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天才魔導士とカナンの猟犬  作者: もにみぃ
魔導士アレットと亡国の姫君
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第54話:お嬢さんをください

「子は、親にとってどんな宝石にも代えがたい宝です。特に娘は神が私に与えた奇跡そのものだと言える」


 アダン家の別荘の客室の中でも、エントランス付近に位置する客間は特に広い。客間というよりはカナンの王城にあった会議室のような造りだった。ジャンはその客間で、亡国の王として商人と対峙していた。

 先刻まではアシュリーとその夫がいたが、彼の命で退室した。広い部屋の中、ジャンとドミニクは一対一で向かい合っていた。ティーカップの中からはお茶のいい香りが漂い、どうしても気が緩んでしまう。そればかりか、ジャンの目の前に座した男が、あのドミニクであるという事実が未だに信じられなかった。

 というのも、実際の彼は噂で聞くイメージとはかけ離れていたからだ。ドミニクは白髪交じりの黒髪を綺麗に撫でつけ、上質なスーツを身に纏っていた。いかにも商売人といった出で立ちとは裏腹に、アレットとよく似た色の瞳に人好きのする柔和な笑みを浮かべていた。


「たとえ恨まれ、人でなしだと罵られようが、あのたちの幸せのためならどんなことでもしてきました。だが、私とクロエ二人だけでは、出来ることにも限界があるのです」


 ジャンは注意深く、男の顔を伺った。嘘を吐いているようには見えない。しかし、本心はどうか分からない。アダン商会のドミニクと言えば、流石にジャンも噂ぐらいは聞いたことがあった。やり手と称されるだけあって、買った恨みの分だけ評判も良い。他人の口から聞く評価だけでは、いまいち判断できない人物であった。

 ドミニクが皆を退席させたのは、次期国王を名乗るジャンが”アレットを嫁にくれ”と申し出た時だった。やはりというべきか、ドミニクはずっと難色を示している。ジャンは最初、アダン家の繁栄と安寧を約束すると切り出した。しかし、返って来た言葉は意外なものだった。金で動いているかと思っていた男は、存外家族思いだったのである。

 彼の不器用な愛はとうの娘たちにはまったく伝わっていないが、ドミニクの優先事項は娘が世間でいう女性としての幸せを得られるかどうかである。娘からしてみれば横暴で強引なうえ、利益を優先させているように見えただろう。目利きであることは確かなようだが、手段を選ばない所為で本人がなにより大切だと豪語する娘たちからは嫌煙されているようだった。


「バージルの得た情報と私自身の判断で、エイワーズ家に嫁ぐことがアレットにとっての最善だと考えました」


「それはどうでしょう。彼女の幸せを願う貴方にとっては最善でしょうが……彼女は望んでいないのでは?」

 

 娘たちでさえ知らないドミニク・アダンの父親の顔を知ってしまったジャンだが、彼の役割はアレットの婚約を白紙に戻すことだ。それはジャン自身の極めて個人的な望みと、姉であるアシュリーの願いである。


「仰る通りだ。できるだけ地位の高い裕福な相手に嫁がせたいというのは、私のエゴです。女性の立場がここまで弱くなければ、望まぬ結婚を強いる必要はないのですが……ただ、こればかりは本人が望む、望まないという話ではありません。半ば脅されるように爵位を賜わりましたが、あの連中は私への牽制のために執拗に娘を狙ってきました。先ほども言いましたが、私とクロエでは彼女たちを守るのにも限界があります」


 ドミニクは一呼吸置くと、アレットと同じ色の瞳で真っ直ぐジャンを見据えた。


「アレットの婚約は私達のできうる範囲で考え抜いた末のことです。もちろん、アーデルハイト卿の申し出はとても魅力的です。しかし、無礼を承知で正直に申し上げますと――」


「たとえ次期国王である公爵家との婚約と言えども、再建の目処が立たぬうちはリスクが大きいということですね。仰りたいことは分かります。ですが、どうしても国の再建に彼女の力を借りたいのです。是非妃として我が国に迎え入れたい。先ほどドミニク卿もおっしゃったように、彼女にはどんな宝石にも代えがたい価値がある。もう少しだけ時間を頂きたいのです」


「あの子の価値を分かっているのは、なにも貴方様だけではありません。貴族という連中の殆どが、あの子の努力を踏みにじることしか頭にない。しかし、レクト・エイワーズは違います」


「そうか……卿はもともと貴族じゃないんだったな。貴族の敷いた階級制度に与しながら、その有り方を嫌悪している。そんな卿が選んだ相手だ。おそらくその選定に間違いはない。だが、そのエイワーズ卿もラヴィアの貴族であることに変わりない。だから婚前式で相手の様子を伺うつもりなんだろ?」


 沈黙を返したドミニクに、ジャンは思い切って賭けに出た。


「俺はお嬢さんを王室に迎えたいと言ったが、そのまま玉座に縛り付ける気はないんだ」


「……それは、用が済んだら手放すということでしょうか?」


「まさか。手放すつもりはない。だが、彼女にはその座から退いてもらう。そしてもちろん、俺も国王の座を降りる」


「……、一体どういう――」


「かの暴王の圧政に苦しんだ民は、アーデルハイト卿を王座へとのし上げた。カナンが強国として成長したのは、民の声を聴き入れたからだ。叔父上は貴族制度そのものを排除しようと準備を進めていた。バルトロメウス派の連中がここまでするとは予想外だったが……俺は叔父上の意思を継ぐつもりです」


「アーデルハイト卿を指示していた領主たちは殆ど亡くなっていると聞いております。国の滅亡に加担しているかもしれない、疑わしい連中しか残っていないというのに、誰の支持でそんな無茶なことをしようというのです?」


「オブライエン公爵とその支持者たちだな。エイワーズ侯爵家もそうなんだろ? あとは移民の中に紛れてる連中だ。俺もこの五年間、ただ腐ってたわけじゃない。移民のいる都市を巡って、出来る限りの面倒を見てた。トルクアにいる連中はドミニク卿のおかげで仕事に困ってなかったようだから、王都を優先したが――ああ、そうだ」


 ジャンは深々とドミニクに頭を下げた。


「改めて、卿に感謝いたします。カナンからの難民を受け入れるよう、トルクアの領主を説得してくださったと聞き及んでおります。その上で難民にまで仕事を斡旋するなど、貴方でなければできなかったでしょう。諸事情により、謝礼が遅れたことをお詫びします」


 トルクアの領主はアダン商会に借金があるという噂を聞いたことがある。実質、経済的な政策権はドミニクが握っていると言っても過言ではない。国の顔である港町を裏で牛耳っているのはアダン商会だった。貴族たちはマフィアなどと侮蔑していたが、あの懐の深いカール・オブライエンにまで警戒されているところをみるに、単なる嫉妬や言い掛かりではないのだろう。事実、傭兵団との繋がりもある。

 しかし、それとこれとは別問題だ。王都での難民や移民の扱いは酷いものだったが、トルクアでは皆、まともな仕事にありつけていた。事情が事情なのでアレットには黙っていたが、ジャンにとってドミニク男爵はもし会うことがあれば一番に感謝を伝えたい相手であった。


「住み分けできる環境さえあれば、人手不足を補える貴重な労働力です。輸出品の生産性が向上したので、寧ろ私の方が感謝したいぐらいですよ。それに、一切問題が起きていないわけでもありません。仕事を奪われたと現地民から苦情があがっているのです。育った環境の影響か、カナンの民は我慢強く腕っぷしがいい。アレットが貴方様に惹かれた理由も同じなのでしょうな」


「お嬢さんに惹かれたのは俺です」


 間髪入れずそう返したジャンに、ドミニクは面食らった。あと一押しだと感じたジャンは、体裁を保つのをやめた。


「俺達が生きていることは、遅かれ早かれカールのおっさんの耳に入る。アーデルハイトの血を引く俺達におっさんの支持が加われば、カナンの再建は現実になる。問題はそうなった時だ。アレットはエイワーズ侯爵家の嫡男と俺、どっちと一緒に居た方が安全だ? 未だなにも成せていない立場で、説得力がねーってのも充分、承知している。だから、アンタにとってこれは賭けだ」


 ジャンは強気にたたみ掛けた。

 

「お嬢さんを俺にください! そう約束してくれるなら、アダン家の無事は保障します。ラヴィアで商売がやり辛くなるなら、家族でカナンに来てくれ。我が国はアダン商会を歓迎する」


 残念ながら、今のジャンの立場ではこれが限界だった。ドミニクは静かに視線を落とし、大きく息を吐いた。


「確かに、王になるのは止めた方がいいな。君には向いてなさそうだ」


 ドミニクの砕けた物言いに、ジャンは背筋を伸ばした。彼の表情がドミニク・アダン男爵から、アレットの父親へと変貌したからである。


「自分が一番よく分かってんだ。それでも、民主制を確立する間は階級制度を執ることになる。しばらくはアレットにも苦労をかけちまうと思う。それでも――」


「気が早いな。まだ娘をやるとは言っていない。私は君のことをよく知らないからな。判断材料は多いに越したことはない。もう少し考えさせてくれ。どうするかは婚前式で決めるとするよ。君たちにはアダン家として婚前式へ参加してもらうが……くれぐれも騒ぎを起こさないように」


 話はそこで打ち切られた。ドミニクはベルで使用人を呼び出すと、婚前式の準備に取り掛かると宣言した。ジャンは使用人に囲まれ別室へと連れられ、彼との一対一での接触はそれきりになってしまったのだった。


 ◇


 ドミニクが誂えた衣服の採寸が終わると、ジャンはクリスのいる客室を訪れた。ノックをしながら返事を待たずに戸を開ければ、クリスはミレーヌの絹のような髪を櫛で梳いている最中だった。


「……時間を改めた方がいいか?」


「いえ、お構いなく。アレット殿の父君とは話ができたのですか?」


「それが……微妙なところだ。だがまぁ、前夜会への参加は許可された。聞いてねーか?」


 鏡台の前に大人しく座っていたミレーヌが、静かに口を開いた。


「聞いているもなにも……神官様の部屋にはドミニク卿が訪ねて来ましたわ。娘の婚前式には間違いなく神官が配置されていないだろうから、是非参加して欲しいと」


「姐さんも姿を見せたのか?」


「いいえ、ずっと棺に隠れていましたわ。移動先にはわたくしも連れて行っていただきますが、婚前式には参加できませんので」


 ミレーヌと鏡越しに目が合ったジャンは、咄嗟に視線を逸らした。もし彼女が着飾って参加しようものなら、会場にいるどんな令嬢よりも目立ってしまうに違いない。花嫁が霞むだなんて生易しいものでは済まない。間違いなく、ミレーヌを巡って戦争が起きる。


「アレットの晴れ着姿がこの眼で見られないことは残念でなりませんが……これが最後でないことを願いますわ」


「まぁ、嫌な言い方ですこと! そう思いませんこと、バロン嬢」


 ジャンは彼女の嫌味を不自然な裏声で茶化し、クリスを巻き込んだ。


「ドラゴン退治や王国の再建についてはジャン殿の個人的な事情だとしても、問題は”誓いの腕輪”です。あれが両者を縛っている状態で別の人間と契約など交わせば、腕輪がどんな反応をするか分かりません」


 クリスは陰鬱な表情で眉間の皺を更に深くすると、低く呻いた。ジョークをスルーされたジャンは赤面しつつ、咳払いをした。珍しくノリの悪いクリスへ一瞬だけ恨みがましい視線を向けると、言葉を返した。


「それがなきゃ、わざわざ婚前式へ乗り込んでまでアレットの婚約を白紙に戻そうなんて、考えなかったかもしれねぇ。だから、今はこの腕輪に感謝してんだ。幸せになろうとしてる女を、横から奪い去る口実にできるんだからな」


「まぁ、随分と捻くれた言い回しですこと……ねぇ、バロン嬢?」


「まったくですわ。素直に他人に取られたくないと言えばよろしいのに!」


 元々低いクリスの声のトーンが、わざとらしく高くなる。ジョークだと分かっていても、想像以上に不気味だった。

 

「てめークリスこのやろう……」


 誰より尊敬する気の合う友が、女に取られた。そんな子供じみた嫉妬心がつい口から零れてしまった。だが、クリスの”バロン嬢”はしばらく思い出して笑えるぐらい、いい演じっぷりであった。


「冗談はさておき。ジャン殿が後ろめたく感じる必要はないと思いますぞ。なにが幸せかはアレット殿が決めることです。ドミニク卿がどういうつもりで私を同行させようとしているかは分かりませんが……彼女が望まぬ契約を無理に交わすようなことは決していたしませんので、ご安心ください」


「おう、信用してるぜクリス。……ただ、気になるのはアシュリー婦人だ。あれから三度ほど訪ねたが、対話をやんわり断られてる。姫さんが余計なことをしてくれたせいで、かなり警戒されちまったようだ」


「あら、準備で忙しいだけかもしれませんわよ。姉妹仲はとても良好に見えるので、単純に騎士様とアレットの仲を認めたくない――という可能性もございますが」


 なるほど、それかもしれない。と、ジャンは大きな溜息を吐いた。

 

「……どっちみち、姫さんさえいれば妙な手回しはしなくて済んだんだがな」


 勢いに任せて「お嬢さんを下さい」などと口走ってしまったが、冷静に考えれば、かなりマズい。カナンの王になるのはカルラである。国の基盤が整うまで、暫くは国務を行う議員の席につかなければならないが、一生そんな窮屈な立場でいるつもりはない。早めに王政が廃止されれば、カルラだって自由の身になる。冒険者という職業は、ジャンの性分にかなり嵌っていた。国政さえ整えば、旅にでも出ようと思っていたのだ。

 そう、妃に迎えるなどまるっきりの嘘であった。生涯のパートナーになって欲しいなんて身勝手なことすら、とてもジャンの口からは言えない。人生、何があるか分からない。実際、勉強ばかりだったアレットは、誰かに恋心を抱くのも初めてだろう。人の心というものは、移ろうものである。最初はいやいや嫁いでも、長い間苦楽を共にすれば婚約相手を好きになる可能性だってあるのだ。ジャンには娘の幸せを願うドミニクの行動が間違いだとは思えない。

 ジャンは婚約破棄を望んではいるが、選ぶのはアレットである。約束していたドラゴン退治も、国の再建のために協力して欲しいと言えば彼女は立場上、断れない。だからこそ、自身のアレットへの感情を優先する気はなかった。


「これは言わなくても分かってると思うが……もしアレットが侯爵家との婚約を望んだ場合、邪魔立ては無用だ。そうなったら、この腕輪を外すことに専念しようと思う」


「万が一にもないとは思いますが、分かりました」


 クリスへ言葉を返したのはミレーヌだった。


「そうとも言い切れませんわ。エイワーズ卿はアレットと旧知の仲……共に研鑽を積んだご学友だったと聞いています。貴族との婚約以外に道はないと思い込んでしまえば、良縁だと判断してもおかしくはありませんわ」


「……その可能性も考えてる。もしそうなったら慰めてくれよ」


「現段階では、お断りいたしますわ。貴方がきちんと伝えるべきことを口にして、それでも彼女に拒絶されたのなら考えて差し上げてもよろしくてよ」


 ミレーヌの返答は冷たく、それでいて母のような慈愛に満ちていた。


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