【reverse 96 さらば小豆島、はじまりの一番札所】
翌朝。
まだ暗いうちに、土庄港へ来ていた。
小石先生が、見送りに来てくれていた。
「トラ子ちゃん、ユッタちゃん、元気でね! 大阪なんだからたまには遊びに来てよね。うちなら何時でも歓迎するからね」
「はい! 必ず遊びに来ますね」
「小石センセーも大阪来ることあったら、絶対ウチに声掛けぇや! 水臭いことぬかしとったら、マジで承知せえへんからな!
ええか、野球シーズン始まったら、ウチが自分を聖地・甲子園まで拉致ったるから覚悟しとき。アルプススタンドで、周りのオッサンらに負けんくらいの声量で『六甲おろし』歌わせたるわ。
そこでビールの売り子のお姉ちゃんからギッタギタに冷えたん買って、バックスクリーンに弾丸ブチ込む近本の姿、拝ませたる。……な? 最高の人生教えたるわ。待っとるで、ボケェ!!」
「いや、もう野球はこりごりよ……」
小石先生が、トラ子には聞こえないくらい小さな声で呟いた。
ユッタも、野球と聞いて顔が青ざめていた。
小石先生が、話題を変えた。
「そういえば、本田くんが教えてくれた名古屋のライダーハウス! 私も春休みにはツーリングがてら寄ってみるからね! 何か伝える事とかある?」
「それなら、コックをやってる花さんに、『これからお遍路の続きを回ってきます』とだけ言ってくれたら、花さんには全て伝わるはずです。よろしくお願いします」
小石先生が、しっかりと頷いた。
*
フェリーが、土庄港を離れた。
甲板に出ると、港が遠ざかっていく。
小石先生が、手を振っていた。
本田とトラ子とユッタが、手を振り返した。
アプリは、前を向いていた。
小豆島が、朝の光の中に小さくなっていった。
*
七時四十分。
高松港に着いた。
潮風が、四人の顔を叩いた。
「四国や!」
トラ子が、桟橋に立って言った。
誰に向けた言葉でもなかった。
ただ、言わずにはいられなかった。
*
手打ちうどん味庄に入った。
朝五時から営業している、地元の人で賑わう店だ。
かけうどんと天ぷらを頼んだ。
トラ子が、一口食べた。
「……なんやこれ、ちゃうやん! 大阪のうどんとちゃうやん! なんやこのツルッとした感じ! ダシが全然ちゃうやん!」
「讃岐うどんだからな」
「ハレンチほど旨いやんけ! ここ毎朝来てええん!?」
「来れないだろ、今から四国を回るんだから」
トラ子が、残念そうに二杯目を頼んだ。
ユッタも、満面の笑みで天ぷらをつまんでいた。
*
国道11号線を東へ走った。
志度街道だ。
左手に瀬戸内海が広がっていた。
大坂峠に差し掛かった。
原付で旧道を選んで登った。
峠の頂上に着いた。
鳴門の海と、徳島の平野が一望できた。
トラ子が、ふと後ろを振り返った。
「……あ、海が見える。あそこから来たんだね、うちら」
瀬戸内海の向こうに、小豆島の輪郭が見えた。
ユッタが、静かに頷いた。
二人は、しばらくそこに立っていた。
*
十一時。
一番札所・霊山寺に着いた。
門前一番街で、本田がトラ子とユッタに御朱印の説明をした。
「これが御朱印。やってもやらなくてもいいんだけど、集め出すとハマるんだよ」
「そうですね。私も集めたい!」
「……はぁ? なんなんこれ、めっちゃ効率ええやんけ!
要はあれやろ? この帳面にハンコ集めて回ったら、『ウチ、きっちり寺シバいてきましたわ!』っちゅう動かぬ証拠になるわけやんな?
よっしゃ、気に入った。これならウチらみたいな門外漢でも、ゲーム感覚で札所なぎ倒していけるわな。
ユッタ、見とけよ。ウチがこの帳面、世界で一番ハレンチに墨汁まみれのハンコだらけにしたるからな! さっさと次の寺、案内せんかい! ボケェ!!」
こうして、二人の順回りのお遍路がスタートした。
*
十三時。
第一番・霊山寺。
トラ子が、納経帳を広げて墨書きをまじまじと眺めた。
「……なぁユッタ、見てみぃ。このハンコと文字。ごっつ強そうやんけ。
これ持って歩いとったら、徳島の夜道で絡まれても、この帳面見せただけで相手ビビって逃げ出すんちゃう?
『お控えなすって! ウチの背後には弘法大師がおんねんぞ!』言うてな。……あ、あかん、これだけでテンション上がってきたわ。スタンプラリー、最高やんけ、ボケェ!!」
「……トラ子、バチ当たるよ。でも、本当にかっこいい……。お寺の匂いって、なんか落ち着くね。おばあちゃん家みたいな、優しい匂い……」
*
第二番・極楽寺から第三番・金泉寺へ。
二台の原付が、長閑な道をトコトコ走った。
「ユッタ! 次の寺まで三キロやって! 大阪の野田やったら信号十個くらいあんのに、ここ一個もあらへんやんけ!
……なぁ、見て。あそこの田んぼの横の自販機。見たことないメーカーのジュース売っとるで。後で飲んでみよか? 旅っぽいやん!」
「うん、いいね。……あ、トラ子、見て! 第二番の極楽寺、階段がすごい……! でも、登った後の景色、空が近くて気持ちいいね」
*
第四番・大日寺から第五番・地蔵寺へ。
二人が、境内のベンチで一息ついた。
「……はぁ。五番の地蔵寺、あのお地蔵さんの数、エグない? 一人一人顔がちゃうねん。中にはユッタに似た、えらい困り顔のお地蔵さんもおったで。
……でもな、こうやって一カ所ずつハンコが増えていくと、なんか……ウチら、ちゃんと前に進んどるんやなって実感するわ。
アプリのオッサンらがいんでも、ウチら、迷子にならんとやっとるよな?」
「……うん。最初は怖かったけど、トラ子の背中見て走ってると、どこまでも行けそうな気がする。……次は六番だね、急ごう!」
*
十六時。
第六番・安楽寺。
夕暮れ時の静かな境内で、最後のお勤めを終えた。
「……よし! 六番・安楽寺、シバいたったわ! 時計見てみ、十六時過ぎや。納経所閉まる前に滑り込みセーフやな。
初日にしては、ウチらなかなか筋ええんとちゃう?
……なぁ、ユッタ。ここ、宿坊に温泉あるらしいで。キャンプもええけど、いつかこういうお寺に泊まって、温泉入って、精進料理っちゅうハレンチに健康的なメシ、食べてみたいなぁ……」
「そうだね。……ねぇトラ子、見て。夕陽が綺麗だよ。
明日はもっと遠くまで行けるかな。……四国って、思ったよりずっと、優しい場所だね」
*
四国三郎の郷に着いた。
二人で、テントを張った。
小豆島で習った通りにやったら、あっさりと建った。
焚き火も、すぐに起こせた。
「今夜もカレーヌードルだよね!」
「……はぁ? 自分、正気でぬかしとんけ?
キャンプ言うたらな、カレーヌードル一択に決まっとるやろがい! 他に何食うねん。アヒージョ? ローストビーフ? 笑かすなや、そんなハレンチなもん、お洒落な雑誌の中だけでやっとけや!
ええか、よう聞け。この凍えるような夜風の中でな、焚き火の火ぃ眺めながら啜るカレーヌードル……これ以外に、この世に『正解』なんて存在せえへんのじゃ。
四の五の言わんと、さっさと湯ぅ沸かせや! 箸、割る準備はできとんねん。……最高の夜にしたるからな、ボケェ!!」
二人が、カレーヌードルにお湯を注いだ。
三分、待った。
焚き火の炎が揺れていた。
徳島の夜空に、星が出ていた。
二人は、夜遅くまで笑っていた。
*
同じ頃。
四国中央市の森と湖畔の公園キャンプ場では、本田とアプリが焚き火を囲んでいた。
金ちゃんヌードルに、お湯を注いでいた。
湖面が、静かに月を映していた。
場所は違った。
でも、やっていることは同じだった。
四人とも、焚き火の前で麺を啜っていた。
それだけだった。
それで十分だった。




