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【reverse 75 答え合わせと、花と春猪】

 翌日。


 名古屋市鶴舞中央図書館の閲覧室に、四人がいた。


 坂本龍馬の資料を、片っ端から読み漁っていた。


   *


 鈴菌が、ある頁でニヤリと笑った。


「これはやってるな!」


「どうしたんですか?」


「いろは丸事件の賠償金だ。聞いて驚くなよ。……八万三千両」


 一秒の沈黙があった。


「……現代の価値で八十三億から百六十六億円だってよ」


「はっ!?」


 本田の声が、閲覧室に響いた。

 周囲の利用者が振り返った。


「おいおい龍馬さん! 八十三億!? 幕末のアイドルみたいな顔して、やってることは『事故物件の架空請求』じゃねえかよ! タイタニック号替え玉詐欺よりも遥かにエグい事をやってるぞ?」


「鈴菌さん、それが龍馬らしいじゃないですか! 彼はこの金で海援隊を維持し、薩長の間を取り持ち、日本の未来を買ったんです。つまり、この八十三億円の盛りがなければ、僕らが今いる日本はなかったかもしれないんですよ」


 アプリが、資料の日付を指差した。


「賠償金の支払いが終わったのは慶応三年十一月七日だ」


 全員が、その日付を見た。


「……十一月七日」


「そして暗殺は十一月十五日だ」


 四人が、しばらく黙った。


「金が動いた直後に……動いた」


   *


「アプリさんが考えた暗殺部隊による偽装工作が完璧に嵌まったんだよ!」


 本田が、資料を握りしめた。


「この暗殺までの時差ですよね!」


「そうだ」


 アプリが、静かに言った。


「龍馬さんとしては、八十三億円を十一月七日に手に入れた時点で日本から出ても良かった。おそらく花の手紙に従って、シンいろは丸を密かに隠していたはずだからな。とっとと出ていっても良かったわけだ」


「でも、出ていかなかった……私たちの手紙に従うために……」


 花が、呟いた。


「そう!」


 本田が、花を見た。


「龍馬さんは僕らの手紙の指示を全うするために、十一月十五日まで京都に留まったんだよ! 暗殺部隊が乗り込んだ時には、龍馬さんと中岡さんは八十三億円を持ってシンいろは丸で出港していた。残されていたのは山鯨の死体と、派手にぶちまけられた血糊だけ……!」


「つまり、アプリが考えた暗殺部隊による偽装工作が、そのまま歴史の教科書に刻まれた、ということだな」


 鈴菌が、腕を組んだ。


「これは……間違いなく、俺たちの作戦が完璧に上手くいったんだ」


 花の目に、涙が滲んだ。


 弁天島で水平線を見つめたあの夜から、ずっと心に刺さっていた棘が、今、抜けた気がした。


(……龍馬さん、ちゃんと海を渡れたんだ)


   *


 資料を捲っていくと、見覚えのある名前が出てきた。


「あの爪切りの男か……」


 アプリが、呟いた。


「はい! アプリさんが龍光寺に行ってて留守の時にわざわざ爪切りを返しに来てたんですよ。その真面目さが龍馬さんに気に入られて二人で飲みに行ってましたよ」


 田中光顕。

 明治十六年、龍馬の伝記小説を世に出した男。

 桂浜の龍馬像の建設に尽力した男。


「あの真面目すぎる青年が……龍馬さんを日本中に広めたのか」


 本田が、頁を閉じた。


「龍馬さんが現代で有名なのって、もしかして……」


「爪切りのおかげかもしれないな」


 アプリが、少しだけ笑った。


   *


 次の頁に、見覚えのある顔があった。


 大人になった顔だった。

 目つきが鋭かった。

 でも、確かにあの顔だった。


「あの時の農民は本物の岩崎弥太郎だったじゃねーかよ! 誰だよ同姓同名とか言った奴は!」


「すいません……僕です……ちゃんと三井三菱UFJって聞いたんですけどね……」


「幕末にそんな質問をするな」


 アプリと鈴菌と花が笑った。

 本田が、頭を抱えながら笑った。


 いろは丸事件の実務と計算をすべてこなした男。

 アイデアの天才と実業の天才が、最強のタッグを組んだ瞬間。


 あの岬で、ジェットストリームを受け取ったあの青年が、三菱を作った。


   *


「あの杉浦さんってめちゃくちゃ凄い人脈じゃないですか! 勝海舟とも繋がってますよ? 鈴菌さんはこんな人に蒸気機関ポンプの図面を渡したんですか!」


 鈴菌が、気まずそうに資料を素早く閉じた。


「まあ、過ぎたことだ……」


「でも、この武田斐三郎って人には役に立ったみたいですね。図面を渡した二年後にはあの五稜郭が完成してますからね!」


 本田が、弾んだ声で言った。


 アプリが、静かに目を閉じた。


(……俺たちが五稜郭の堀でボートを漕げたのは、あの図面のおかげだったんだな)


 四人は、自分たちが歴史干渉しているとは、これっぽっちも思っていなかった。


 ただ、資料の中のあちこちに、見覚えのある名前が、見覚えのある場所が、見覚えのある出来事が、静かに刻まれていた。


   *


 それから、花が一冊の資料を手に取った。


 才谷屋。

 坂本家。

 春猪。


 花の手が、頁を捲るたびに、少し震えていた。


   *


「春猪さん……本当に蝦夷地まで来ていたんだね……」


 本田が、静かに言った。


「あぁ、明治の女が蝦夷地まで来るなんて事は、原付で日本縦断するよりも凄い事だ……」


 アプリが、珍しく低い声で言った。


 四人が、才谷屋での春猪のことを思い出した。


 まだ二十歳だった。

 花の旅の話を聞くのが好きで、毎日のように笑っていた。

 本田が鹿児島から宗谷岬まで一人で走った事を教えると、前のめりになって聞いていた。


 函館の弥生町に家を構えた春猪の写真が、資料に載っていた。


 凜とした顔だった。

 龍馬の姪として、尊敬を集めていたと書いてあった。

 龍馬の遺品と手紙を、大切に保管していたと書いてあった。


 花が、顔を上げられなくなった。


「……花さん」


 本田が、声をかけた。


「ごめんね、ちょっと待って……」


 花が、目を押さえた。


 止まらなかった。


   *


 あの夜、才谷屋の縁側で春猪が言った言葉を、花は今でも覚えていた。


「私ねえ、いつか蝦夷地まで行ってみたいんよ。函館のリリーさんに会いに」


 花が「絶対に行ける」と言った。

 明治になれば、女でも自由に旅できると言った。


 春猪は、信じていなかったかもしれない。

 でも、笑っていた。


 その笑顔が、今も目に浮かんだ。


   *


 資料には、こう書いてあった。


 明治三十一年。

 春猪は夫と共に、函館へ渡った。


 坂本家の一族が、ついに北の大地に辿り着いた年だ。


 龍馬が夢見た、開かれた国の、開かれた大地へ。


   *


 花が、資料を胸に抱えた。


 笑っていた。


 泣きながら、笑っていた。


「……春猪ちゃん、ちゃんと行ったんだよ」


 本田が、目を赤くしながら頷いた。


「はい」


「本当に、ちゃんと行ったんだよ……!」


 鈴菌が、窓の外を見た。

 何も言わなかった。


 アプリが、静かに目を閉じた。


 図書館の閲覧室に、午後の光が差し込んでいた。


   *


 しばらくして、花が涙を拭いた。


「ねえ、みんな」


「なんだ」


「私たち、歴史干渉なんてしてなかったよね」


 アプリが、目を開けた。


「いや、鈴菌のせいでSUZUKIがおかしなメーカーになったぞ」


「それは俺にとってはデラ褒め言葉だせ!」


「龍馬さんの暗殺が偽装だったのも……」


「俺たちが手紙を書いたからじゃなくて、龍馬さんが自分で決めたことだろ」


 鈴菌が、腕を組んで言った。


「……うん。そうだね」


 花が、また笑った。


「龍馬さん、今頃ハワイで何してるんだろう」


「八十三億円持ってるからな。何でもできるだろ」


「タイタニック号の保険金詐欺を真似したんですかね……」


「やってるな確実に。しかもタイタニック号よりも賢く」


 四人が笑った。


   *


 それぞれの資料に、それぞれの名前が刻まれていた。


 田中光顕は、龍馬を日本中に広めた。

 岩崎弥太郎は、三菱を作った。

 武田斐三郎は、五稜郭を完成させた。

 杉浦助右衛門は、東海道の情報を動かし続けた。

 平七は、機織り機を作り直した。

 タツは、花嫁になった。

 春猪は、函館へ渡った。


 全部が、それぞれの場所で、それぞれの時代に、ちゃんと続いていた。


 四人は、そのどれも自分たちとは関係がないと思っていた。


 ただの旅の続きだと、思っていた。


   *


 図書館を出ると、空が高かった。


 十一月の風が、吹いていた。


 花が、空を見上げた。


「春猪ちゃんが函館で見た空って、どんな色だったんだろう」


 誰も、答えなかった。


 でも、みんなが空を見た。


 龍馬さんが見たハワイの空と。

 春猪ちゃんが見た函館の空と。

 今、四人が見ている名古屋の空と。


 全部、繋がっているような気がした。


 花の頬に、最後の一粒が流れた。


 それは、悲しい涙じゃなかった。


           









名古屋の空の下、図書館の静寂の中で私たちは「答え」を見つけました。  それは、歴史という教科書の数行にすぎない名前たちが、私たちにとっては確かに体温を持った、笑い、悩み、そして必死に生きた「友人」だったという証拠です。

龍馬さんが守り抜いた日本の未来。弥太郎さんが築いた大きな礎。そして何より、あの才谷屋の縁側で「蝦夷地に行ってみたい」とはにかんだ春猪ちゃんの、その願いが叶っていたこと。資料を抱きしめた時、私の心に刺さっていた棘が抜けたのは、彼女が私の言葉を信じて旅立ってくれたことが分かったからでした。


実は、この物語を書くにあたって、どうしても訪れたい場所がありました。北海道函館市にある「北海道坂本龍馬記念館」です。

そこには、龍馬さんの遺志を継いで北の大地を目指した坂本家の人々の歩みが刻まれています。展示されている資料の一つひとつを眺めていると、不思議と春猪ちゃんの声が聞こえてくるような気がしました。彼女が明治の世、荒波を越えて函館の地に降り立ち、あの凛とした瞳で何を見つめていたのか。その答えが、そこには静かに息づいていました。


私たちが名古屋の空を見上げたように、彼女もまた、函館の抜けるような青空を見上げていたはずです。その空の先には、きっと八十三億円を持って自由を謳歌している龍馬さんの「シンいろは丸」が浮かんでいたに違いありません。

もし皆さんも、いつか北の大地を訪れることがあれば、ぜひ足を運んでみてください。そこには、教科書には載りきらない「旅の続き」が、今も優しく私たちを待っています。

最後に、私の旅の話をいつも面白がってくれた春猪ちゃんへ。  「絶対に行ける」って言った私の言葉を、本当にしてくれてありがとう。




北海道坂本龍馬記念館

住所: 〒040-0053 北海道函館市末広町8-6

開館時間: 8:00〜17:00(年中無休)


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