんで、あの体力お化けのアプリのオッサンらに勝てるわけないやんけ!
あのオッサンら、今ごろ四国のどこぞで『涼しい顔』して走りよるで……。
このままやと、角島着く前にウチらの膝、爆発して終了やん。……どうすんねん、これ? プロテインでも飲んだら間に合うんけ、ボケェ!!」
その時、隣にいたおばさんが声をかけてきた。
「お嬢ちゃん達はこんなに若いのにお遍路をしてるのかい? 偉いねぇ〜」
「まあ、お遍路というか。実は山口県の友達に原付で逢いに行く途中なんです。訳あってお遍路経由になってしまって……」
「あらら、随分、遠回りするのね……。わざわざ遠回りするのは何かしらの理由があるのかしらね。今は何番札所まで回ったの?」
「……あ、お疲れさんです。ウチら、まだ十一番のとこなんですよ。ほんまは今日中に十二番までシバいたろ……思てたんですけど。
ここにええ感じの温泉あるの見つけてしもて。もう膝もガクガクやし、今日はここらで勘弁しといたろかな、って。
せやから、お遍路は今日はここまで。温泉入って、ハレンチに肌ツルツルにしてから寝ることにしたんですわ。……おばちゃんも、ゆっくりしていきや?」
「今晩の泊まるところは決まってるの?」
「はい。コットンフィールドってここからすぐのとこです」
「あぁ、なるほど。近いわね。それなら、後で私が差し入れ持っていくから今夜の夕食は用意しなくても良いわよ。それじゃ、私はお先に失礼するわね」
おばさんが、先に出ていった。
「……なぁユッタ、今のおばはん、一体何モンや? なんで見ず知らずのウチらに、わざわざ晩メシまで差し入れしてくれんねん。
……これ、後でハレンチな請求書とか回ってけぇへんやろな? 怖いわ、四国の善意……底が見えへんぞ、ボケェ!!」
*
コットンフィールドにテントを張り終えた頃、おばさんがN-BOXで来た。
袋から、フィッシュカツとぼうぜの姿寿司が出てきた。
「え? こんなに良いんですか? でも、どうして見ず知らずの私らにここまでしてくれるんですか?」
「あらあら、そんなに警戒しなくて大丈夫よ。お金なんて一円もいらないからね。
四国にはね、『お接待』っていう古い文化があるの。お遍路さんを応援して、食べ物や飲み物を差し上げることで、私たちも一緒に功徳を積ませてもらっているのよ。
だから、これはあなたたちへのプレゼントっていうだけじゃなくて、『私たちの代わりに歩いてくれてありがとう』っていう感謝の気持ちでもあるんだよ。
このご飯を食べて、明日も元気に走ってね。お返しなんて気にしなくていいから。その代わり、いつかあなたたちも誰かに優しくしてあげて。それが四国の『お接待』なんだから。」
トラ子が、袋を両手で受け取った。
「……ほんま、ありがとうございます。ウチら、昨日までハレンチにカレーヌードルばっかり啜ってたから……マジで、心の底から嬉しいんですわ。
……なぁ、おばちゃん。ウチら、山口の角島まで行って帰ってくる時、絶対おばちゃんにお土産買うてくるから。ウチら、受けた恩は倍にして返すのが野田の……ウチらのやり方なんですわ。頼んます!!」
「それなら、あなた達の土産話を楽しみに待ってるわね。こんなに若いのにわざわざ原付でお遍路までして行くからには、きっと良い友達なんでしょうね」
ユッタが、少し俯いた。
「はい……。幼なじみだったんですけどね……。ちょっと私らのせいで疎遠になってしまって……」
「……あの頃のウチら、マジで救いようのないアホやったんや。
……やからこそ、あの子に……ちゃんと謝りに行かなあかんねん。」
おばさんが、優しく言った。
「あらあら、なんか訳ありなのね? それなら、明日行く十三番札所の大日寺にはしあわせの観音様がいらっしゃるのよ。そこで二人で手を合わせると、『幸せ(良い縁)』を運んでくれるのよ。ちゃんと二人で観音様にお願いしてご覧なさい」
おばさんが、駐車場へと消えていった。
「トラ子、明日の大日寺で手を合わせよう!」
トラ子は黙って頷いた。
*
二人が、焚き火の前に座った。
ぼうぜの姿寿司を、ゆっくりと食べた。
フィッシュカツを、黙って食べた。
明日の大日寺のことを、それぞれが考えていた。
どんな顔で手を合わせればいいのか。
何を言えばいいのか。
あの子に、何と謝ればいいのか。
言葉にはならなかった。
ただ、食べ続けた。
冬の澄んだ空気に、星が眩しかった。
こんなに星が輝いているのに、二人の心の中だけが少し重かった。
*
同じ夜。
愛媛の成川渓谷キャンプ場では、本田とアプリが焚き火を囲んでいた。
「いよいよ明日は四十一番札所の龍光寺ですね! アプリさんは幕末と合わせて二度目ですね!」
「あぁ、だから龍光寺にはお前一人で参拝しろ。俺は参道で待ってる」
「確か、幕末では参道で待ってたタツの前に虚無僧が来たんですもんね」
「そうだ。龍光寺に神と仏がいるから虚無僧も立ち入れないのかも知れないな」
「また虚無僧が出ますかね?」
「さあな……」
アプリが、焚き火を見ていた。
渓谷のせせらぎが、暗闇から聞こえてくる。
三百円のサイトだった。
静かすぎるほど静かだった。
本田も、焚き火を見ていた。
アプリは幕末で見た龍光寺を、思い出そうとしていた。
でも、うまく思い出せなかった。
ただ、虚無僧の気配だけが、どこかに残っている気がした。
愛媛の空も、冬の澄んだ空気のせいで星が眩しかった。
景色だけが、きれいだった。
それが、今夜の二人には少し寂しかった。
明日の龍光寺が、静かに待っていた。
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