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[時代]三鏡草紙よろづ奇聞  作者: 地底乃人M


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27/33

異形  ※男色表現あり


 結之丞(ゆいのじょう)は窓の曇りを指でこすって、坪庭(つぼにわ)に目を凝らした。


 その庭に(たず)ねる者あらば、奇妙な話に耳を(かたむ)けたあと、採種油と塩を用意するという、鹿島屋の(なら)わしがある。千幸(かずゆき)は、隠居した父親から、(ひそ)かに教わっていた。「いいか、安い魚油ではだめだ。かならず採種油だ。それも、三上山(みかみやま)にある油屋(あぶらや)()うたものにかぎる」──と。


 雨あがりの泥濘(ぬかるみ)に、小皿がふたつ置いてある。結之丞の位置から中身は見えないため、野良猫に食材のあまりものを恵んでいるのだろうかと思った。坪庭の植込(うえこ)みに、蝙蝠傘(こうもりがさ)がさしてある。いったいどんな意味があるのだろうと見つめていると、背後に人の気配を感じた。


「わ、若旦那さま」


「結之丞くん、そんなところでぼんやりして、どうしたんだい」  


「いいえ、なにも。申しわけありません」


 雑巾がけの途中だった結之丞は、廊下に両手をつくと、バタバタと逃げるように拭き掃除を再開した。窓ガラス越しに映った千幸の姿が、一瞬、まるで別人のように見えたのは、気のせいだと思うことにした。雨の日は、ふしぎな現象が錯覚が起きやすく、幻影(まぼろし)を見ることが多い。霧や虹、植物の息吹など、解明されていない謎は、世上に散りばめられている。


 

 正午(ひる)すぎに雨はやみ、雲は薄く、空は晴れわたり、水分を多く含んだ地面が太陽光を反射して、キラキラとまぶしいくらいだった。洗濯物を庭へ運びだす女中(じょちゅう)のひとりが、坪庭に放置された蝙蝠傘に気づき、番頭(ばんとう)(しら)せた。まもなくして、姿をあらわした慈浪(じろう)は、「あれ(、、)(さわ)るものではない」といって、首を(かし)げる女中にかまわず、店先に戻ってゆく。井戸水で雑巾を洗っていた結之丞は、傘の持ち主が誰か、思考をめぐらせた。鹿島屋では、昔ながらの番傘(ばんがさ)が愛用されている。黒い布張りの洋傘など、不自然で目立つ忘れものすぎる。つまり、見ればわかるひとに対する暗号的な意思表示ではないか。結之丞の予想は、まんざらでもなかった。


「おい」


 お(たな)の帳場に坐って書き物をしていた千幸に、坪庭から戻ってきた番頭が声をかける。


「はい、なんでしょう」


 番頭は顔をあげて応じる若旦那を見おろし、「雨士(あめし)だ」と、なにやら短く伝えた。洋墨(インク)のついたペンをもつ千幸の指が、小さくふるえた。招かれざる客がきたかのように、眉をひそめる。


「なんだよ、その顔は」

「え……」

「なにか不都合でもあるのか」

「いいえ、とくには」

「ならいいが、無理してまで客をもてなす(、、、、)必要はないぞ」

「……わかっています」

「なにを考えているのかしらんが、悩むくらいなら(こば)めよ。いくら体質的に受け身とはいえ、容易(たやす)ねじこまれて(、、、、、、)どうする」

「なんです、そのたとえ。ぼくの(からだ)にいちばん触れてきたあなたが、なにを勘ぐっているのですか」

「そうじゃない。見てきた感想だ。おまえは意外に強情(ごうじょう)なところもがあるが、そんな顔(、、、、)して()われても、説得力に欠けるんだよ。……いざとなれば、成すがままに(つう)じるはずだ」


 そんな相手は目の前の男にかぎられていたが、千幸は(うつろ)な顔つきで黙っていた。慈浪に要求されたとき、千幸は断る理由を探さなければならない。いっそ、人生そのものを力づくで奪われたほうが楽だった。



〘つづく〙

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