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【reverse 79 五稜郭を作りし男の図面】

 笠寺の朝。


 西之門の路地に、マキタのTD173Dの音が響き始めた。


 根太を打ち付ける、規則正しい打撃音だ。


「クラッチを繋ぐのと同じだ。引き切らず、半分でいったん止めてみろ」


 鈴菌が、本田のトリガー操作を後ろから見ていた。


「……こう、ですか?」


「そうだ。力で押し込もうとするな。インパクトに任せろ」


 本田がもう一度、トリガーを引いた。


 ビスが、気持ちよく根太に沈んだ。


「……あ、入った!」


「そういうことだ」


 鈴菌が、次の根太に移った。


 路地の外まで、TD173Dの金属音が響いていた。


   *


 根太の間に、断熱材を敷き詰める作業に入った。


 スタイロフォームの青いパネルを、一枚一枚切って埋めていく。


「……花さん、これパズルみたいで楽しいけど、膝が……膝が笑いすぎて、もう漫才師になれそうです」


「ふふ、本田くんの膝、本当に震えてる。……でも見て、この青い断熱材を敷くと、急に『家』っぽくなるね。幕末の板間は冬、底冷えして修行みたいだったから……この暖かさは魔法だよ」


「ですね。龍馬さんにも教えてあげたかったな。……あ、花さん! そこの角、一ミリ隙間開いてるってVタックさんに怒られますよ!」


「えっ!? どこ!? ……もう、本田くん、脅かさないでよ!」


 花が、膝立ちのまま慌てて角を確認した。


 隙間は、なかった。


「冗談ですよ」


「もう!」


 本田が笑った。

 花も笑った。


 青い断熱材が、床一面に広がっていた。


   *


 針葉樹合板を貼り終えると、床が生まれた。


 昨日まで剥き出しのコンクリートだった場所に、木の床がある。


 本田が、その上を歩いた。


「……なんか、急に部屋っぽい」


「当たり前だ」


 鈴菌が、床を踏み鳴らした。

 しっかりした音がした。


 厨房エリアには、ケイカル板を貼って、防水FRP加工を施した。

 アプリが、黙々と作業した。

 鈴菌が、隙間を確認した。


 入口の三分の一は土間のまま残した。

 エポキシ樹脂塗料を塗ると、コンクリートが鏡のように光った。


「バイクが、ここに入るんですね」


 本田が、土間の鏡面仕上げを見て言った。


「オイルがこぼれてもサッと拭ける。ガレージにはこれが正解だ」


   *


 十八日目。


 テンポスバスターズから、荷物が届いた。


 モト子とVタックが、名古屋中川店で選んできた中古厨房機器一式だ。


 トラックの荷台から、まず最初に降りてきたのはホシザキのコールドテーブル冷蔵庫、RT-120SNGだった。


 本田と花が、養生シートを広げて受け取り位置を作った。


「……重いですよ、これ」


「ゆっくり、ゆっくりね」


 四人がかりで、コールドテーブルを厨房に据えた。


 天板が作業台になる。

 下に冷蔵スペースがある。

 一台で二役だ。


 本田が、天板をそっと触った。


「……ステンレスって、こんなに冷たいんですね」


「業務用は板厚が違うからな。消費者向けの台所とは全然別物だ」


 次に、タテ型冷蔵庫のHR-120ATが降りてきた。


 背が高かった。

 圧があった。


「……デカい」


「二人で持つな、四人で持て」


 アプリの指示で、四人がキャスターを使いながら厨房に入れた。


 設置完了。

 電源を入れた。


 コンプレッサーが静かに動き始めた。


「幕末の氷室より冷えますね……!」


「当たり前だ、ペンギンも住めるぞ」


 本田が感動して、鈴菌が即答した。


 ホシザキが二台、厨房に並んだ。


 それだけで、空間の空気が変わった。


「……なんか急に、飲食店だ」


 花が、厨房の入口から中を見て言った。


 モト子が、腕を組んでニヤリとした。


「でしょ。ホシザキが入ると、急に本物になるのよ」


 花が、ホシザキの扉をそっと開けて、中を確認して、また静かに閉めた。

 丁寧だった。

 新品同様の機器に、敬意を払うような手つきだった。


 本田も同じだった。

 コールドテーブルの引き出しを一度開けて、静かに戻した。


(ここに、誰かの料理が入るんだ)


 まだ何も入っていない冷蔵庫が、そこにあった。


   *


 二十五日目の夕方。


 電気工事が、完了した。


「いい? 全員準備はいい? ……スイッチ、オン!」


 パチッ、という軽い音がした。


 温かい電球色のLEDが、スケルトン空間を照らし出した。


「……おおっ! 明るい……!」


「ガレージ部分のメタルハライドランプ、いい色だな。バイクが綺麗に見える」


「闇を払うのは、いつの時代も文明の灯火だな」


「……なんだか、本当に始まるんだなって感じがしますね」


 廃墟だった町工場が、一瞬にして、帰ってくる場所になった。


   *


 点灯式の余韻が残る中、Vタックとモト子がカウンター予定地に帳簿を広げた。


「……さて、今のところの出費だが。物件の保証金と仲介手数料で五十万。テンポスで揃えた中古厨房機器一式で百二十万。マキタの工具と資材代で八十万ってところだ。計二百五十万か」


「Vタックさんの退職金があるとはいえ、結構飛ばすわねぇ。でも、自分たちでこれだけ施工したから、業者に丸投げするより三百万は浮いてるわよ」


「まあ、教師の退職金は数千万あるから、倒産の心配はまだないが……。この賃料、月十二万。光熱費と合わせて、美味しいコーヒーだけじゃ足りないぞ。ライダーハウスの稼働率を上げないとねぇ」


「それと人件費よね。まあ、経理に関しては私に任せてよ!」


 二人の会話の向こうで、本田と花がホシザキの周りを楽しそうにうろうろしていた。


   *


 モト子のマンションに、青森初雪のニュースが流れた夜。


「花ちん、そろそろ青森に帰らないと雪が積もっちゃうね」


「モト子さんさえ良ければ、春までここに居させて下さい! 私もカフェがオープンするのを見てみたいんです! 出来ればモト子さんの家で越冬させて下さい!」


 モト子が、少し目を細めた。


「花ちんは強いんだね」


「モト子さんだってキャノンボールを完走したんですよね」


「私の場合は逆に何も知らない素人だったからねぇ〜。何処でリタイアしてもおかしくなかったんだけど、DT50が最後まで走ってくれたのよ」


「私のモトラもここまで、まだパンクすらしてません」


「お互い良いバイクに巡り会ったよね!」


「はい!」


 花が、満面の笑顔で答えた。


   *


 厨房とホールが形になった数日後。


 モト子は一人で、DT50を走らせた。


 名古屋市南区役所。

 生活衛生課の窓口。


 鈴菌から受け取ったクリアファイルを、両手で抱えていた。


(飲食店の営業許可って……何を聞かれるんだろう。怒られたりしないよね……?)


 殺風景な廊下が、妙に長く感じた。


 窓口の椅子に、眼鏡をかけたベテランの男性職員が座っていた。


「あの……新しくカフェを始めるので、営業許可の申請に来たんですけど……」


「はい、飲食店ですね。まずは図面を拝見します」


 モト子が、クリアファイルから図面を取り出した。


 職員が、図面を広げた。


 しばらく、沈黙があった。


「……ほう。これはまた……非常に正確な図面ですね。給排水の位置、シンクの二槽、手洗い器のL5クラス……全部完璧に書き込まれてる。プロの方が書かれたんですか?」


「えっ、あ……いえ、うちの……その、バイク仲間の『鈴菌』ってやつが。あいつ、妙にこういう細かいことに厳しくて……」


 職員が、図面を指で追いながら続けた。


「この厨房エリアの床、防水FRP加工ですね。壁も不燃材。……うん、構造上の不備は見当たりません。……ただ、これ、客席の一部が土間になっていて、バイクを置くんですか?」


「……あ、はい。ライダースカフェなので。でも、飲食スペースとは段差とパーテーションでしっかり区切るつもりです! 衛生面は……その、頑張ります!」


「いえ、禁止されているわけではありませんよ。ただ、排気ガスの滞留には気をつけてくださいね。……よし、図面は受理します。あとは申請書類と、食品衛生責任者の資格はお持ちですか?」


「えっ! 資格!? ……あ、それ、Vタック……じゃなくて共同経営者の男性が講習を受けて持ってます! 良かった……忘れてた……」


 職員が、苦笑した。


「では、申請手数料の一万六千円をあちらの窓口で納めてきてください。その後、工事が終わる頃に実地検査に伺います。立ち会い検査の日程ですが……二十日の週はいかがですか?」


「二十日……。はい、そこまでに一階の床と厨房を仕上げます。……あの、検査って……厳しいんですか? 怖い人が来て、床の裏まで見たりします?」


「ははは、そんなことはしませんよ。図面通りに設備があるか、お湯がちゃんと出るか、冷蔵庫に温度計がついているか。そのあたりを十五分ほど確認するだけです。この図面を書いた方が現場にいるなら、まず心配ないでしょう」


「……そうですか。良かったぁ……。ありがとうございます!」


   *


 役所を出た。


 秋の陽が、駐輪場のDT50を照らしていた。


 モト子は、ヘルメットをかぶって、シールドを下ろした。


 ため息をついた。


「……ふぅ。何よ、あんなに緊張して損した。……図面を見た瞬間に、ほぼ終わってたじゃないの」


 エンジンをかけた。


「……でも、鈴菌のやつ、あんな完璧な図面いつの間に書いたのよ。アイツ、本当は設計士かなんかじゃないの?」


 DT50が、南区の道に出た。


 西之門に向かって、走り出した。


 笠寺観音の屋根が、遠くに見えた。


 モト子は、ヘルメットの中で小さく笑った。


 変な仲間たちが、あの廃墟を毎日変えていく。


 それだけで、なんだか楽しかった。








今回導入した厨房機器(ホシザキ製)

ホシザキ:コールドテーブル冷蔵庫(型式:RT-120SNG)

後書き用解説: 天板が作業台になる「一石二鳥」の優れもの。幕末には「冷たい板」など魔法でしかなかったが、現代では仕込みの要。厨房の主役。



ホシザキ:業務用タテ型冷蔵庫(型式:HR-120AT)

後書き用解説: 圧倒的な冷却力と威圧感。本田が「幕末の氷室より冷えますね!」と感動し、鈴菌が「当たり前だ、ペンギンも住めるぞ」と返す、食材たちの要塞。




マキタ:インパクトドライバ TD173D

後書き用解説: 「打撃の王」。根太を止める際、西之門の路地に心地よい金属音を響かせる。本田の未熟なトリガー操作を、鈴菌が「クラッチの繋ぎと同じだ!」とバイクに例えて指導する、DIYの必需品。


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