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天才魔導士とカナンの猟犬  作者: もにみぃ
魔導士アレットと亡国の姫君
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第53話:客室のメリル・クイン

 ジャン一行はトルクア領に入った途端、顔に竜の刺繍がある集団に囲まれた。彼は自身の手へと戻った二振りの愛剣を握りしめ、早速その使い心地を試そうとした。しかし、その集団の中から場違いな淑女が姿を現したので、すぐに剣を下ろす羽目になった。


「ジャン・ブラック様ですね? お初にお目にかかります。私はアレットの姉、アシュリー・アダンと申します」


 恭しく頭を下げた淑女に、ジャンもクリスも戸惑いつつ警戒心を露わにした。何故アレットの姉を名乗る人物が、レギオン傭兵団を率いているのだろうか。


「アレットの姉ちゃんが、なんでアイツを攫った連中と一緒にいるんだ? もうちょいマシな嘘吐けよ」


「皆様に事情を説明するため、こうしてお迎えに上がりましたの。馬車を用意してありますわ。私もご一緒いたしますので、もしご不安でしたら私を人質にとっても構いません」


 圧倒的に情報が足りないジャン達は、彼女の誘いに乗るしかなかった。アレットの姉を名乗る淑女と共に馬車へ乗り込んだジャン一行は、彼女の口から語られた言葉で、ことの経緯を知った。


「じゃあ、傭兵団ってのは初めからアダン商会とグルだったのか?」


「今や傭兵団はアダン家の唯一の後ろ盾といっても過言ではありません。アダン家は貴族たちの牽制に辟易しているのです。此度の公爵家同士の争いに関しても上手く立ち回らなければ簡単に潰されてしまう立場にあります」


「なるほど。それで先んじてカルラ殿の身柄を預かり、彼女の協力を得ようとしたわけですな」


「ご理解が早くて助かります。しかし、それはあくまで私の独断でカルラ様に申し出たことなのです。アレットはお父様の思惑通り、侯爵家の嫡男の下へ嫁ぐことになりました」


『一足、遅かったですわね……』


 ジャンの頭の中に、ミレーヌの重たい溜息が響いた。トルクア領に入る前、彼女に言われた言葉が脳内に反響し、ジャンの思考が後悔の念に染まりかけた時だった。


「エイワーズ家の別邸で婚約式の前夜会が開かれます。そのために明日、お父様が拠点にしている港町から別荘の方へ来られる予定です。皆様には、前夜会の前に彼と会っていただきたいのです」


 まだ婚約は成立していない。その事実に安堵すると、ジャンは静かに息を吐いた。


「俺は難しい話が苦手なんだ。頼むからもっと簡潔に言ってくれ。アレットの親父さんに会って何をすればいいんだ?」


 アシュリーは深刻な表情を浮かべたまま、ジャン達への要求を簡潔に纏めた。


「貴方様にはカルラ様へ協力を促していただきたいのです。また、アレットの婚約を取り消すよう、カルラ様と二人でお父様を説得していただけませんか? どういう事情かあの日以来、カルラ様は客室から出て来なくなってしまわれて……困り果てた結果、こうしてお迎えに上がったのです」


 彼女の口振りから、ジャンとカルラの関係は既に割れているのだろう。アシュリーの視線がチラチラとクリスが抱えた大きな棺に注がれている。クリスは直接バージルに姿を見られていないので、彼に関する情報は聞いていなかったのだろう。


「あの気が強くて落ち着きのない姫さんが籠城決め込んでるって? その話自体、信じられねーが……俺に説得を頼むってことは、俺の正体もとっくに割れてるってことだな?」


「はい。それは偶然、バージルが貴方様を知っていたから得た情報でしたが――」


 アシュリーは遠慮がちにクリスへと視線を向けた。


「彼から聞いていた、超人的な身こなしの絶世の美女とは、貴方のことでしょうか?」


 ジャンは堪らず噴き出した。


「彼にはそう見えていたのでしょうな……」


 ミレーヌのことを不用意に公表しては不味いと判断したのか、あろうことかクリスはクソ真面目な顔でアシュリーの勘違いに乗っかった。そのため、ジャンは笑いを堪えなければならず、酸欠で苦しんだ。


「殿方のジョークは難しいのですね。そう見えるほど、神官様の御業が素晴らしかったということかしら?」


 アシュリーは細い首を傾げた。容姿はまったく似ていないが、その隙のある表情がアレットと重なり、ジャンは少しだけ彼女に対する警戒を解いた。


『まぁ。聡明なご婦人を揶揄うなんて、お二人ともきっと後で痛い目を見ますわよ』


 しかし、そのミレーヌの忠告は、ジャンはおろかクリスの耳にも届いていなかった。


 ◇

 

 アダン家の別荘に到着したジャンは、早速カルラが引きこもっているという客室を訪れた。


「姫様、俺です。ジークベルトです。事情はすべてアシュリー婦人から伺いました。ここを開けてください」


 戸を叩いても、返って来たのは沈黙だった。寝ているのかと思い、扉に耳を当てる。すると、中から衣擦れの音と戸惑ったような足音が聞こえた。寝ているわけではなさそうだ。

 再度、強めに戸を叩いた。


「なに企んでんのか知りませんが、姫様らしくないですよ。とりあえず出て来て話ぐらいしたらどうです?」


 扉越しの気配がせわしなく揺れた。どうも様子がおかしいのは確かなようだ。だが、置かれた状況を考えれば引きこもっている暇などないはずである。意外にも四六時中見張りを付けられるようなこともなかった。こうしてジャンと合流したのであれば、情報の共有と今後の方針を話し合うこともできる。

 この状況で唯一の味方であるジャンの訪問すら拒絶すること自体、妙だった。


「あと数秒以内に出て来なければ、扉を蹴破ります。もちろん、弁償代は姫様につけますからね」


 ジャンの態度は不敬にもほどがあった。体裁を保っているのは、もはや口調だけである。扉越しに息を呑む音が聞こえる。ジャンは無慈悲に秒読みを始めた。しかし、カウントが終わっても扉が開く気配はない。いくらジャンといえども、最低限の常識を持ち合わせている。流石にもてなされた別荘で客室の扉を破壊すまでには至らなかったが、鍵穴はその手によってあっけなく粉砕された。

 部屋の中を視認するより先に聞き慣れない悲鳴が耳に届き、ジャンは珍しく動揺した。悲鳴を聞きつけた使用人やクリス達がすぐに駆け付け、口々に何事かとジャンを問い詰めた。しかし、ジャンも戸惑いを隠せない様子でその場に立ち尽くしていた。


「……あんた、誰だ?」


 客室の中にはカルラの姿はなかった。代わりに、カルラと同じぐらいの背丈の、くすんだ赤毛の少女が部屋の隅で頭を抱えて縮こまっていた。


 ◇


 騒ぎを聞きつけたアシュリーと夫のセドリックは、客室にいた少女の身元の確認を終えると関係者をホールに隣接している客間へ招いた。


「先ずはお詫びを申し上げます。私達の管理不足のせいでカルラ様の安全を確保することができませんでした」


 深々と頭を下げたアシュリーを、ジャンは慌ててフォローした。


「いやいや、あんたらの管理不足じゃねーって。状況的に考えても、姫さん自ら逃げ出したんだろ。その結果、危険に晒されたとしてもあんたらに責任はねぇよ」


「そうも言っていられないよ。彼女の立場はただでさえも危ういんだ。また命を狙われたりしたら、傭兵団に手回しを頼んでまで先んじて保護した意味がなくなってしまう」


 人の好さそうなアシュリーの旦那が、肩を落として嘆いた。ジャンは部屋の隅で縮こまっている赤毛の少女に目を向けた。


「でも、ただ脱走したってわけじゃなく、アレットと一緒に居る可能性が高いんだろ?」


「それは、この女の話を信じるならばの話です」


 アシュリーの鋭い視線が少女に突き刺さり、彼女は可哀想なぐらい肩を跳ね上げ短い悲鳴を上げた。みるみるうちに両の目に涙の膜が張り、震えだした。


「し、しんじてくださいぃ。私は旦那様の命でお嬢様に同行するよう頼まれただけですぅう! スパイじゃありませぇえん」


 そばかすの浮いた頬にボロボロと大粒の涙が溢れる。しかし、そんな憐れな姿にもアシュリーは一切同情の色を見せなかった。


「その役割を全うできていない時点で、怪しまれるのは当然です」


「うぐっ……、でも、わ、わたし脅されてっ……黙って客間に閉じこもってないと王族への不敬罪でお前とお前の家族を抹殺してやるって言われてぇ」


「一国の姫君がそんな野盗のような脅迫をする筈がありません。吐くならもう少しマシな嘘になさい」


「いや。それ多分、嘘じゃねーよ……」


 ジャンはうんざりした表情を浮かべながら、優しい口調で少女に問いかけた。


「アンタ、名前は?」


「め、メリルですぅ。メリル・クイン……旦那様の御屋敷ではまだ三年目、です」

 

「メリルちゃん、姫さんに奪われたのは服と荷物一式だけか? 金銭や金目のものはちゃんと手元に残ってるか?」


 ジャンの質問に、その場にいた全員が目を丸くする。そんなまさかと思いつつ、皆の視線は恐る恐るメリルを捉えた。


「うぅ……、さすがにお金は取られませんでした。でも、お嬢様を御守りするよう旦那様に持たされた”棍”は持っていかれてしまってぇ」


「おー、よしよし。泣くな泣くな。可愛い眼元が台無しだぜ」


 自然な仕草でメリルに近づいたジャンは、涙で濡れた頬を優しく指で拭った。そして、幼子を落ち着かせるように細い背中を擦る。途端、そばかすの浮いた顔が、火をつけたように赤く染まった。


「メリルちゃんは被害者だぜ。なにせうちの姫さんはお転婆通り越して暴れ馬だからな。アレットと一緒に居るってんなら、まぁ大丈夫だろ」


「ジークベルト様はとてもお優しい方なのですね」


 アシュリーはジャンに綺麗な笑みを向けた。淑女の微笑みに、ジャンは視線を泳がせ、たじろいだ。


『言われずとも承知していると存じますが……まったく、褒められていませんわよ。寧ろ、姉君の貴方への評価はたった今、地に落ちましたわ』


「……、……」


 ミレーヌの忠告が脳に直接響いてくる。ジャンは周囲を見渡した。クリスはぬいぐるみを持っていない筈なのに、何を媒介にしてこちらを伺っているのだろうか。ジャンはそっとメリルの傍から身を引いた。

 

「問題は、彼女の不在でお父様の説得に支障がでることです。王家の血を引くカルラ様の口から我々の後ろ盾になると制約を交わしていただかなければ、アレットの立場はとても危ういものになります。もし彼女が直接オブライエン公爵との接触を図るようなことがあれば、用済みのアレットがどんな目に合うか分かりません」


「姫様は粗暴だが、ああみえて頭の出来は悪くない。受けた恩義は返せと叩き込んである」


「一度彼女と会話をすれば、聡明な御方であることは分かります。ですが、アレットの身に何かあれば父は貴方たちと敵対する立場になるかもしれません。それはこの私も例外ではないと申し上げておきます」


 客室でメリルが発見されたときから、アシュリーの態度が堅くなったのは気のせいじゃなかったらしい。カルラの行動次第では敵対関係になると、彼女は言い切った。傭兵団を抱えたアダン家を敵に回すということは、傭兵団に秘密を握られた貴族たちもまた敵に回るということだ。否、ジャンにとってはどうということはない。彼を拘束できる人間など、そういないからだ。オブライエン公爵がカルラの身を保護し、王国の再建を後押ししてくれるならば、それ以上の成功はない。

 だが、両派閥から疎まれているアダン家の娘はどうなるだろうか。まだ世間にはカルラの所在は知れていない。どこかの劇作家とお転婆姫の軽率な行動のせいで、生きているという噂だけが出回っている状況である。両派閥の貴族たちは顔の広いアダン家なら、カルラについて既に何らかの情報を掴んでいると睨んでいたのかもしれない。ドミニクが新興派の貴族を娘の嫁ぎ先に選んだのは、カナン滅亡に関与していないことを示す意図と、市場をカナンの領地まで広げる企みがあってのことだろう。


「貴方が王になるというなら、話は違ってきますが……直接その血を引いているのはカルラ様ですので、彼女の言質がないとその権利を主張するのは厳しいでしょう。いずれにせよ、父との建設的な会話は望めませんわね」


「……それは、どうだろうな」


 ジャンはどこか他人事のような口調で呟いた。


「さっきチラっと言ってたが、父親さんとアンタの目的は違うんだよな? 親父さんはアレットが恙なく地位を得られるのなら新興派の貴族との婚約には反対ってほどでもねーんだろ? 一方、アンタは妹を政争から遠ざけるために貴族との婚約自体を反故にしたい」


 王国の再建への全面協力とオブライエン公爵への取り次ぎを約束し、アダン家をカナン王国の庇護下に置いて欲しいと頼んだらしい。元手のない自分達にはメリットしかない申し出である。ジャンはカルラがその申し出を渋り、挙句の果てに好待遇で迎え入れてくれたアシュリーに唾を吐く様なやり方で別荘を抜け出した真意がまったく分からなかった。


「寧ろ、姫さんがいないからこそ親父さんを説得するチャンスなんじゃねーか? すまないが、育ての親ながらアイツが何考えてんのかさっぱり分からねぇ。なにしろずっと反抗期みてぇなもんだからな。アンタの言う通り、もしおっさ……オブライエン公爵と直接話をつけに行ったなら、アレットは体のいい人質になっちまう訳だろ? アダン家にとって百害あって一利なしだ。そうなる可能性があるって脅すだけでも、婚約を撤回するんじゃねーか」


 アシュリーは大きく息を吸い込んで、少しずつ毒を体外に放出するように、静かに吐き出した。


「カルラ様が不在だと知れれば、父はすぐに次の手を打つでしょう。彼はなにも考えなしに新興派へ娘を送り込んだわけではありません。取引相手も決して愚かではないからです。アレットには十分に利用価値がある。だからこそ、注意深く新興派の出方を伺うでしょう……ですが、あの子の処遇によって対応を決めるのでは遅いのです」


 彼女の諦めたような空虚な瞳が、ジャンを捉えた。


「……あの子だけは、私のようにしてはいけないのよ」

 

 アシュリーにどんな事情や思惑があるかは分からない。だが、最愛の妹の身を心配する彼女の表情は、不気味なほど凪いでいた。感情を押し殺すことに慣れているのだろう。感情豊かなアレットと比べると、確かに似ていない姉妹であった。

 ジャンはカール・オブライエンと面識があった。否、”面識”なんて他人行儀な言葉では誤魔化せないほど親密な関係であった。カナンはラヴィアから独立してできた国だ。もともとアーデルハイト家とオブライエン家は親戚関係にあたる。両国間の関係が良かったのは、亡き王アブラハムとカールが兄弟の盃を躱すほど仲が良かったからである。カールはカルラを実の娘のように溺愛していたし、ジャンの父とも付き合いのあった彼は、その息子ジークベルトを高く評価していた。

 カールは義理堅い性格だが、その心身にはしっかり青い血が流れている。カルラやジャンには救いの手を差し伸べるだろうが、目障りな商家に対してはどうだろうか。


「姫さんがオブライエン卿と接触を図るつもりなら、婚前式の時点で婚約破棄になるんじゃないか? 不倫騒動に告ぐ醜聞が広まれば、高位の貴族との婚約は望めなくなる……アレットにはその方が好都合だし、姫さんはそれを狙った可能性もあるだろ」


「最悪なのは、その上で婚約が成立した場合です。新興派の貴族がアレットの利用価値に気付いていないとは考えにくい。そうなる前に手を打ちたかったのですが……」


 ジャンは一度、大きく深呼吸して腹を括った。

 

「分かった。カルラの思惑が分からん以上、下手に動けないが……アレットのためなら仕方ねぇ。姫様がいなくても俺が親父さんを説得してみせるぜ」


「……どうやって?」

 

 アシュリーは訝し気に眉を顰め、ジャンを見た。その視線に彼は悪戯っぽい笑みを返した。


「俺が次期国王だと嘘を吐くのさ」


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