25話 交渉
ピエールが夫の権利を主張して、書類上の妻の私にバーンウッド伯爵家に戻って来いと命令した。当然、私はそんな命令は受け入れられない。
――戻れば良くて監禁。悪ければ殺されるからだ。どちらにしても伯爵家で待っている私の未来は地獄だ。そんなところに誰が戻るものか。
裏切り者にお祖父様の遺産を奪われるぐらいなら。今まで家族同然だったクロヴィスに、私を含めたすべての物を贈った方がずっと良い。
「アデル。我儘をいうのはやめて、バーンウッド伯爵家に戻って来なさい」
「ピエール……」
(お祖父様の遺産と、私が嫁いだ時に持参金がわりに持って行った投資信託の名義をすべて、クロヴィスに変えたから。伯爵家の収入が無くなり、ピエールが慌てているのは聞かなくても分かるわ)
「君は僕の妻なのだから、僕の言うことを聞くんだ! 今すぐバーンウッド伯爵家に戻るんだ!」
シェンストーン侯爵が目の前にいることも忘れてしまったのか、ピエールはイライラと怒鳴った。
「ピエール、私が伯爵家に戻っても。あなたの手にお金はコインの一枚も戻らないわよ?」
(伯爵家に戻ったら私はきっと名義の変更をピエールに強要される。……でも、そう簡単にピエールの思いどおりには行かないわ!)
「そんなことはない! 僕は夫だから、妻の財産は僕のモノでもあるんだよ」
「でも、私……あなたの浮気が許せなくて、全部クロヴィスにあげちゃったの。だから私のモノだった財産は、クロヴィスの許可がないと変更できないのよ。知らないの?」
私はピエールに見せつけるように、隣に座るクロヴィスにググッと身体を寄せた。
ピエールはそれを見て、怒りで顔を赤くする。
「なっ…⁉ このっ!」
「バーンウッド伯爵、オレはもちろん変更する気は無いからな」
クロヴィスは私の手をギュッと握り。ピエールを冷ややかに見つめた。
「だって、ピエール。クロヴィスはお祖父様の最期を看取ってくれたし……私にとってクロヴィスは浮気した夫のあなたよりも、ずっと信頼できる人だから。お金のことをお任せすることにしたの」
「そんなこと、許されると思っているのか⁉」
ピエールはその場で立ち上がり、私の頭の上から大声で怒鳴った。
それまで黙って見ていた侯爵が、見かねて口を開く。
「不作法だぞ、バーンウッド伯爵。いますぐこの屋敷から君を追い出しても良いのだぞ?」
「くっ……!」
侯爵にジロリと睨まれ、渋々ピエールは腰をおろす。
「アデル……面倒だから、さっさと本題に入ろう」
これ以上、ピエールを興奮させて話を中断させないほうが良いと。クロヴィスはさりげなく首を横に振り、私に注意を促す。
「……そうね」
(私ったら……つい、感情的になってしまった。クロヴィスに止められなければ、挑発し続けて話が出来なくなっていたわ。いけない、怒りを抑えないと)
お祖父様に交渉ごとをする時は、けして自分の感情を見せてはいけないと、教えられていたのに。その教えを怒りのあまり忘れていた。
私はクロヴィスに小さく頷き返し。フゥ――……とため息をつくと、ピエールに向き直る。
「ピエール、あなたに遺産の一部を譲るから、離婚していただけないかしら?」
「何っ? 一部だって⁉ 冗談じゃないぞ! 全部僕のモノだ!」
隠していた強欲な本性をピエールは曝け出す。
私は執務室へ入る時に持って来た帳簿を開き、ピエールが見えるようにローテーブルにおく。
「これはダイアモンド鉱山の採掘量と、利益に関する去年の帳簿です」
「……ダイヤモンド鉱山だって?」
急にピエールの目の色が変わり、開いた帳簿のページをジッと見つめた。
「ええ……お祖父様から頂いたけれど。離婚してくれるなら、この鉱山をあなたに譲っても良いわ」
(良かった! ピエールはダイアモンド鉱山に興味を持ったみたいだわ)
「……」
ピエールは黙って帳簿をパラパラと捲り、記入された数字を目で追う。
「嫌ならあなたは、何も手に入れられないし。それにシャルロットと一生、結婚できないわよ?」
(私と結婚しているかぎり、シャルロットは愛人のままだわ)
「……」
ピエールは視線をチラリと帳簿から私へと移す。
クロヴィスはいっきにピエールを追いつめ始めた。
「侯爵家はこのままアデルを保護し続けるつもりだ。ケンカを売るなら買っても良いぞ? ……まぁ、その前にお前が妻を殺そうとしたことが公になれば、バーンウッド伯爵家は醜聞まみれで没落が確定するだろうけど」
「なっ…?!」
(顔を強張らせてピエールは、クロヴィスを見た)
「アデルを殺そうとした襲撃犯の一人が、自分たちを雇ったのはストナル子爵だと証言したそうだ。……たしか、あんたの大切な『愛する妻』とやらが、ストナル子爵家の令嬢だったよな?」
銃で受けた珍しい傷を持つ患者がいないか、襲撃事件の捜査をする王都騎士団は、王都じゅうの医者に片っ端から確認をとると。貧民街の診療所で逃げ出した襲撃犯が見つかった。
私が襲われた状況と経緯をクロヴィスから聞いた王都騎士団は、ストナル子爵を秘密裏に捕縛し。現在はバーンウッド伯爵(共犯者)の名前を聞きだそうと尋問中である。
「そ……それが何だ? 僕には関係ない話だ」
「だが、妻のアデルが死んで一番、得をするのは夫のアンタだろう? このままだと誰もが愛人シャルロットの兄と夫の伯爵が共謀して、妻を殺そうとしたと思うだろうな。……違うか?」
「証拠があるのか? そんなモノは無いはずだ!」
ピエールが反論すると……侯爵が口を挟んだ。
「社交界に証拠は不要だ。噂の元があるだけで、私なら名門貴族を醜聞で没落させられるぞ」
「そ……そんな……」
ピエールの顔から血の気が引いた。
「ピエール……あなたはシャルロットを伯爵夫人の部屋に、迎え入れるべきではなかったのよ」
(私はお祖父様を亡くしたばかりで喪中だから、華やかな社交活動は出来ないけれど。代りに侯爵夫人が夜会やお茶会に出席して、噂好きなおしゃべり貴婦人たちに、ピエールと愛人シャルロットの噂を流している)
「……っ」
悔しそうにピエールは私を睨んだ。
「フンッ」
(あなたに睨まれても怖くないわよ! 私にはクロヴィスと侯爵夫妻がいるから)
「今のうちにアデルと離婚して、夫の権利を放棄すれば。妹想いの兄のストナル子爵が、シャルロットのために独断でやったと言い逃れできるだろうな?」
クロヴィスはピエールを唆すように、補足を加えた。
「ダイヤモンド鉱山とシャルロットを手に入れるか。……それとも、すべて失うか。……ねぇ、ピエール? こんな簡単なことは考えなくても分かるでしょう?」
(さぁ、魅力的なエサにさっさと喰いついて、ピエール!)
「クソッ!」
前もって私が弁護士のジャコブ卿に作らせておいた、ダイアモンド鉱山の譲渡契約書と離婚申請の書類に、ピエールは屈辱で手を震わせながら署名した。




