【reverse 94 いつか終わる旅】
バイトも野球教室も、佳境に入っていた。
ネーブルオレンジ畑で、本田が言った。
「そろそろバイトも終わりますね」
「そうだな」
「なぁ、アプリのオッサン! ウチらもようやく軍資金貯まったわ。……せやから、山口まで一緒に連れてけや、ええやろ? ウチら、まだテントもシュラフも持ってへんド素人やからな。オッサン、道具の目利きだけは無駄に詳しそうやんけ。ウチらのテント選び、しっかり付き合えよな! ……断るとかハレンチなこと言うたら、そのRS50のタイヤにポテチのカス詰め込んで、二度と走れんようにしたるから覚悟しときや、ボケェ!」
「テント等のキャンプ用品は任せておけ。既に手配済みだ。わざわざ買うな。ただ、一緒に行けるかは微妙だぞ?」
「え? テント買わなくていいの?」
「まあ、今度の試合で本土へ渡ってから説明する」
「テントなんかどうでもええんじゃボケッ! 『一緒に行かれへん』って、どないな料簡やねん!
どーせアンタらも、九州目指して西へ西へと単車転がすんやろ? やったら山口まで一緒に走ったって同じやないか!
ええか、よう聞け。ウチらみたいなピッチピチの美少女二人と旅ができるんやぞ? 普通の男やったら、神様に感謝して毎日地面に頭こすりつけて喜ぶレベルやんけ!
それに、ユッタを見てみぃ。こいつ、もうアンタと付き合う気満々やぞ。頭の中、アプリのオッサンとタンデムして結婚式挙げるイメージでハレンチなことになっとんねん! ……ほら、嬉しいやろ? 幸せすぎて鼻血出そうやろ? なぁ、オッサン!!」
「な、何言ってんの!? トラ子!」
ユッタが、真っ赤な顔でトラ子をポカポカ叩いた。
本田が、笑いながら答えた。
「実は僕とアプリさんはこの後四国に行くんだよ。だから、山口県に入るのはだいぶ先になるんだよね……」
「四国?」
「おい、アプリのオッサン! もう目の前まで九州が見えとるっちゅうのに、まだ寄り道しよるんか? 四国なんか上陸してみぃ。せっかくネーブルオレンジのバイトで必死こいて稼いだ軍資金、ガソリン代とフェリー代で全部パーやぞ!
ええか、悪いことは言わん。ウチらと一緒に山口まで走れ。
……別にウチはな、ここでオッサンらとバイバイしたって、一ミリも寂しくなんてないんやで? 明日には名前も忘れとるわ!
でもな、ユッタを見てみぃ。あいつ、オッサンがおらんようになったら、エンジン焼き付いたスクーターみたいにガタガタ震えて泣きよるぞ? ウチは本気で平気やけどな! ユッタがガッカリして、小豆島の海に身投げでもしたらどないすんねん! 責任取れや、ボケェーッ!!」
「アプリさんと本田くんは四国で何をするんですか?」
「基本的にお遍路だよ。あとは……高知市に行ってみたいんだ」
「高知? 何か面白いものでもあるんですか?」
「わからない。何も無いかも知れない……」
「……高知? あんな何も無いとこ、行ってどないすんねん。
……悪いこと言わんから、ウチらと一緒に山口行こうや。
……自分らがおらんようになったら、……ユッタが、絶対泣くぞ。
……ウチは、全然平気やけど。……ユッタが、かわいそうやんけ。
……なぁ、オッサン。一緒に行こうや。……ボケェ。」
本田が、トラ子の顔を見た。
「トラ子、そんなに切ない顔するなよ。さあ、グラウンド行こうよ。子供たちが待ってるよ。週末の試合に集中しよう!」
四人が、微妙な空気のままグラウンドへ向かった。
*
スタメン発表の日だった。
トラ子が、気持ちを切り替えてグラウンドに立った。
「……よっしゃ、気合入れんかい! スタメン発表するぞ!
ええか。明日は全員でこの島を出て、本土に殴り込みや!
……『勝たなあかん』なんて、ハレンチなプレッシャーは捨てちまえ。野球はな、ただのスポーツやない。『人生』そのものなんや!
泣いて、笑って、泥にまみれて……そうやって生きてる証を見せつける場なんや。せやから、自分ら。……心の底から楽しんでこい!
さあ、一番からいくで。……名前呼ばれたヤツ、魂込めて返事せぇ!!」
打順が発表された。
一番、近本光司。二番、中野拓夢。三番、柳田悠岐。
四番、大山悠輔。五番、近藤健介。六番、栗原陵矢。
七番、野村勇。八番、坂本誠志郎。九番、牧原大成。
先発、才木浩人。
控え投手、大竹耕太郎、リバン・モイネロ、田中正義。
控え野手、アリエル・マルティネス、奈良間大己。
ほんの十日前まで野球のルールすら知らなかった子供たちが、凛々しく並んでいた。
不揃いなジャージだった。
でも、その顔つきは一流の選手のものだった。
「……よし、今日は軽めのキャッチボール程度でええぞ! 深追いはすな。今夜は早めに切り上げて、明日の殴り込みに備えて体休めとけ。
ええか、全員……プロ野球チップスのカードはちゃんと持っとるな?
野球はな、最後は『イメージ』の勝負なんじゃ! 憧れの選手に自分を重ねて、そのカードを肌身離さず持っとけ! 寝る時も、飯食う時もや。そのカードから魂吸い取るくらいの気合で、自分らの理想に近づいてこい。
……分かったな! 明日は全員、カードの中の英雄になって暴れまわったれ!!」
キャッチボールの音が、小豆島の夕方に響いた。
*
翌日。
子供たちの親たちが、フェリー乗り場で見送った。
姫路港に着くと、相手チームの監督が三菱ふそうのローザを用意して出迎えてくれていた。
「アプリさん! 今日はよろしく! あと、例のもの持ってきましたよ!」
バスの積荷を見せてくれた。
「これだけあれば上等だ。おい、トラ子とユッタ、これはお前らのキャンプ用品だ。この監督の使い古しだがな。モノはかなり良いものだから大事に使え」
トラ子とユッタが、積荷を確認した。
テント、寝袋、コンロ。
綺麗にパッキングされた状態で二つ揃っていた。
「監督さん。これ貰っていいの?」
「もちろん! 私はもうバイクを辞めて使ってないからね」
「そういう事だ。貰っておけ」
トラ子とユッタが、監督に頭を下げた。
ヤンキー少女とは思えない、丁寧なお礼だった。
*
姫路市立灘浜野球場。
海に近い球場だった。
潮風が、グラウンドを吹き抜けていた。
結果は、負けだった。
相手は長年練習を積んだ少年野球チームだ。
勝てる見込みは、最初からなかった。
ただ、完封負けではなかった。
島の生徒たちは、一点を取った。
その一点を取ったのは。
代打マルティネスの、犠牲フライだった。
*
本田が、大はしゃぎした。
アプリとトラ子は、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「……はぁ。あのアリエル、あんな小技までさらっとやりよるんか。ホンマ、エグいわ。ただ振り回すだけのハレンチな助っ人や思ったら大間違いやな。
……ま、正直な。あんなんが中日におらんなってくれて、ホンマに助かったわ。あんな『打てる、守れる、頭回る』の三拍子揃った化け物が敵におったら、坂本のリードも、中野の守備範囲も、全部かき回されてまう。
パ・リーグの連中には悪いけど、アイツはもう北の最果てで、一生ピザでも食いながら大人しくしといてくれや……ボケェ。」
「本当に嫌な選手だな。黙って中日から出なければ良かったんだがな……」
「これが日ハムですよ!」
本田だけが、満面の笑みで小豆島へ帰った。
*
その夜。
小石先生の家のリビングで、トラ子とユッタが向かい合っていた。
「ネーブルも明後日までだね……。アプリさん達と別れて山口県に行く? もうテントもあるし、資金も余るほど貰えたし、二人で山口県まで走る?」
トラ子が、少し黙った。
「……そりゃ、そうやんな。
ウチらまで四国なんか付いてったら、軍資金も底つくし……山口着くんが、ますます遅れるだけやもんな。
……スマホのナビさえ生きてりゃ、ウチら二人でも山口くらい行けるわ。
……迷子になんかならへん。……大丈夫や。
……せやから、オッサンらは好きにしたらええやん。
……気にせんと、……四国でもどこでも、ハレンチに寄り道してこいや。
……ボケェ。」
「うん……わかった。それじゃネーブルが終わったら私らは山口県だね……」
トラ子が、窓の外を見た。
小豆島の夜は、暗くて静かだった。
「……せやな。
……二人で、山口行こうか。
……スマホのナビさえありゃ、なんとかなるわ。
……迷子になんか、ならへん。
……大丈夫、大丈夫や。
……ユッタ。……荷物、まとめよか。
……行こ。……な。」
ユッタが、静かに頷いた。
部屋の奥で、小石先生がお茶を飲んでいた。
何も言わなかった。
ただ、見ていた。
(行きたいくせに)
小石先生は、そう思った。
でも、言わなかった。
トラ子の「大丈夫」が、何度繰り返されても、誰かに向けた言葉ではなく、自分自身に言い聞かせているように聞こえたから。
小豆島の夜風が、窓を揺らした。
離れたくない、なんて。
そんな言葉は、トラ子の辞書には載っていなかった。
ただ、「迷子になんか、ならへん」という言葉だけが、リビングに静かに残っていた。




