4話 メイプルハウス
玄関ホールのまん中で、私はお祖父様の葬儀から帰って来た時と変わらず喪服姿のままで。伯爵夫人の部屋から私の荷物が、次々と運び出されて行くのを黙って眺めた。
(あの詐欺師は私が自分の部屋で、喪服を着替えることさえ許さなかった。救いがたいほど狭量だわ)
たぶんこれは私への嫌がらせなのだ。
(貴族の男性は幼い頃から立派な紳士になるべく。両親や家庭教師から厳しい教育を受けて成長すると聞いたわ。だから女性にこんな仕打ちは絶対にしない)
あの男は紳士ではないと断言できる。心が卑しい人間なのだ。
数時間前はピエールが愛人のシャルロットを、愛し気に見つめる姿に嫉妬を感じ胸が痛んだけれど。
――でも、お祖父様を亡くした悲しみに浸る時間さえ、ピエールは私から奪った。許しがたい暴挙だ。
ここまで卑劣な仕打ちを受けては、さすがに愛憎由来の苦痛は少しも湧かない。自分が間違った相手を選んだことへの後悔と、ピエールへの嫌悪感が大きくなるだけ。
「奥様……いったい、どうすれば良いのでしょうか?」
背後から私に声をかけたのは、結婚前から私の侍女をしているニコルだ。
振り向くと二コルは心配そうに、自分の荷物を詰めたカバンを持って途方に暮れている。
「大丈夫よ二コル。あなたはお祖父様の屋敷……ガーメロウ邸へ行きなさい」
「でも……ここに奥様を残して行けません!」
二コルは私の巻き添えで、夫ピエールに侍女を解雇された。そして今日中にバーンウッド伯爵邸を去るよう命令されている。
私はフッと身体の力を抜いて、二コルが安心するように微笑んで見せた。
「二コル、私は大丈夫だから。あなたは祖父様の屋敷ガーメロウ邸へ行き、私の迎えの馬車をこっそり出すよう伝えて欲しいの」
(私はピエールに外出を禁止されてしまったから。……たぶん、伯爵邸の使用人たちは私の指示に誰も従ってくれないと思うから)
「いくら何でもピエールの命令通りに、メイプルハウスで暮らす訳には行かないでしょ? こんなに冷遇をされてまで、私はこのバーンウッド伯爵邸に留まりたくないし」
(このままピエールの思い通りに飼い殺しにされ。お祖父様から相続する財産を、ピエールに渡す訳には行かない!)
私はヒソヒソと小さな声で、二コルの耳元で囁いた。
「ああ、そう言うことなら……分かりました」
「お願いね、二コル」
「はい、お任せください」
その場で私にお辞儀をすると、二コルは急いで伯爵邸から去って行く。
二コルを見送ったあと、私はハァ――……と大きなため息を吐く。伯爵夫人の部屋から自分の持ち物が運び込まれて行く離れ。メイプルハウスまでトボトボと歩いた。
『奥様……いったい、どうすれば良いのでしょうか?』
――と二コルにたずねられたけど。本当は私自身もどうすれば良いのか……今は分からない。
(上手くここから逃げ出しても、すぐにピエールが私を連れ戻しに来ると思う。……それでも伯爵家にはいられないわ)
「裏切り者が愛人と暮らす家なんて……汚らわしい!」
私の荷物を運び終え、使用人たちが屋敷へ戻って行く。伯爵家に嫁いで来て初めて私は、離れの小屋に足を踏み入れた。
「ああ……嫌だ! なんてカビ臭いの?」
長い間、閉め切っていた場所特有の埃とカビの匂いに襲われ、顔をしかめてドレスの袖で口と鼻を覆った。
小さな部屋が一つしかない小屋に、私の荷物が天井までぎっしりと高く積み上げられ。粗末なベッドの上以外は、身動きが取れないほど狭く窮屈だ。
「……絶対に許さないから、地獄に落ちれば良いのよピエール!」
ピエールに毒づく間だけ、少しだけ元気になったけど。すぐにドッと疲れを感じて、仕方なく何年分かの埃が積もった不潔なベッドに、ギシッ……と音をたてて腰をおろす。
ベッド脇の小さな窓から、風雨で汚れて曇ったガラス越しにぼんやりと夕日に染まった赤い空が見えた。
「ああ……お祖父様に会いたい」
(お祖父様は亡くなり。ピエールには裏切られ、捨てられた私は……この世で一人ぼっちになってしまったわ)
恐ろしいほどの孤独に襲われ、瞳から涙がこぼれそうになるが。
「こんなに惨めな気持ちで泣いたら、心が折れてしまうわ。ダメよ!」
私は指先でサッと涙を拭った。
「今は明日のことを考えないと。このままではピエールの思い通りにされてしまう……」
(お祖父様が残してくれた遺産を、絶対に裏切り物のピエールになんか渡さない! 私に出来ることは何かしら?)
涙と一緒にポロポロと心が砕け散ってもおかしくないほど、傷ついていたけど。夫から受けた強烈な屈辱が、皮肉にも私の心に力を与えていた。




