第五話 卵焼き
昼休みのチャイムが鳴ると、教室が一気に賑やかになった。わたしは教科書を机の中にしまい、鞄からお弁当を取り出す。
「ユイちゃん、一緒に食べよ!」
桜がこちらにやってきた。
「うん、いいよ」
お弁当を持って桜の席へ向かおうとすると、湊が椅子をくるりと回した。
「月岡さん、さっきは本当にありがとね。おかげで先生に怒られずに済んだよ」
「どういたしまして。次からはちゃんと授業聞こうね?」
「はーい」
湊が気の抜けた返事をする。この人、本当に反省しているのだろうか。
わたしが呆れていると、隣から声がした。
「ユイちゃん、勉強得意なの?」
顔を上げると、優星がこちらを見ていた。
「え? 普通だけど……」
「でも、さっきすぐ答え分かってたじゃん」
「たまたまだよ!」
わたしは即答した。ここで勉強が得意という設定を付け加えられたら、今後のテストで活躍するイベントが発生しかねない。
いや、勉強が得意なこと自体は悪くないのだが、作者がどこで何を仕込んでくるか分からない以上、余計な特徴は増やしたくない。
「ふーん?」
優星は不思議そうに首を傾げた。その仕草が妙に様になっている。
―顔がいい人は何をしても絵になるって本当なんだなぁ
わたしはそっと視線を逸らした。
「じゃあ、今度分からない問題があったら教えてもらおうかな」
「えっ!?」
思わず声が裏返った。
もしかするともしかしなくても、勉強を教えるという名目で二人きりになるイベントが発生する可能性があるのでは?わたしは心の中で頭を抱えた。
「だめ?」
優星がこちらを覗き込む。
「だ、だめじゃないけど!」
「よかった」
優星が笑った。反則級の笑顔を向けられて断れるだろうか、いや、できない。
いやいや、落ち着け。これはただの会話だ。クラスメイト同士なら普通にあること。そう、普通。何もおかしくない。わたしはお弁当を抱え直し、優星から逃げるように移動した。これ以上ここにいたら、余計なフラグが立ちそうだ。
「ユイちゃん、待ってよー!」
桜が後ろからついてくるその声を聞きながら、わたしは空いている席に腰を下ろした。ようやく一息つける。
お弁当の蓋を開けると、卵焼きが目に入った。恋愛イベントより、今はお昼ご飯だ。わたしは卵焼きを口に運んだ。
私は優星のことが気になっているのかもしれない。先ほどから胸の高鳴りが抑えられないのだ。
「!?」
わたしは卵焼きを喉に詰まらせそうになる。
―胸の高鳴りじゃなくて焦りのドキドキだろ!?何でもかんでも恋愛に繋げようとするな!
わたしのことを「私」と偽るのは1人しかいない。そう、作者だ。
わたしはお弁当を机に置き、心の中で天を仰いだ。
朝はピアノでイベントを起こされ、授業中は湊を助けたことで妙なフラグが立ちかけ、昼休みには優星から勉強を教えてほしいと言われる。
―まだ入学して二日目なんですけど?
この調子だと、文化祭に体育祭、その次にはなぜか無人島に漂着している可能性すらある。
いや、無人島はさすがにないか。…ないと信じたい。
「ユイちゃん?」
「ひゃいっ!」
驚いて変な声が出る。顔を上げると、向かいに座った桜が不思議そうにわたしを見ていた。
「どうしたの? さっきから百面相してるけど」
「えっ、そんなに?」
「うん。今もすごい顔してたよ?」
なんてことだ。どうやら、わたしの心の叫びは表情にまで漏れ出していたらしい。わたしは慌てて頬を両手で押さえた。
「ちょっと考え事してただけ!」
「そっか。悩み事?」
「悩み事というか……」
作者の暴走をどう止めるか、なんて言えるわけがない。
「将来のこと?」
「壮大になったね!?」
思わず突っ込んでしまった。桜はきょとんとしたあと、楽しそうに笑った。
「あははっ、ユイちゃんって面白いね!」
またそれだ。今日だけで何回言われたことか。
わたしはごく普通の高校生活を送りたいだけなのに、どうして周囲から面白い人認定されているのだろう。
そもそも、わたしが普通の高校生活を送ろうとしている時点で、作者にとっては格好のネタなのでは?平凡な日常を望む主人公ほど、平凡ではいられない。そんな物語、いくらでもある。
―あれ? これ、詰んでない?
…………。考えれば考えるほど、負ける未来しか見えない。
「ユイちゃん、卵焼き食べないの?」
「あっ、食べる食べる!」
わたしは慌てて箸を持ち直した。そうだ。今はお昼ご飯の時間。そして、わたしには食欲がある。今は優星も湊もいないし、なんの問題もない……と思っていたのに。
「そういえば、ユイちゃんって好きな人いる?」
「ぶっ!?」
今度こそ、わたしは本気でむせた。
「えっ、大丈夫!?」
「だ、大丈夫……!」
なんで?どうして?なぜ、このタイミングでその質問が飛んでくる!?わたしは咳き込みながら、必死に頭を回転させた。
桜が恋バナ好きなだけ?それとも、作者が桜の口を借りてわたしを追い詰めている?
いや、作者が人に干渉できるのは最初の性格決めとスタイルだけのはず。
「ご、ごめんね。急に聞いちゃった」
桜が少し申し訳なさそうに眉を下げる。桜は何も悪くない。わたしが勝手に疑心暗鬼になっているだけだ。
「ううん、大丈夫。びっくりしただけ」
「そっか。よかった!」
桜はほっとしたように笑った。
「私はね、好きな人ができたら、ちゃんと仲良くなりたいなって思うんだ」
「……へえ」
「もちろん、相手の気持ちも大事だけどね!」
桜はそう言って、お弁当のミニトマトを口に運んだ。その横顔を見ながら、わたしは少しだけ考え込む。桜は明るくて、誰とでもすぐに仲良くなれる。恋愛だって、きっと素直に楽しめるのだろう。それは、少し羨ましいと思った。
―いやいやいや。今のは違う。わたしにとって羨ましいのは、恋愛ではなく普通に青春を楽しめることだもん。
わたしだって、「普通に」友達と笑って、お昼を食べて、放課後に寄り道をして。そういう高校生活が送りたい。
そこに作者の余計な演出はいらない!!
「ユイちゃんは?」
「へっ?」
「好きな人!」
桜がにこにことこちらを見ている。逃げ場がない。
ここで「いない」と答えれば、作者は「本当は気になっているのでは?」と勝手に解釈するかもしれない。かといって、適当に名前を挙げたら、それこそ面倒なことになる。
ならば―
「今は、お弁当の方が好きかな」
「えっ?」
「卵焼き、おいしいし」
わたしは残り一つの卵焼きを持ち上げる。桜はわたしの持ち上げた卵焼きを見て吹き出した。
「あははっ! なにそれ!」
よし。笑いは取れた。恋愛の話題からも逃げられた。我ながら良い回答である。わたしは心の中で小さくガッツポーズをした。
「はい。この卵焼き、今日は上手く焼けたから桜ちゃんにあげる。」
そう言って桜のお弁当箱にサッと卵焼きを乗せる。――そのとき。
「へえ。じゃあ俺は、その卵焼きに負けたのか」
聞き覚えのある声が、頭上から降ってきた。
…………。 ………………。わたしは、ゆっくりと顔を上げると、想像通り、お弁当を持った優星が立っていた。
今、どういう流れでその発言になった?
優星はわたしの反応を見て茶目っ気たっぷりにクスクスと笑う。
「さっき、今度分からない問題があったら教えてって言っただろ? 一つ分からない問題を思い出したから、質問も兼ねて一緒に食べようと思ったんだけど」
「そ、そうなんだ……?」
どうしてわたしの平穏なお昼休みは、こんなにも簡単に崩壊するのだろう。しかも、よりによって優星。桜はというと、目をきらきらさせている。
「いいじゃん! みんなで食べようよ!」
みんな。その言葉自体は、何もおかしくない。クラスメイト同士でお昼を食べる。ごく普通のことだ。
だから、これは作者の思惑通りに事が進んでいるのではない。断じて違う。わたしは自分にそう言い聞かせながら、空いている席を指差した。
「……どうぞ」
「ありがと、ユイちゃん」
優星が笑う。
また、あの反則級の笑顔だ。
わたしは梅干しを口に含むと、その酸っぱさに顔を顰める。
いつもより酸味の強いそれは現実逃避にちょうどいい。
―お願いだから、せめてお昼ご飯くらい、平和に食べさせてください。
わたしの願いが届いたかどうかは、まだ分からない。
ただひとつ確かなのは、お弁当の味が分からなくなりそうだ、ということだった。




