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【reverse 80 究極の鈴菌式ベッドと究極の花】

 二十六日目から、二階の改装が始まった。


 一階の喧騒とは違う、静かで緻密な熱気だった。


 マキタのLS001G、40Vmaxのスライドマルノコが唸った。


 鈴菌が、2×4材をセットした。


「一ミリの狂いも許さんぞ」


 刃が走った。

 材が、豆腐のように裁断された。


 本田が、切り出された材を積み上げた。

 アプリが、フレームを組んだ。

 間仕切りが、一枚、また一枚と立ち上がった。


 五部屋の個室が、かたちになっていく。


   *


 二段ベッドの組み立てに入ると、鈴菌の目が変わった。


「SUZUKIのフレーム剛性を舐めるな。このトラス構造が、荷重を逃がすんだ……」


 鈴菌が、うっとりしながら2×4材を組み上げていた。


 本田と花が、枕元のUSBポート付きコンセントの配線をした。


 二十床分。

 全部の枕元に、充電口がある。


「幕末にはUSBなんてなかったから、充電の悩みがないのは幸せですね……」


 本田が、配線しながら少し遠い目をした。


   *


 四十二日目。


 モト子と花が、シーツを抱えて五部屋目に入った。


「……ねえ花ちん、これ、本当にベッドだと思う?」


 モト子が、目の前の巨大な2×4材の構造体を見上げた。


「……なんか、バイクのメンテナンススタンドを大きくしたみたいですよね。鈴菌さん、これを組んでる時ずっと『このトラス構造が、荷重を逃がすんだ……』ってうっとりしてましたよ」


 花が、クスクスと笑いながら、上段の横についている謎のレバーを引いた。


 ガコッ、という精密な金属音がした。


 次の瞬間、上段のマットレス部分が、油圧ダンパーのような滑らかさで手前にせり出し、花の腰の高さまでスルスルと降りてきた。


「キャッ! 何度見てもこれ、すごい! 脚立に登らなくてもシーツが替えられるなんて!」


「本当、変態よね。……シーツ交換が面倒だからって、上段を地上まで降ろすシステムを自作するなんて。鈴菌のやつ、SUZUKIのバイクのサスペンション構造を応用したとか言ってたけど、絶対に向ける情熱の方向を間違えてるわよ」


 モト子が呆れ顔で笑いながら、降りてきたマットレスに白いシーツを被せた。


「でも、モト子さん。これなら夜中に酔っ払ったライダーさんが上の段から落ちる心配もないし、私たちも楽です。……鈴菌さん、『整備性の悪いマシンは、ライダーへの愛が足りない』って怒ってましたもん」


「あはは! あいつにとって、このライダーハウスは『巨大なバイク』なのね。……よし、これで五部屋目、二十人分のベッドメイキング終了!」


 モト子がポン、とシーツを叩いた。


 窓から、笠寺の夕日が差し込んでいた。

 真っ白なシーツが、オレンジ色に染まった。


「……花ちん。春になったら、ここに日本中からライダーが集まるんだね」


「はい。……本田くんたちが一階でバイクをいじって、私たちがここでシーツを整えて。……なんだか、すごく素敵な場所になりそうです」


 二人は、鈴菌が一ミリの狂いもなく切り出した「要塞」の中で、まだ見ぬ旅人たちの笑い声を聞いたような気がした。


   *


 十二月二十三日。


 全ての作業が、終わった。


 一階のカフェスペースは、あとは家具を配置するだけだ。

 二階のライダーハウスは、二十床が揃っている。

 厨房には、ホシザキが並んでいる。


 六人が、スケルトンだった西之門の元町工場を見渡した。


 誰も、何も言わなかった。


 笠寺観音の鐘が、遠くで鳴った。


   *


 その数日前のことだ。


 コックの面接が、工事中のホールで行われた。


 相手は、ムッシュ佐々木。


 工事中の店内を入ってきた瞬間から、鼻で笑っていた。


「……フン。ライダースカフェですか。結局、出すのはレトルトのカレーか、冷凍のハンバーグでしょう?」


「いいえ。うちはライダーが長距離を走った後に、ホッとして、かつ『明日も走ろう』って思えるような、力強くて温かい料理を出したいの。……で、佐々木さんはうちで何を作ってくれるの?」


「私を誰だと思っているんですか。私が作るコンソメは、雑味一つない黄金色だ。客にライダースジャケットを脱がせ、背筋を伸ばして食べさせるような、そんな一皿を……」


「却下。うちは革ジャンのまま、ヘルメットを脱いだ瞬間のボサボサ頭で、ガツガツ食べて笑える店なの。あんたの黄金色のスープを飲んで緊張しなきゃいけないなら、うちの客は皆、他所のコンビニのイートインに行っちゃうわよ」


「無礼な! 料理の価値もわからん素人が店をやるなんて、世も末だ! 大体、この厨房にホシザキのコールドテーブルを入れただけで満足しているようだが、私のソースを作るには火力が……」


「それなら、腕前を見せて欲しいわね」


「よかろう」


 二人が、厨房へ入った。


   *


 食材を確認したムッシュ佐々木が言った。


「まあ、これだけあればアッシ・パルマンティエくらいは作れるな」


 モト子が、厨房から花を呼んだ。


「花ちん! ちょっと厨房まで来てもらえる!」


 花が来た。


「本田くん達に食材使うからって言ってきて貰える?」


今ある食材は今ここで暮らしているアプリと本田と鈴菌の物なので一応、モト子が彼らへ許可取りをする。




 花が、二階へ向かった。


   *


 二階では、本田と鈴菌とアプリが仕上げの作業中だった。


「モト子さんが厨房の食材使うってさ」


「え? もうコックさんが決まったの?」


「わかんない。なんか揉めてた感じなんだけど、今は厨房でなんか作ろうとしてる」


「こりゃ昼飯は美味いものが食えそうだな」


「うん! なんか凄いシェフみたいな人だったから凄い物が出来そうだよ。私、厨房を見てくるね」


 花が、そそくさと階段を降りていった。


 本田が、後を目で追った。


「……僕らも見に行きませんか?」


「そうだな。作業もひと段落したし見に行ってみるか!」


 三人が、一階に降りた。


   *


 厨房を覗き込んだ。


 ムッシュ佐々木の包丁が、ジャガイモの皮を次々と剥いていた。


「す、凄い! なんであんなに早く皮が剥けるんですか?」


「あれは本格的なシェフだな」


 アプリが、静かに言った。


 厨房の中では、モト子も花もムッシュ佐々木の腕前に圧倒されていた。


 やがて、アッシ・パルマンティエが完成した。


 モト子が、一口食べた。


 目が見開いた。


「ムッシュ佐々木、腕を試すようなことをして悪かったわね。あなたの腕は完璧よ!」


「ま、当然だ」


 モト子が、花に皿を渡した。


 花が、一口食べた。


 微妙な顔をした。


「花ちん、口に合わない?」


「いえいえ、もちろん美味しいと思います。ただ……いえ、何でもないです……」


「花ちん、何か気になることでもあるの?」


「気になる事だと? 私の料理にイチャモンでもつけようと言うのか?」


 ムッシュ佐々木が、睨んだ。


 本田が、厨房に入って一口食べた。


「めちゃくちゃ美味い!」


 アプリにも皿を回した。

 鈴菌も食べた。


「うん! これなら間違いない。アドレスV125のような完璧な料理だ」


「花さんはこれの何処が気になるの?」


 花が、とても答えにくそうに言った。


「せっかくのジャガイモが、この料理では台無しかな?って思っちゃって……」


「ジャガイモが台無しだと? 小娘の分際で訳の分からんことを言うな!」


 ムッシュ佐々木が怒鳴った。

 モト子も、花の真意がわからなかった。


 沈黙の中で、アプリだけが冷静に尋ねた。


「花、お前が考える究極のジャガイモ料理ってどんなものなんだ?」


 花が、作業台に残った食材を見た。


 余ったジャガイモと挽肉と玉ねぎが、無造作に置かれていた。


 その瞬間、花の顔が変わった。


 目つきが変わった。

 姿勢が変わった。

 口角が、皮肉っぽく上がった。


「あんたらに本物のジャガイモ料理ってのを食わせてやるよ」


 アプリが、内心で思った。


(また来た)


 栃木の佐野ラーメン屋で見た顔だ。


 花が、本田を指さした。


「本……いや、岡星くん! ピーラーでジャガイモを剥いてくれ」


 本田が、戸惑った。


「アプリさん! 岡星って誰ですか!」


「お前のことだ、早く芋を剥け! 山岡士郎を舐めるなよ!」


 本田が、意味のわからないまま、懸命にジャガイモをピーラーで剥き始めた。


 鈴菌の声が、突然甲高くなった。


「あわわ……山岡のやつまた余計なことを……」


 アプリが、鈴菌を見た。


(富井副部長……)


 アプリが、笑いを堪えた。


   *


 花が、玉ねぎを荒く微塵切りにした。

 ジャガイモを、荒く潰した。


「ずいぶん手荒な包丁使いだな。そんなに荒い微塵切りは初めて見たぞ」


 ムッシュ佐々木が、せせら笑った。


「あんたはまだジャガイモ料理というものをわかってない。黙って見てろ! 岡星くん! 卵を二つ!」


 本田が、言われるがまま冷蔵庫から卵を出した。


 花が、挽肉と玉ねぎを炒めた。

 荒く潰したジャガイモと合わせた。

 形成した。

 パン粉をまぶした。

 揚げた。


「ワハハハ! 何かと思えばただのコロッケかよ! 小娘らしい庶民の料理ってわけか!」


 ムッシュ佐々木が、高笑いした。


「貴様に究極のジャガイモ料理ってのを教えてやる!」


 花が、鋭い目つきで言い返した。


 コロッケが揚がった。


 花が、全員の前にただのコロッケとブルドックウスターソースを並べた。


「こんな普通のコロッケをドヤ顔して作るとは、本当に馬鹿げてる娘だな」


「花ちん、ただのコロッケを作ってどうするのよ」


「山岡! こんなものを作って社主に失礼じゃないかー!」


 鈴菌の甲高い声が響いた。


「まあ、皆、文句を言うのは、まずは食ってからだ」


 アプリが、ウスターソースをたっぷりかけてコロッケを一口食べた。


「さすがだ! 山岡士郎」


 本田も食べた。


「え! このコロッケ! めちゃくちゃ美味い! なんでこんなに美味しいの?」


 鈴菌も食べた。


「う……うぉぉぉ……!! な、なんだこれはっ!!」


 鈴菌の目が、こぼれんばかりに見開いた。


「山岡くん! これだよ、これなんだよ! 最近の冷凍コロッケときたら、中身がどろどろに糊みたいになったマッシュポテトばかりで、何を食べているのか分からん。だが、このコロッケは違う! この、ゴロゴロとしたジャガイモの塊! 歯を立てるたびに、大地の力強い香りが口の中で爆発するようだ!

そこに、わざと粗く刻んだ玉ねぎがシャキシャキと小気味よいリズムを刻み、甘みを添える……。さらに、この挽肉だ! 芋と玉ねぎを邪魔せず、しかし力強く支えるこの肉の旨味……まさに黄金のトライアングル! 完璧な調和だ!!」


 鈴菌が、震える手でブルドックソースの瓶を握りしめ、ドバドバと追いソースをかけた。


「そしてこのウスターソース! スパイシーで酸味の効いたこいつが、ホクホクの芋に染み込んで……あぁっ! 白飯だ! 白飯をくれぇぇぇ!! このコロッケの欠片一つで、丼飯三杯はいける! うぅ……お母さん、僕はいま、本当のジャガイモ料理を食べています……!!」


 鈴菌が、椅子から転げ落ちた。

 バタバタと足を激しく震わせながら、悦びに浸っていた。


 モト子が、恐る恐る食べた。


「こ、これは……!?」


 ムッシュ佐々木が、一口食べた。


「う! 美味い……」


 ムッシュ佐々木が、花のコロッケの前に膝をついた。


   *


「……ムッシュ、あなたの料理がどうして私のコロッケに負けたか、まだ分からないんですか?」


 花が、皿に残った滑らかなマッシュポテトをスプーンで掬い上げた。


「このアッシ・パルマンティエ、確かに技術は完璧ですよ。ジャガイモは丁寧に裏ごしされ、挽肉のソースもクラシックで隙がない。……でもね、それは『ジャガイモの墓場』を作っているのと同じなんです。

今は十二月。ジャガイモと玉ねぎが、その一年で最も力強い生命力を持つ旬の時期だ。特にこのジャガイモ……本…いや岡星くんとアプリさんが、かつて稚内の農家で泥まみれになって収穫した『キタアカリ』なんですよ。彼らは自分たちが掘ったものだとは気づいていないみたいだけど、土の香りと、蓄えられた澱粉の質を見れば分かります。

そんな最高の素材を、あなたは台無しにした。旬の、それも稚内の大地が育んだキタアカリを、完全にすり潰してマッシュポテトにした時点で、あなたの負けは確定していたんです」


 花が、コロッケの断面をムッシュに見せた。


「見てください。この荒く潰したジャガイモのゴロゴロとした塊を。そして、わざと荒く微塵切りにした玉ねぎを。口に入れた瞬間、歯がジャガイモの繊維を断ち切り、熱い澱粉が弾ける。その隙間に玉ねぎのシャキシャキとした食感と甘みが入り込む。これこそが、『ジャガイモと玉ねぎを食べている』という実感なんだ!

旬の素材を、ただの『滑らかな食感』という概念の奴隷にしてしまった……。あなたは自分の技術をひけらかすことに夢中で、目の前の素材が上げている『そのままの姿で食べさせてくれ』という悲鳴が聞こえなかった。

いいですか? 本当の料理ってのは、素材にひれ伏すことから始まるんです。完璧な裏ごしよりも、一本のブルドック・ウスターソースがこの粗削りな芋の旨味を引き立てる。その残酷なまでのマリアージュが、あなたの様々な材料で仕上げたソースを凌駕してしまった。……ムッシュ、あなたは料理人としては一流かもしれない。でも、『食べる人間』を喜ばせるための、旬への敬意が決定的に欠けているんですよ」


 厨房が、静かになった。


「……やれやれ。花、いや、山岡士郎。それは言い過ぎだ……と言いたいところだが、今の話は料理人として百点満点だ。歴史も料理も、その場の『生きた証』を消しちゃいけないという訳か……」


「えっ、今のジャガイモ、僕たちが稚内で掘ったやつだったの!? なんか『頑張れよ』って励まされてるような味がすると思った……! でも、どうして花さんは芋を見ただけで僕とアプリさんが収穫したジャガイモだってわかるんですか? アプリさん!」


「それが山岡士郎という男だからだ」


「だから、その山岡士郎って誰なんですか!」


 ムッシュ佐々木が、目からウロコが落ちたように花に一礼した。


「また修行し直してくる。次は負けないぞ! 山岡の旦那!」


 ムッシュ佐々木が、爽やかな笑顔で立ち去った。


   *


 後に残ったモト子が、真剣な顔で花に向き合った。


「花ちん! うちでコックをやってくれないかな?」


「え? 私が?」


 花が、アプリを見た。

 本田を見た。


 二人が、花を見ていた。


「……少し時間を下さい」


 花が、小さく言った。


 モト子が、頷いた。


 本田が、花以上に戸惑っていた。

 何も言えなかった。


 アプリが、黙って三人を見ていた。


 厨房のホシザキが、静かに動き続けていた。


 西之門の路地に、笠寺観音の鐘が遠く響いた。

















【マキタ:LS001G(40Vmax 充電式スライドマルノコ)】

二階の間仕切りと2段ベッド制作の立役者。鈴菌が「1ミリの狂いも許さん」と本田に命じ、2×4材を次々と「豆腐を切るように」裁断した最強の刃物。40Vのパワーは、鈴菌のこだわりという名の過剰な熱量を完璧に形に変えました。



【ブルドック ウスターソース】

野菜と果実の旨味を煮詰めに煮詰めた、日本の家庭料理の「最終兵器」。

メーカー名: ブルドックソース株式会社

1902年(明治35年)に東京・日本橋でパン粉の卸売業として創業。当時は「三澤屋商店」という名前でした。

初登場(発売開始): 1905年(明治38年)

ウスターソース自体の発売はこの年です。日露戦争が終わった頃、日本の食生活が西洋化し始めた時期に誕生しました。


「ブルドック」の由来:

1926年(大正15年)にブランド名を「ブルドック」に統一。当時、イギリスで愛されていたブルドッグ犬が「幸運の象徴」とされており、さらに西洋料理の代名詞だったソースのイメージに合わせ、イギリスのシンボル犬を採用したのが始まりです。

※ちなみに、濁らずに「ブルドック」なのは、創業者たちの「こだわり」だと言われています。

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