第55話:不器用同士
食卓に招かれたからと言って、アレットの扱いが劇的に変わるわけではなかった。寧ろ、地味な嫌がらせの数は増えた。それでも、表面化されるような大事にはならず、アレットはそれだけでも有難かった。
レクトは使用人の嫌がらせを黙認している。否、するしかないのだということが、食事を共にするようになって分かったことだった。彼には常に執事長が付きまとっていた。監視されているのだ。アレットがそれを知ったのは二度目に招かれた時だった。レクト手製の魔道具がカトラリーに紛れ込んでいたので、アレットはそれをこっそり懐へ入れた。その魔道具は、半径1㎞以内の音を拾う魔道具だった。嫌がらせを未然に防げるよう、屋敷内の声を拾えるようにという計らいだろう。
「彼は自分の立場で出来る最大限の行動で、お嬢様を守ってくださっているのですね」
「使用人たちは主人の意思を無視して、貴女をダシにして私を陥れようとしてるみたいだけどね」
毎食を共にしているわけではなく、朝食だけは別だった。運ばれて来る食事には毎回と言っていいほど細工がされていた。それも、メリルの分はやけに丁重なのに、アレットの分だけ異物が混入していたり、痛んだ食材が使用されていた。
「食事の質も量も、こうはっきり区別されるとは……あからさまですね。まぁ、私のものをお嬢様に分ければ問題ないので大した嫌がらせではありませんが」
暗に”使用人以下の存在”だと言いたいのだろう。それも、食事を運んで来る使用人は毎回”レクトが指示したこと”だとわざわざ口に出した。使用人の間ではレクトは婚約者のアレットよりも付き人のメリルに夢中だと下世話な噂になっている。
「仮に彼の行動も監視されてるなら、貴女との噂は否定してもいい筈だけどね」
ひょっとすると、それに関しては単なる噂じゃないのかもしれない。メリルも彼に好感を覚えているようだし、やはり以前彼が謝罪に来た時、なにかあったのだろうか。
「メリルはレクトのこと、好きなの?」
「……、……いえ」
彼女は平坦な声で否定した。長く垂らした前髪の所為で、いまいち表情が読めない。
「……エイワーズ卿に少し、共感する部分があって……」
「えっ、貴方がレクトに……?」
アレットは目の前の女性とレクトの共通点を必死に探そうとした。まだ付き合いが浅いのでメリルことは分からないが、わざわざ愛用の掃除用具を持参するぐらいだから、凝り性なのだろう。自分の世界を持っているという点では、レクトもそういうタイプだ。
けれど、謝罪に訪ねて来ただけでそんな性質を理解できるまで会話をするだろうか。単に見た目がレクトの好みで、メリルは彼からの干渉を断れる立場にない。それだけの話かもしれない。アレットは深く、息を吐いた。
「先が思いやられるなぁ……」
「お嬢様は、あのくだらない噂を信じておいでですか?」
「真実である可能性も少しは疑ってるよ。いざって時にも正しい対処ができるようにね。まぁでも、現段階では何も言える立場じゃないし、正式に婚約したとしてもレクトの決定に異を唱えることすら不可能だろうけど。女神の契約を交わさないなら不倫は問題視されないし、自分の醜聞に関してはレクトもある程度は気を付けるでしょ」
まるで自分には関係ないと言わんばかりのアレットの態度に、メリルは静かに眼を細めた。
「まるでご自身とは関係のないことのように仰るのですね」
アレットはハッと顔を上げた。最近も、似たような言葉を別の人物の口から聞いた覚えがあったからだ。どうやらまだ、貴族の一員になるという自覚も覚悟も足りていなかったようだ。父が送って来た使用人にも、どの程度心が許せるかは分からない。流石にアレットを害しはしないだろうが、父の思惑通りに画策することはあるかもしれない。
「私には……どうしたらいいのか分からないだけだよ。せめて感情的にならないよう、客観視してるつもりなんだけど」
「客観……楽観の間違いではないでしょうか?」
「殆ど同じだよ。その意味は違っても目的が一緒だからね。なるべくストレスを溜めないための癖みたいなものなんだ。令嬢として相応しくない言動で貴女を不快にさせたのなら、謝るよ」
メリルは気まずそうに視線を斜め下に逸らし、小さな声で言った。
「いえ……決してそんなことはありません。お嬢様に対して不躾な言動をしたこと、どうかお許しください」
「いいよ。長い付き合いになるかもしれないし、捻くれた言い回ししかできないのもいい加減、直さないとね。慣れてって言えるほど厚かましくもなれないから」
婚前式はもう明日に迫っていた。当日のことを考えると憂鬱だが、心を強く保たなければならない。そう決意を新たにした時だった。部屋の戸がノックもなしに開けられ、危うく呑み込みかけていたパンが喉に詰まるところだった。
「明日の婚前会で着ていただくドレスを持って参りました。この中から選んでご参加ください」
断りもなく入って来た使用人は必要なことだけ告げて、部屋を出て行ってしまった。呆然と扉を見つめていたアレットに代わり、すぐにメリルがトルソーに掛けられたドレスを確認する。
「見たところ、なにも仕込まれてないようです」
「あ、ありがとう。サイズは……?」
屋敷内の人間が採寸に来た記憶はない。使用人が持って来たドレスは四着ほどあったが、少し丈が長いようにも見える。メリルの眦が上がったのを見てアレットはもう何度目か分からない溜息を吐いた。
「どれもお嬢様には……大きいですね」
サイズが合わないだけじゃない。どれも豊満な肉体を魅せるためのデザインが施されていた。胸元が大きく開いた、淡い色合いの似たようなドレスが並んでいる。アレットの黒髪には深みのある色の方が映える。淡い色も着こなせるが、身長と体型の所為で、どうしても子供っぽく見えてしまう。
「サイズが合わないんじゃどうしようもないから、持参したもので参加するよ。こんな時のために、お姉様が用意してくれたのがあるから」
メリルは使い物にならないドレスを部屋の脇へ移動させると、黙って皿を片付け始めた。
◇
婚前式の当日、メリルは屋敷の使用人に呼ばれ部屋を出て行ってしまった。既にドレスに袖を通し、きちんと着飾ったあとだったので一先ずは問題なかった。式自体は午後からだが、早朝に起きて準備を始めていてよかった。なにかしらの邪魔が入ることは予想していたが、あと一時間準備が遅ければ、間に合わないところだった。
昨晩は不安と緊張のあまり眠れなかったが、寧ろよかったかもしれない。
「――、!?」
不意に響いたノックの音に、アレットはびくりと肩を震わせた。そうして、そんな自分を嗤った。ラウディの群れや危険な魔獣、吸血鬼とも対峙した。そんな自分が今更なにに怯えるというのだろうか。
屋敷の使用人なら許可せずとも入ってくる。しかし、規則的なノック音が再び室内に響いた。
「……どうぞ」
アレットが入室を許可すると、現れたのは今日のために着飾った最愛の姉であった。アシュリーはアレットを見ると、ドレスの裾を持ち上げて駆け寄った。姉妹で熱い抱擁を交わすと、アシュリーはすぐにアレットのドレスを確認した。
「準備はもう終わってる? 手伝うことがあればと思ってお母様と来たのよ」
見れば、姉に続いて母クロエも姿を現した。アレットはその姿を随分久しぶりに見る。顔の皺はしっかり年数を重ねているが、母は依然として美しい淑女であった。
「お、お母様……」
「お久しぶりですね、アレット」
母の顔をみると、何故だか緊張の糸が解れた。胸の奥から熱いものが込み上げてきて、声が震える。実の母を前にして、なにを喋ればいいのか分からない。
「見ない間に一段と麗しくなったわ」
耐え切れず、アレットの深緑色の瞳から涙が零れた。アシュリーは慌ててハンカチを取り出し、アレットの頬を優しく拭った。
「まぁ、泣いたらお化粧が崩れてしまうわよ」
娘の涙につられ、クロエの眼元も赤く染まっていた。しかし、再会を喜んでいる場合ではない。せっかくこうして二人が訪ねて来たのだ。今のうちに情報を聞き出しておかなければならない。
「お父様は?」
「一緒に来てるわ。客間でレクト様と今日の段取りについてお話してるはずよ。ねぇ、少し瘦せたんじゃない? きちんと食べて寝ているの?」
クロエよりも姉の方が母らしい。忙しい母に代わり、幼いアレットの面倒を見ていたのはアシュリーだったからだろう。先ほどからアシュリーの視線は部屋の角にあるサイズの合わないドレスを気にしているようだった。アレットは二人に笑顔を作ってみせた。
「大丈夫だよ。昨晩は緊張して少し寝付けなかっただけで……それより、賓客はもう来てる? 実はなんの報告も受けてなくて」
「エイワーズ家はもう揃っているわ。貴族派のバルテル公爵ももうすぐ到着するそうよ。あと参加が予定されているのは、バルテル家の腹心であるモンターニュ伯爵ね。新興派の参加はオブライエン公爵家だけね。マリユス殿下もご一緒に来られるそうよ」
「え?! ま、マリユス殿下も来るの?」
現王妃はオブライエン公爵の娘である。マリユスとは、王と王妃の間に生まれた子。つまり、第一王子である。王宮でも滅多にお目にかかれない、やんごとなきお方である。ちなみに、アレットとスキャンダルが噂されたのは側室の子である第二王子だ。第二王子は国王とモンターニュ家の長女の子である。ラヴィア王国は、オブライエン公爵とバルテル公爵が権力闘争をしているという構図である。
「お忙しい方だから、婚前式が終わったら王都に戻るそうよ。残念ながらその後のパーティには参加しないみたい」
「よかった……王宮内の噂について糾弾されても、何も答えられないからね」
第二王子との噂の所為で、新興派はアレットが貴族派の連中と手を組んでいると勘違いしているだろう。そんな中、突然レクトとの婚約が決まったのだ。貴族派はアレットを敵と見なすだろうし、新興派から信用を得ることは簡単じゃない。結局、どうあがいてもアレットは敵意を向けられる対象なのである。
「アレット。噂に踊らされるような人間は、王の器ではありません。滅多なことを口にし、本人の耳に入れば侮辱罪になりますよ」
母がアレットの発言を窘めた。しかし、彼女の発言の方が過激である。スキャンダルを信じている愚かな貴族たちに対する母の敵意を感じ、アレットはまた胸が熱くなった。
「そういえば、セドリックは?」
アレットの問いに、アシュリーは表情を硬くし、目を伏せた。
「彼は今、トルクアで父の代わりを務めているわ」
「そう……残念だね。彼にも会いたかったのに」
彼はあくまでドミニクとの契約で動いているということだろう。やはり母と姉を守れるのは自分しかない。
「もう分かると思うけど、今日の段取りもなにも聞かされてないの。レクトがこっそり持たせてくれた魔道具で、作業している使用人たちの声から場所ぐらいは把握してるんだけど……」
「私達と客間に移動しましょう。貴族派の連中が何を仕掛けてくるか分からないわ。部屋で籠っているより、家族で固まっていたほうが安全よ」
アレットは母と姉に連れられて鳥籠のような部屋を出た。父とレクトのいる客間へ向かう途中、使用人たちの不躾な視線に晒されたが、クロエやアシュリーの手前、なんのアクションも起こせないようだった。アシュリーは父の事業の半分を任せられているため、顔が広い。よっぽど愚かでなければ彼女に喧嘩を売っても利がないことを皆知っているのだ。一方、クロエは新興派であるレイストン辺境伯の親族にあたる。平民であるドミニクに買われた、と酷い中傷を受けてはいるが、元は貴族であった。
そうして何事もなく客間へ到着し、アレットは数年ぶりに父親と再会した。記憶にある姿より幾分か老けて、小さく見えた。
「お久しぶりですお父様」
父の背後にはレクトと、黒装束に身を包んだ長身の男がいた。傭兵団の団長、バージルである。
(……なんだ。ちゃんと来てたんだ)
考えてみれば、ドミニクが護衛を連れずに来るわけがない。アレットはその姿を見て、不覚にも少し安心した。ドミニクは娘と再会の挨拶を交わすことなく、家族へ本題を切り出した。
「私達は式が始まるまで別室で待機だそうだ。アレット、お前はここに残ってエイワーズ卿の準備を手伝いなさい」
着飾ったアレットの横を通り過ぎ、ドミニクは妻と娘の腰に腕を回した。その後ろを番犬のようにバージルが続く。アレットはぎゅっと唇を引き結ぶと、振り向かずに短い返事をした。
万年寝不足のようなレクトの瞳が、遠慮がちに泳ぐ。家族が退室したのを見計らったように、客間の奥から二人の人物が顔を出した。一人は鎧を身に纏ったレクトの弟、エディだった。そしてもう一人は――
「えっ、クリス?!」
クリスは白い礼服を身に纏い、大きな体躯を綺麗に折り曲げた。
「暫くぶりですアレット殿。ドミニク殿に同行を願われまして……式に参加させていただくことになりました。そのドレス、よくお似合いです。まるで花が咲いたようだ」
まずアレットの容姿を褒めるクリスに、思わず赤面してしまう。彼の出自を聞いたことはないが、クリスはアレットの知る誰よりも紳士的であり貴族らしかった。
「あ、ありがとう。クリスがいるってことは、この契約に神官を立てるってことだね。レクト、まさか本気で私と結婚するつもり?」
眉間に皺を寄せたレクトが答えるより早く、エディが口を開いた。
「貴女は兄上と婚約するためにここへ来られたのではないのですか?」
剣先のような鋭い視線を向けられ、アレットは思わず身を固くした。レクトは深い溜息を吐いて、アレットに敵意を向ける弟を窘めた。
「お前は仮にも王国騎士だろう。レディに対する礼儀を忘れたのか」
「い、いえ……その……ただの、確認のつもりでした」
レクトの口調はそれほど厳しくなかった。弟はバツが悪そうに視線を床に落として、ごにょごにょと口ごもった。どうやら兄弟仲は悪くないらしい。
「忠告しておくが、この娘はそれほど優しい性格じゃない。侮られて黙っているような性格でもない。あまり油断していると消し炭にされるぞ」
エディは目を丸くしてアレットを見下ろした。城の催し物で遠くから見たことはあっても、こうして顔を合わせるのは初めてだ。そう、お互い初対面の筈だ。それなのに、こうも不躾な視線を寄越されるとは思わなかった。
「初めまして、エディ・エイワーズ様。アレット・アダンと申します。お兄様には魔導アカデミーでお世話になりました。得意魔法は詠唱を必要としない人体発火です。ご興味がありましたらいつでも仰ってください」
お前を燃やしてやる。言外にそう告げてアレットはニッコリと微笑んだ。エディは女性ウケしそうな甘い顔を青くしながら、それでもなんとか笑顔を取り繕った。
「は、初めましてアレット嬢。先ほどのご無礼をお許しください」
彼はアレットに傅き、手の甲にキスを落とそうとした。しかし、アレットはそっと手を引いてそれを拒否した。
「気を悪くなさらないでください。先ほど部屋を掃除していて……雑巾を絞ったまま手を洗っていませんの」
レクトとはまったく似ていないエディの顔が、更に青褪めた。
「そのへんにしておけアダン。ここではしおらしくしておいた方が身のためだと忠告しただろ。それに、弟は反省している」
「いや、別に意地悪したわけじゃないよ。雑巾絞ったのは本当だからね。使用人が掃除にこないから、私とメリルで部屋を掃除してるの。だから、口は付けない方がいいと思うよ」
「……兄上、俺この女嫌いです」
レクトは広い額に青筋を浮かべて、何度目かの溜息を吐いた。そして、仕切り直すように咳払いをした。
「先ほどの質問だが……婚約を望んでいるのは私ではなく貴様の父だ。わざわざ神官を寄越してくるとは思わなかったが」
やはり、この婚前式に神官は呼ばれていなかったようだ。アレットは礼服を纏ったクリスを見た。
「さっきお父様に頼まれたって言ってたよね? みんなは無事なのね」
「彼らなら無事です」
この場に来たのはクリスだけのようだ。父と姉がジャンに会ったなら、もう話はついているのだろう。姉は婚約破棄の方向へ話を進めたかったようだが、父は後ろ盾をより盤石なものにするため、婚約に前向きなのだろう。アダン家の別荘にジャンとカルラが揃っているのなら、心配はなさそうだ。アダン家が自分達の利にならないと判断したなら、彼等はいつでも逃亡できる。
しかし、クリスだけでも来てくれて助かった。腕輪のことをレクトに話す、いい機会だ。
「レクト。ちょっと二人で話したいことがあるんだけど……」
アレットはエディに視線を向けた。しかし、エイワーズ家は取り付く島もなかった。
「ドミニク卿が連れて来た男と貴女、兄上を三人にするわけには参りません。疑うつもりはありませんが用心のためです。ご理解いただけますよう」
「エディに同意する。人払いをしなければできない話など、聞きたくない」
できればあまり人に聞かれたくなかったが、こうなれば仕方がない。アレットはレクトに腕輪の話を切り出した。
「分かった、じゃあ話すよ。レクトが探してた魔道具の件なんだけど……実は今、私の腕に嵌ってる」
途端、レクトの眼の色が変わった。
「……、……エディ、部屋の外に出ていろ」
「は? な、なりません兄上! 彼女がなにを企んでいるか――」
「頼む。この部屋に誰も近づかせないでくれ」
有無を言わさぬレクトの様子に、エディは渋々客間を出た。彼は戸を閉める前にアレットへ”見張っているぞ”とハンドサインを出した。対してアレットは、ウィンクをしながら空中で雑巾を絞ってみせた。
「弟君とは仲良くなれそうですな」
「まさか。冗談でしょう」
クリスのことだから、冗談かどうか怪しいところだ。彼の天然発言はともかく、今は腕輪の話だ。クリスにはアレットの話が真実だと証明してもらわなければならない。
「遺跡調査に関する私のレポートは読んだ?」
「すべて目を通している。魔道具は見つからなかったんじゃないのか? 出鱈目を言ってるなら、ただじゃ済まさんぞ」
「腕に嵌って外れなくなっちゃったから、見つからなかったって報告するしかなかったんだよ」
「――もしそれが本当なら、もう一対の腕輪は?」
アレットよりも、クリスの方が複雑そうな表情を浮かべていた。
「レクト殿、私が証人になりましょう。彼女は嘘を吐いておりません。神官である私の眼には、その腕輪がはっきり見えます」
「で、では本当に……?」
大きな隈をこさえたレクトの目が、アレットを捉えた。そして次の瞬間、彼の両手がアレットの華奢な肩を捕らえた。
「――相手は?! どこの誰だ? 身元は!?」
「ちょ、ちょっと落ち着いて! い、痛い……っ」
レクトはハッとして、アレットの肩から手を離した。その柔らかい肌に白い指のあとがくっきり浮き出ているのをみて、バツが悪そうに視線を逸らす。アレットはゆっくりと身を引いて、じりじりと後退した。
「……その反応。レクトはこの腕輪が”どういうもの”か、知ってるんだね?」
「当たり前だ。知らずに回収依頼を出すとでも? その腕輪はラヴィア人の負の遺産だ。貴族派の手へ渡る前に回収しろと公爵から依頼されていた」
「もしかして、貴族ならみんなこの腕輪のこと知ってるの?」
「いや。腕輪の存在を知る者は、ごく一部だ」
「……公爵はこれを何に使うつもり?」
警戒するアレットを前に、レクトは一度、深呼吸をした。
「回収した後は魔道具の専門家である私に一任されていた。無事に回収し保管ができれば、破壊する方法をゆっくり研究するつもりだった」
「まるで用意してたみたいな答えだね。実証実験が大好きだったのに、一度も使う気はなかったって言い切るの?」
「試してみるつもりだったと言えば満足なのか? それの危険性は身を持って知ったようだが……相手は冒険者か? よりにもよって行きずりの男に縛られるとはな。過去一番、最悪の気分だ。あの愚かな第二王子と君が不義の仲だとふざけた噂が立った時も、ここまでじゃなかった」
「なにそれ……婚約破棄する予定の偽物でも、面子が傷つくってこと? 第二王子との根も葉もない噂だって、貴方が流したんじゃないの」
「私がそんな無駄なことに時間を使うわけがないだろう。私のことではなく、貴様のことを言ってるんだ。貴族であるならば身の振り方に気を遣うのは当然のことだ。第二王子との噂で解雇されたのは確実に何者かの謀略だが、その腕輪の相手は違う。貴様が迂闊に男へ媚びて愛想を振りまいた結果だろ」
男性ばかりの宮廷で、女性であるアレットがどんなに肩身の狭い思いをしていたか、彼は知っている。なにか問題があるとすぐ性差で判断される。それは青春を魔導の研鑽に捧げたアレットにとって何より屈辱だった。レクトが言うように、彼女が男性に媚びて立場を得ることができたなら、とっくにそうしていただろう。しかし、アレットにはそんな器用なことは出来なかった。だからまんまと罠に掛けられ、排除された。
「……そんなこと、私にできるわけないでしょ。できたらとっくの昔にやってる。街で会った時も確かそんなこと言ってたよね? 全部分かった上でわざと”媚びた”なんて言葉を使うあたりレクトも相当性格ねじ曲がってるよね」
レクトが何かを言う前に、アレットは捲し立てるように言葉を紡いだ。
「男であるという優位性を持っているからこそ、私に対する劣等感があるのかもしれないけど……見当違いも甚だしい。貴方は私とは別の種類の天才だし、そう認めてる人は大勢いる。もちろん、私だってその一人だよ」
傍目からは至って冷静にみえただろう。しかし、アレットは静かに激怒していた。
「この婚約はアダン家に対するただの牽制なんだよね? 大方、私の醜聞でアダン家の評判を落として、絶好のタイミングで離婚するつもりなんだろうけど、そんなのお父様にとって大した痛手にはならない。騙されてるのは貴方達のほうだよ。合理性の塊みたいなレクトがこんな無意味な茶番に付き合うのって、貴方が私を毛嫌いしてるからだよね? 他に理由が思い浮かばないもの。でも、ごめんね。貴族たちの牽制がお父様の商売にとって大した影響を及ぼさないのと同じで、貴方の嫌がらせも私にとっては些細なことなの。残念だけどレクトが私を嫌うほど、私は貴方を嫌いじゃない。けれど好きでもない。本当に、心底どうでもいいの」
レクトの呼吸が僅かに乱れ、喉の奥からひゅっと音がした。
「だから、無駄話は聞きたくない。貴族がどうこうなんて話、馬の糞よりどうでもいいことだわ。相手が誰で、私がどんなに迂闊だったかなんて話も、今は重要じゃない。私が知りたいのは今夜の式で婚約を破棄するか否かと、もししなかった場合、この腕輪を嵌めた状態で神官同伴の契約魔法が結べるのかってこと」
全てを切り捨てるようなアレットの言葉は、当人ではないクリスも肝を冷やすほどの冷徹ぶりだった。レクトは深い海のような瞳を閉じて、長い息を吐いた。再び開いた両の眼には、諦めと決意の色が宿っていた。
「……貴様の言う通りだ。私としたことが、つまらぬことに時間を割きすぎていたな。ドミニク卿の気遣いが無駄になるところだった」
レクトは一呼吸置いて、結論から口にした。
「私は今夜の式で、この婚約の破棄を申し出るつもりだ」




