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【reverse 92 野球の正義】

 翌日も、グランドにトラ子の声が響いていた。


 今日の課題は投手選びだ。


 トラ子が一人ずつマウンドに上げて、キャッチャーのアプリに向かって投げさせていく。


 そのうちの一人、左投げの男の子がいた。


 トラ子の目が、光った。


「……! 自分ええコントロールしてるやんけ。せや、大竹の真骨頂はあの『ナメ腐ったような超スローボール』や! 百四十キロそこそこの真っ直ぐを、百六十キロに見せてまう魔法やぞ。

ええか、原付の旅も一緒や。常に全開で飛ばすんが能やない。景色楽しむためにフワッとアクセル緩めて、ここぞという時に一気に加速する……。大竹のピッチングはな、小豆島の細い路地裏をスイスイ走り抜ける『原付の走り』そのものなんじゃい!」


 アプリが、マウンドまで駆け寄った。


「……おいトラ子、大竹のスローボールもいいが、ホークスにはモイネロがいる。縦に割れる、あの『消えるカーブ』を見たことがあるか? 百五十キロ中盤の真っ直ぐと同じ腕の振りから、あの落差で放り込まれるんだ。バッターからすりゃ、急に目の前から道が消えるようなもんだ。

どんなに荒れた路面でも、完璧なサスペンションでいなしちまう高級スポーツバイク……それがモイネロだ」


「……ケッ、モイネロか。確かにあいつのカーブはエグいわ。でもな、オッサン! 野球は球の速さや曲がり角だけで決まるんちゃうぞ! モイネロが『F1マシン』やとしたら、ウチらの大竹は『熟練の原付ライダー』や。どんなに性能ええマシンでも、大竹の『低速魔法』にハマったら最後、ズルズルと自分のペース崩して自滅しよんねん。スピードだけが正義やと思うなよ、ボケッ!」


 また揉め出した。


 本田が球拾いから駆け寄った。


「……あのさ、二人とも。確かに大竹さんもモイネロも凄いけど、日ハムの堀瑞輝を忘れないでよ。独特なサイドスロー気味のフォームから、バッターの懐をえぐるようなスライダー……。最多ホールドを獲った時のあの安定感は、まさに『どんな悪路でも淡々と走り続けるスーパーカブ』そのものなんだ。派手な加速はないかもしれないけど、チームが一番ピンチの時に、黙ってエンジンをかける……。僕はそんな堀選手が好きなんだ」


 アプリとトラ子が、口を揃えた。


「「それ、万年二軍のヤツ!」」


「……昨日も言うたけどな、本田ァ! プロの世界に入って何年経っとんねん。いまだにメンタル面でフラフラ迷っとるようなヤツに、未来なんて一ミリも無いわ!

堀なんてな、新庄監督やからたまに一軍呼ばれとるだけで、他の監督やったら一生二軍で飼い殺しじゃ! 悪いけどな、堀なんてもうロートルや。ここからの復活なんて百パーセント、天地がひっくり返ってもあり得へんわ!

それはスーパーカブだって一緒やろがい! 実質、HONDAの正義は今はディオなんよ。同じ4ストでもな、ディオのエンジンの方が圧倒的に回るし優れとんねん! 古臭い『カブの幻想』にしがみついとらんと、とっとと現実見ろや、ボケェーッ!」


「本田、今の日ハムは先発だけが豪華なだけで中継ぎと抑えはどんぐりの背比べだ。先発が降りた時点で、敵チームは全員チャンスだと思ってるからな。あと、田中正義に負けてもホークスファンは別に悲しまない。あれはウチの選手だからな。正義にセーブが付いても実質ホークスの勝ちだ」


「……ジャスティス……そうだ! そうなんだよ! トラ子、堀選手のことボロクソに言ったけど、日ハムには田中正義だっているんだ。

彼はホークスで苦しんで、もうダメだって言われた時期もあった。でも、日ハムに来て守護神として覚醒したんだよ。百五十キロ後半の真っ直ぐで、バッターを力でねじ伏せるあの姿……。

あれはまさに、『一度は廃車寸前まで追い込まれた名車が、完璧なオーバーホールを経て、サーキットの主役に戻ってきた』ような奇跡なんだ。僕は、そんな『復活』があることを信じてる。だから、堀選手だって……!」


 トラ子の様子が、明らかに変わった。


「……ジャスティス」


 グランドが、一瞬静かになった。


 アプリが、帽子のつばを引き下げた。


「……チッ、田中正義か。あいつをプロテクトしきれなかったのは、ホークスフロント最大の痛恨事だろうな。だが、あいつが日ハムでマウンドに立っているのを見ると……皮肉なもんだが、『場所を変えれば、眠っていたエンジンが目覚めることもある』って証明された気分だぜ。……認めざるを得ねえな」


「……ジャスティスな。確かにあいつの真っ直ぐはハレンチなほど速いわ。人的補償から守護神に登り詰めるとか、物語としては満点やんけ。

……ま、本田。自分もその田中正義みたいに、この小豆島で『オーバーホール』でもして、少しはマシな男になって帰れや。カブのエンジン磨く前に、自分のその弱気なメンタル、ジャスティスに叩き直してもらえ、ボケッ!」


 そのまま、子供たちに向き直った。


「ええか! 才能があっても、怪我したら終わりや! でもな、田中正義みたいに諦めへん奴だけが、最後に笑えるんやぞ!」


   *


 その日の野球教室は、夕方まで田中正義の素晴らしさについての講義だけで終わった。


 左投げの男の子の名前は、結局まだ決まっていなかった。


 島の子供たちの頭の中に、誰だかわからない謎の投手「田中正義」の名前だけが深く刻み込まれた。


   *


 同じ頃、職員室では。


 野球教室のマネージャーを任されている女の子、南ちゃんが報告に来た。


「小石先生、今日は大竹耕太郎って人とリバン・モイネロって人と、堀瑞輝って人と、田中正義って人が出たよ」


「ありがとう。南さん。グラウンドへ戻っていいわよ」


 南ちゃんが出ていった。


 小石先生が、段ボールを開封した。


「また増えたんですか!? 本当にキリが無いですよ?」


 ユッタが、段ボールの中を覗き込んだ。


 カルビープロ野球チップスが、ぎっしりと詰まっていた。


 二人が黙って袋を開け始めた。

 カードだけを抜いて、机の上に並べていく。


「ユッタさんも余ったポテチ食べていいのよ……」


「さすがに飽きました! もう今日だけで何個食べたと思ってるんですか! もうしばらくポテチは見たくないです! 私はカードだけ抜くことにします!」


 ユッタが、黙々とカードを抜いていく。


 机の上に、カードを抜かれたポテトチップスの袋が積み上がっていく。

 食べかけのものもある。

 全て手つかずのものもある。

 どれも開封済みだ。


「大竹……大竹……大竹……小石先生はモイネロ見つかりました?」


「まだ出てこないわね……。堀瑞輝って本当に入ってるのかしら……」


 二人の手が、止まらない。

 袋を開ける。

 カードを確認する。

 違う。

 ポテチを脇に積む。

 次の袋を開ける。


「それにしても、こんなにたくさんのプロ野球チップスをわざわざ本土から買ってくるなんてアプリさんって凄い執念ですね……」


「そうね……子供たちの教材にするんだと言って買ってきてくれたのは良いけど、数が多すぎるのよ……いったい何個、開封すれば終わるのかしら……」


 職員室の隅に、ポテチの袋が小山を作り始めていた。


「とにかく明日は子供たちに新たな名前を付けないで欲しいです……」


「そうよね、どうしてアプリさんとトラ子ちゃんはそこまで選手名にこだわるのかしら……。そして、グラウンドで出た選手のカードを必ず見つけなくちゃならないのは何故なのかしら……」


「これって罰ゲームですか? 私、野球を知らないってだけでもしかしたら罰ゲームの餌食になってます?」


 小石先生が、ため息をついた。


 手元には大竹耕太郎が六枚あった。

 モイネロはまだ一枚も出ていなかった。

 堀瑞輝が封入されているかどうかも不明だった。


「……ユッタさん、田中正義が出たわ」


「あ、それは二枚目です。昼前にも出ました」


「……そう」


 二人が、また袋を開けた。


 グランドでは、今もトラ子の声が響いていた。


 職員室のポテチの山は、まだまだ高くなっていった。









■ 大竹 耕太郎(阪神タイガース) 現役ドラフトの星であり、打者の「間」を支配する左の技巧派。 100km/hに満たない**「超スローボール」**を涼しい顔で投げ込み、強打者たちのタイミングを無慈悲に狂わせる「精密な魔術師」。 その緩急自在な投球術は、アプリに「ただ速いだけが能じゃない」と言わしめるほど。彼がマウンドに立てば、球場全体が大竹ワールドという名の「低速魔法」に包まれる。



■ リバン・モイネロ(福岡ソフトバンクホークス) キューバから来た「最強の左腕」。長年、鉄壁のリリーフとしてパ・リーグの打者を絶望させてきたが、先発に転向するやいなや、その圧倒的なスタミナと精度で他球団を驚愕させた。 特筆すべきは、150km/h超の直球と、「重力無視」と称される大きく鋭く曲がり落ちるカーブ。アプリいわく「RS50のチャンバーが奏でる高回転域のような、美しくも暴力的なキレ」を持つ、ホークスファンが最も信頼を寄せる絶対的エースの一角。



■ 堀 瑞輝(北海道日本ハムファイターズ) 北の大地を支え続ける「鉄腕」サウスポー。 独特な角度から放たれるキレ味鋭いスライダーを武器に、2021年には最多ホールドのタイトルを獲得。 連投も辞さないタフさと、ピンチの場面でスッとマウンドに現れるその姿は、本田いわく「旅路で最も信頼できる相棒」のような安心感がある。 派手なパフォーマンスこそ少ないが、職人気質な仕事ぶりは、目の肥えたパ・リーグファンからの信頼も厚い。




■ 田中 正義(北海道日本ハムファイターズ) 2016年ドラフト1位、5球団競合の末にホークス入団。「大学球界ナンバーワン」と称された逸材だが、プロ入り後は度重なる肩の怪我に泣かされた。 しかし2023年、人的補償で日本ハムに移籍すると、ついにその才能が完全開花。150km/h後半の唸るような直球を武器に、北の守護神クローザーとして君臨。「ジャスティス」の愛称と共に、絶望の淵から這い上がったその姿は、多くのファンの涙を誘った。まさに「不屈の正義」を体現する右腕。

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