第52話:招かれざる客
最初に馬車が止まったのは、トルクアとサリアの境にある町だった。エイワーズ家は比較的王国に近いサリア領の西北部にある。町中にそびえる豪邸はエイワーズ家の別邸であった。
「うちの倍はある……」
「当然だ。貴様の家と一緒にするな」
アレットは綺麗に敷き詰められたレンガの道に降り立ち、茫然と見事な庭園を眺めた。聞けば、どうやら婚約式なる夜会をここで催すらしい。しかし、正式な婚約はサリアで行うようだ。
「なんでそんな面倒くさいこと……どうせ形だけなんだからさっさと終わらせようよ」
「その形がなによりも大切だ。お前も貴族の端くれなら分かるだろう」
アレットは何度目か分からない溜息を吐いて、豪奢な邸宅を見上げた。婚約を済ませるまで、ここで過ごすことになるのだ。なんにせよ、落ち着ける空間じゃないことは確かである。
メリルを後ろに控えさせ、レクトと並んで邸宅の門を潜った。玄関口の前にはズラリと並んだ使用人がレクトへ恭しく頭を下げた。しかし、その使用人たちもアレットに対しては礼を欠いてもいいと考えているのか、彼女をじろじろと眺めまわした。身分差を考えれば当然のことではあるが、こうもあからさまだといっそ笑えてくる。
「婚約を済ませるまでは客だ。そのようにもてなせ」
「承知いたしました」
形だけの礼をしつつ、使用人はアレットとメリルの抱えた荷物を持つこともせず、客室へ向かい始めた。案内の一言もなかったが、ついて来いという意図を汲み、アレットは使用人の後に続いた。邸宅の見事な内装に圧倒されていると、使用人が苛立ち交じりの視線をアレットへ向けた。
「……こちらです」
「あ、はい。どうも」
メリルと二人、客室へ押し込まれ、やや乱暴に戸が閉められた。アレットはすぐに設備を確認したが、バス・トイレ完備で収納スペースも申し分ない。生活するのに困らないだけの設備はちゃんと用意されていることに一先ず安心した。
テーブルの上には水差しと果物が置かれている。万が一、三日三晩放置されたとしても飢えることはなさそうだ。アレットはメリルと協力して荷解きを終わらせると天蓋付きの大きなベッドに身を投げ出した。
「少し休むけど、貴女はどうする?」
メリルはキョロキョロと辺りを見回した。
「使用人専用の部屋はないのでしょうか?」
「なんの案内もなかったから、用意されてない可能性が高いかな。でも貴女にとっては私と同じ部屋の方がマシかも。女性二人でも十分な広さだし、もし休むなら端に寄るよ」
アレットは小さな身体をごろんと転がし、ベッドに一人分のスペースを確保してみせた。アレットの無邪気な仕草に、氷のように硬かったメリルの表情が少しだけ緩んだ。
「では少し……お言葉に甘えて」
「あまり気を遣わなくていいよ。肩書だけは貴族だけど、うちは立場的にも市民とそう変わらないから。私も気を抜ける時は抜きたいし」
メリルはベッドの脇に腰を下ろし、初めてアレットへ笑顔を向けた。
「お嬢様は少々、気を抜きすぎなのでは……?」
「経験上、貴族相手には気にしないぐらいが丁度いいって分かってるからね」
遠慮がちに横になると、メリルは仰向けの姿勢で瞼を閉じた。これから暫くは同じ環境で過ごす相手だ。アレットは、できることならもう少し打ち解けたいと考えていた。
「そうだメリル。あとで散歩に行かない? 邸宅の庭、いろんな種類の花が咲いてたでしょ」
「……、はい。同行いたします」
「あ、いや……嫌なら部屋でゆっくりしててもいいんだけど」
花は好きじゃなかっただろうか。アレットがもう少し貴族らしい娘なら、お近づきの印に華やかな装飾品を選んでいただろう。しかし、そういった類のものは最低限に厳選してしまったし、手持ちの宝石や魔鉱石は磨かれていない原石である。
アレットは同い年くらいの女性が喜びそうな物を、まったく持っていなかった。彼女が好きそうなものはないかと、考えを巡らせる。そうしてふと、箪笥の脇に立てかけてある棒状のものが目に入った。
「そういえば、別荘を出るときからずっと気になってたんだけど……あの布が巻かれた棒はなに?」
「愛用の掃除道具です」
「掃除が好きなの?」
「仕事の中では一番好きですね。無心になれますから」
「そっか……」
アレットは会話ベタであった。メリルは家事の中では特に掃除が好きらしいが、仲を深めるには役立たない情報だった。結局、会話はそれきりだった。二人は少し仮眠を取り、起きてからはアレットの提案通り、庭へ出ることにした。
しかし、部屋を出て早々に屋敷の使用人に捕まってしまった。
「勝手に出歩かれては困ります。邸宅内はいま、夜会の準備中です」
「ええ、聞いてるわ。少し外の空気を吸いに庭園へ出たいだけよ」
「なりません。夜会までは当てられた部屋でお過ごしください」
アレットはアシュリーの言葉を思い出していた。彼女は”貴女の役目は新興派の内情を探ること”だと言っていた。身分の差に加え、あのドミニクの末娘というだけで、周囲に警戒されている可能性はある。
アレットに人質としての価値が薄いとなれば、頃合いをみて婚約を破棄するつもりなのだろう。せめてレクトと会話ができれば確認もできたが、彼は移動中ずっと馬車の外にいた。それに彼の立場上、正直に口を割るとも思えない。
「夜会はいつなの?」
「三日後です」
「……三日も部屋に閉じこもっていたら、さすがに不健康だわ」
使用人の神経質そうな眉がピクリと動いた。
「必要なものはこちらで準備させていただきますので、どうか部屋にお戻りください」
「……わかったわ」
結局、庭に出ることは叶わなかった。しかし、夜が更けてもアレット達の部屋には使用人の一人も訪れることはなかった。アレットはベッドの上に身を投げながら、大きな溜息を吐いた。
「まさかの晩御飯抜きとは……徹底してるね」
「お嬢様、備え付けの果実を剥きました。本日はこれで凌ぎましょう」
メリルの手から切り分けられた果実を受け取ると、アレットはベッドから降りた。この分だと、屋敷の使用人はこの部屋の清掃にすら訪れないだろう。彼女は果実を頬張りながら、バスに水を張り、そのなかに魔鉱石を落とした。
「これでお湯になるはずだから、湯浴みが済んだら洗濯は二人でやりましょう」
「お嬢様……食べながら歩き回るのは、流石にはしたないです」
「どうせ掃除も自分達でする羽目になるだろうし、いいでしょ。それより、窓から庭に降りられないかな? 夜会は明後日の夜だろうから、今のうちにこの屋敷のセキュリティを検証しておきたいな」
メリルが複雑な表情を浮かべたので、アレットは慌てて彼女をフォローした。
「貴女を巻き込むつもりはないから安心して! やるなら明るいうちにやるし、今日はもう湯浴みをしたら休むから」
アレットは言葉通り、エイワーズ家の別邸での初日を大人しく終えることにした。メリルが湯浴みを嫌がったので、アレットは自分の下履きの洗濯を終えると、そそくさと横たわった。彼女がコンプレックスを他人に見られたくないのだろうと気遣ってそうしたが、どうやら正解だったようだ。蝋燭の光だけが揺れる部屋の中、心地のいい水の音を聞きながら、アレットは眠りについたのだった。
◇
結局、朝になっても使用人は訪れなかった。朝食どころか、清掃に入る気配もない。アレットにとっては好都合だった。彼女は気配を消す魔法を自身に施し、堂々と部屋から出て、邸宅の散策をした。
アリバイ工作のため、メリルには留守番を頼むしかなかったが、彼女は特に不満があるようには見えなかった。相変わらず変化の乏しい表情で「くれぐれもお気をつけて」とアレットを送り出したのだった。
腹の虫が鳴る音を必死に堪え、廊下を突き進んで厨房の横を通り過ぎようとした時だった。
「流石に二日連続はどうかしら?」
「若旦那様には問題ないと報告してるし、大丈夫よ。現に若旦那様だってあの幼児みたいな女の部屋を訪れる様子もないし……」
厨房で働く使用人たちの密談が聞こえてきた。内容に関しては聞き耳を立てるまでもなかった。ここに居ても大した情報は得られないだろう。アレットは早々にその場を立ち去ろうとした。その時だった。
「こんなところで何をしている?」
声のした方を見れば、深緑のローブを身に纏い、目の下に隈をこさえたレクトが立っていた。
「げぇーっ、レクト!?」
気配遮断の魔法で一般人の眼は誤魔化せても、やはり彼の眼は誤魔化せないらしい。
「微力な魔力を探知したからなにかと思えば、コソ泥のような真似を……たとえ成り上がりだとしても、淑女として最低限の矜持はあると思っていたが」
「人を軟禁しておいてよく言うよ」
「酷い言い掛かりだな。せめて婚約が済むまではと、客人として丁重に扱っているというのに不満を口にするとはな。やはり貴様は自身の立場というものを分かっていないようだ」
密談の内容からしても、彼は使用人たちの悪質な嫌がらせとは無関係なようだった。加えて、微力でも魔力を探知すればレクトに警戒されてしまうことが分かった。即ち、この邸宅には魔法を扱える者がアレットとレクト以外にはいないということだ。
「立場なら分かってるよ。その上で、ちょっと確認したいことがあるから、一度二人きりで話せない?」
「いいや。貴様は何も分かっていない。邸宅の中では言葉遣いに気を付けろと言ったはずだ。それに、私は忙しい。緊急でないなら夜会が終わってからにしろ」
「……言葉遣いの話? 少なくとも貴方はもっと合理的な人だと思ってたけど、体裁を気にする連中と同類みたいね」
今更殊勝に頭を下げてレクトに媚びようとは思えなかった。アカデミーでも、彼が余計な体裁を気にしない人間だったから、気兼ねなく競い合うことができた。それだけは変わらないと思っていたが、どうやら違ったようだ。アレットは溜息と同時に踵を返すと、レクトとは反対方向に歩き始めた。
「待て。どこへ行く?」
「部屋に戻るよ。大人しくしてればいいんでしょ」
そうして部屋に戻ると、アレットは懲りずにシーツを結んで窓から庭園へ降りた。魔法は使わずに身を屈め、今度は庭園の偵察を始めたのであった。
◇
アレットが庭を偵察している頃、レクトはすぐに彼女の部屋を訪れた。アレットが去ったあと、彼も使用人たちの密談を耳にしてしまったからだ。彼はアレットの要求を無下にしたことを後悔した。軟禁を企てた使用人への処罰は後回しに、慌てて用意させた食事を手ずから持って来たのである。
扉をノックし、話があると伝えれば、返って来たのは使用人の声だった。
『お嬢様は体調が優れないようです。どうか時間を改めてください』
まさかこんなに早く恐れていた事態に陥ろうとは、レクトは自身の詰めの甘さを呪った。極力干渉しない方がいいだろうと気を回したのが、失敗だった。彼は扉越しに、真摯に言葉を重ねた。
「その……、食事を持って来た。君の今の状況を正しく把握した。対応が遅れてすまない。この件に関する嫌味ならいくらでも聞いてやるから、ここを開けてくれ」
長い沈黙のあと、扉越しに返って来た声はまたしても使用人の声だった。
『……お嬢様は”この一連の流れが貴方の策略でない証拠を見せろ”と申しております』
なるほど、いかにも彼女らしい返答であった。わざわざ使用人を介しているということは、会話もしたくないという彼女なりの意思表示だろう。ただでさえも低い好感度が、ガタ落ちしているに違いない。レクトに対する全体的な評価も急降下中だろう。
近衛たちには大見栄を切ったが、いざアレットが自身の家の敷居を跨いだら、婚約を破棄するという決意は大きく揺らいでしまった。彼女にだけは誤解されたくない。好いた人間に好かれたいと思うのは、ごく自然なことであったが、レクトはそんな己を恥じた。
「明確な証拠は提示できない。だが、今日から毎日君を食事へ誘うことにした。それなら少なくとも食事の配給がされないなんてことはなくなる。なにより、私の監視の目も届く」
『それがレクト様にできる、最低限の譲歩ですか?』
使用人の言葉に、レクトはハッと顔を上げた。彼女が受けた嫌がらせは、食事の配給に関することだけだろうか。これからも、ずっとこんなことが続くのか。もちろん、”全ての火の粉を払うことはできない”それを承知で連れて来た筈だった。しかし、誰より尊敬する女性が程度の低い連中に虐げられる現実を、これからずっと突き付けられなければならないのか。そして、それによって実際に傷つくのはレクトではなく、アレットである。
こればかりは、自身の覚悟が足りなかったと認めざるを得ない。レクトは覚悟を決めて、口を開いた。
「……最初に君の婚約者候補にあがったのは、私の弟だった。用が済んだらアダン家の評判を徹底的に地へ落とす形で、婚約は破棄される手筈だった。私が名乗り出たのは、なるべく醜聞が立たないようにするためだ。私が相手なら、そのまま”結婚”という選択肢も提示できる。尤も、君は死んでも嫌だと言うだろうが」
『……そのまま結婚して貴方になんのメリットがあるの? と、申しておられます』
レクトは深呼吸して、なるべく気を落ち着かせると、腹を括った。こんな形で伝えていいものかと躊躇する。だが、おそらく相手にとっては迷惑でしかない己の気持ちを、どこでどう吐露しようが変わらないだろう。夢を絶たれた挙句、味方のいない状態で惨めな思いをする彼女の無念に比べれば、格好の付かない告白など、然したる恥ではない。
「……、私は……君が好きだ。だから少なくとも、私にとってはメリットがある。……苦労はさせてしまうだろうが、生涯君の味方でいると胸を張って誓える」
不意に扉が開かれ、レクトは緊張で身を固くし、息を止めた。しかし、そこに現れたのはアレットではなかった。琥珀色の瞳を爛々と輝かせた、燃えるような赤毛の使用人が一人、レクトを真っ直ぐに見つめていたのだった。
◇
「それにしても、毎回一緒に食事をとるなんて、アイツの立場は大丈夫なのかな」
アレットは机に置かれた高価な皿へ手を付けながら、メリルと向かい合って座っていた。窓から部屋に戻った時には既に、キッチンワゴンの上に贅沢な食事が並んでいた。聞けば、事情を知ったレクトが、気を回してくれたらしい。
「主人の取り決めに文句をつければ、それこそ処罰の対象ですから……」
それはそうかと納得しつつ、アレットは晩餐での装いに気を揉んでいた。できることなら食事ぐらいは気楽に取りたいが、いくらなんでも毎日レクトに運ばせることはできない。
「レクトと食事なんて、アカデミー以来だな」
というより、アカデミーの学生同士でなければ、侯爵家の嫡男と食卓を共にする機会など一度も訪れなかっただろう。
「お二人は仲が良かったのですか?」
「まさか。しょっちゅう喧嘩ばっかりしてたよ」
アレットは皿の端に手を添え、食事に手を付けようとしないメリルに、どうぞと促した。彼女は遠慮がちに食事を口に運びつつ、質問を重ねた。
「でも、食事はご一緒されてたんですね」
「同じグループだったからね。仲間外れにされてた私を最初に誘ってくれたのがレクトだったんだよ」
「お優しい方なのですね」
「私も最初はそう思ったんだけど……単に合理主義者なんだと思う。”貴様のせいで講義がいつまで経っても進まない”って文句言ってたし」
途端、メリルが激しく咳き込んだ。アレットは慌てて立ち上がり、彼女の背中を擦った。食べ物が喉に詰まったのかと思えば、笑っているようだった。彼女が初めて見せた笑顔に、アレットは驚いた。分厚い瓶底眼鏡から覗く瞳が、とても魅力的だったからだ。
「すみません……あまりにも本人にそっくりだったので……」
「アカデミー時代の後遺症だね」
アレットは少し照れくさくなった。確かにわざと口調を真似たが、そんなに似ていただろうか。レクトとはつくづく腐れ縁だが、決して仲が良いとは言い難い関係だった。
しかし、アレットは口で言うほど彼に悪印象を抱いているわけではない。売り言葉に買い言葉で嫌味の応酬はしているが、そんな無礼が許されるのも、相手がレクトだからであることをきちんと理解していた。
「レクトのこと、気になるの?」
そう問えば、メリルは萎縮したように肩を縮めた。
「け、決してそのようなことは……ただ、先ほど訪ねて来られたレクト様があまりに健気で可愛らしかったもので」
「健気で可愛い?! レクトが?」
確かに造形は悪くないが、同世代にしては老け顔である。侯爵家の嫡男という立場だからか、アカデミーにいた頃も他の学生より早熟であったように思う。それにしても、訪ねて来たレクトは一体どこまで殊勝な態度だったのだろう。偵察になど行かなければ、一生笑えるネタができていたのに、非情に残念だ。
「アカデミーでも人気はあったけど、大半はアイツの爵位に興味があるって連中だった。レクトは時間の無駄が大嫌いだから、つまらない媚びを売る連中をバッサリ切り捨ててたけどね」
「それなのに、お嬢様とはよくお話をされていたのですね」
「あっちの方から喧嘩売ってくるからね。試験の結果でいちいち悔しがられたりマウント取られたり……そのせいでレクトを狙ってる女の子から嫌がらせ受けて大変だったよ」
もしもあの頃に戻れる魔法があっても、絶対に戻りたくない。アカデミーでの生活は悪くない経験だったが、一生に一度で十分だ。というのも、同性代の学生たちと比べて、アレットの青春は大半が勉強漬けだったからだ。
他の学生たちと違って、アレットの場合は魔導が自身の今後を左右する鍵であった。首席だったのは、それだけ必死だったからだ。
「それより、貴女も同伴するのよね? 食事が終わったらお互いに服を選ばなくちゃ……手伝ってくれる?」
メリルはなにか言いた気だったが、黙って頷いた。配給されていないのは、なにもアレットの分だけではない。レクトとの食事に同伴させなければ、メリルだけ食事抜きになってしまう。レクトが運んできた食事はしっかり二人分あったので、彼もそのつもりだろう。
だがここは、もう規則に守られた学園の中ではない。息の詰まるような屋敷の中で、アレットはただ、悪友の置かれた立場を心配していた。




